バー

「……朝、か」


 暗夜が明け、曇天を見上げながら、ローレルは呟く。

 雨はいつの間にか止んでいた。しかしローレルの脳裏には、まだ雨の中の骸の仮面が浮かんでいる。

 何かをされたわけではない。そこに佇んでいただけの、雨の幻影のような存在。

 濃密な殺気と奇抜な見た目だけで、こうも記憶に残るものなのか。

 殺気などは何度も感じてきた。しかし、あれは人の発する殺気にしては異常だ。正確な言葉には表せないが、ただならぬ憎悪と殺意が、心臓を止めに来るのだ。あれを真っ向から受けとめられる人間など、そうはいないだろう。

 一人だけ。

 ブレイドだけは、いつもと変わらず、悪魔のような笑みを浮かべていそうではあるのだが。


「どうする、か」


 体はだるいが眠気はなかった。もし、もしも髑髏の仮面をつけた者が眠っている間に自分を襲ってきたら……という恐怖があるためなのかもしれない。あれほどの殺気を放つ者の攻撃は、容赦がない。ブレイドのように楽しむものでも、ハンズで相手をする多くの男が持っている下心がある拳でもないからだ。確実に命を狩りにくるであろう。


「私もまだまだだな」


 膝に手をのせ、壁に背中を擦り付けながら立ち上がる。目眩で視界が一瞬、白く染まったが、倒れるまではいかなかった。

 そろそろ、疲労が溜まりに溜まっている。金を少し使ってでもいいからちゃんとした宿泊施設で休んだほうがいいだろう。素泊まりなら金の消費も抑えられる。

 ローレルは財布と合羽だけを持ち、外へ出る。ハンズでまた、金を稼ぎに行くためだ。

 ハンズ自体は、二十四時間いつだってできる。試合のように時間を指定されてやる闘いもあれば、即席でやる闘いもある。ローレルはいつもやるのは後者だ。前者のほうが金を稼ぐには良いのだが、ハンズでは経験が浅く、実績も少ないローレルにはなかなかやらせてもらえるようなものではなかった。他の場所ならまだ可能性があるのかもしれないが、ローレルがやっているのはやってくる人間の多い、都市のハンズだ。女でしかも片腕しかないローレルが、できる可能性はないに等しい。

 水溜りが蹴られ、飛沫をあげる。

 ローレルは家々の間にできた間道を通り、昨日男を殴った道に出た。


 そこの水溜りが、一部赤く色を変えていた。マンションの前に死体が3つあった。スラム街では珍しくない、殺し合いなどクライムでは大したことではない。

 ローレルはなるべく死体を見ないようにして、道を歩いていった。




  △▼




「いらっしゃいませ」


 ローレルは安っぽい木製の扉を開けて、酒場の中に入った。縦長の店内にはジャズミュージックがかけられ、少し大人っぽい雰囲気が漂っている。

 酒場、正確に言えばバーの類だろうか。パブという感じはしない。


 入り口から見て、左がカウンター席、右がテーブル席だった。正面は店の奥まで何一つ置かれていないため、通路のようになっている。テーブル席では何人かの男が酒を飲んでいた。テーブル席の全てが埋まり、男たちに占領されている。カウンター席には今来たばかりらしい女性が一人、座っていた。

 ローレルは一番入り口に近い、カウンター席の端に座った。昨日から一睡もしていないかつ、ハンズで金を稼いできたためか、イスに座った途端、疲労感が増した。目蓋が重くなり、眠ってしまいたくなる。


 ダメだ。休憩をするだけだ。寝てはならない。


 そう自分に言い聞かせながら、ローレルは視線を横へ巡らせた。


 酒場のマスターはメガネをかけた、優形の男だった。カウンター席の真ん中に座っている女性と話をしている。女性の容姿や格好は、ローレルの目には新鮮に映った。


 整った顔立ち、細めた猫のような瞳、ふっくらとした唇。耳にかかった赤い髪をかきあげるしぐさが妙に、大人らしく見えた。服装は赤いラインが入った、黒を基調とするライダースーツで、チャックを胸の辺りまで下ろしている。遠慮なく鎖骨や胸元をさらけ出しているが、淫らというよりは妖艶な印象がある。ライダースーツ自体は、なるべく体の線が目立たないようなデザインにはなっているのだが、女性のスタイルが良すぎるせいで役には立っていないようだった。


「へぇ、ここのメニューにはパフェもあるのかい」

「ええ。女性には人気ですよ」

「だろうね。あたしも甘いものは大好きだよ」


 砕けた態度でマスターと話す女性。ニッコリと笑みを浮かべる女性は、楽しそうであった。


「じゃあ、チョコバナナパフェとシェリーを頼もうかね」

「かしこまりました。少々、お待ちください」


 マスターは一礼し、ローレルの方へ歩み寄ってくる。


「いらっしゃいませ、お客様。こちらメニューになります」


 メニュー表を渡され、ローレルはぎこちなく受け取る。


「ご注文がお決まりになりましたら、お呼びになってください」

「ちょっと、いいか」

「はい、なんでしょう」

「ここは情報を売ってくれるのか」

「情報、ですか」


 酒場はもちろん酒を飲む場所であるのだが、いろいろな情報が集まりやすいためか情報を売ってくれる店も少なくはない。ローレルはこのバーを訪れたのは、疲れきった体を少し休める目的もあるが、情報を買うためでもある。酒を飲みにきたわけではなかった。


 マスターは顎に手を当てて、目を細めて考え込んでから、こういった。


「情報はお売りしておりませんが、何の情報をお求めなのでしょう?」


 声には単純な興味がふくまれていた。


「ちょっと、な」

「お話をするだけでも、してみては? もしも、わたくしが情報を持っていれば貴女様に提供いたしましょう」

「いいのか」

「初めておこしくださったお客様へのサービスです……少しお待ちいただけますか、あちらのお客様のパフェとお酒をご用意いたしますので」

「別に構わないさ、ここは酒場だからな」

「ありがとうございます、では」


 マスターは実に手馴れた様子で、酒とパフェを用意し、女性の前のカウンターテーブルに置いた。

 女性ははしゃぎつつ、スプーンを手に持つ。


「アイスっクリームぅ、スプーンですくってぇー」


 女性は口ずさんだとおりに、スプーンでチョコレートソースのかかったアイスクリームをすくい、一口パフェを味わうと、足をばたつかせた。なんというか、ほほえましい光景だった。

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