その後の話
ブレイドが体を起こしたのは、ローレルがここを後にしてから三十分後だった。
軽く腕や首を回しながら、半分眠っていた意識を目覚めさせる。鼓膜には台所にいるリベリアの足音が響いていた。
「ふあぁーあ」
大きくあくびをしてから、ソファーから立ち上がる。
背伸び、屈伸。そして、もう一度あくび。
看病などという慣れないことで蓄積された疲れは、すでにもう消え失せていた。
テーブルから水蒸気タバコとライターを取り、水蒸気タバコに火をつける。カラカラに乾いていた喉を、水蒸気が潤した。肺に溜まった空気ごと、煙を吐き出す。水蒸気タバコを一本吸い終わったブレイドは、蛇口から水が流れる音を聞きながら、台所へ向かう。
「ご主人様、良くお眠りになれましたか」
「おう。すっきりしたぜ」
リベリアはどうやら皿洗いをしているようだった。ブレイドはリベリアの視界からはずれ、後ろに回り込む。
「ローレルがいなくなって寂しいか」
「えぇ……良い方でしたから。お綺麗で、強くて、優しい」
「甘いがな」
「それも、あの方の強みでしょう」
手を休ませず、リベリアは息を漏らす。いなくなってしまった、そんな小さな喪失感から来る、微妙な嘆息だった。
「だいぶ、気に入ったみたいだな」
リベリアは愛玩奴隷だった身であるがゆえに、自分に押し付けられた状況は受け入れる。受け入れるが、それだけでは決して他人に好意を抱くことはないのだ。リベリアは自身の感情を口に出さない。ただし、ブレイドが相手のときは別だ。信頼されている、といえば聞こえがいいかもしれないがリベリアにとって頼れる人間がブレイドしかいない、ということである。
そのリベリアがブレイドに、ローレルのことを話すのであればそれが本心であり、真実だ。ローレルはなかなか、リベリアにとって良い存在だったらしい。
「ですけど」
自分を蔑むようにリベリアは言葉を紡いだ。
「ローレル様がウェイブを使えるようになれば、ご主人様がまた旅に出てしまわれるというのが……怖かったのかもしれません。ローレル様がここに居れば、ご主人様も居てくれる……だから、ローレル様にはここに居続けて欲しい、と。そんな自分勝手な願いがあったのかも、しれません」
懺悔するリベリアを、ブレイドは鼻で笑った。
「自分勝手な願いほど自覚できねえもんはねぇよ。自覚できるなら、少なくともローレルを気に入っていたのは本当だろうさ。俺が保障してやるよ」
ブレイドは気配を消して、そうっとリベリアに近付く。
「それに自分勝手でも構わねえさ。なにせここはクライム、何でもありだ。奴隷だからっつって、何も求めないのはおかしい。好きなもん好きなだけやりゃいいし、言いたい放題わがままいいたけりゃいえやいいんだよ。叶うかどうかは別として、だがな……」
背中から、ブレイドはリベリアを抱きしめた。
意味などはない。ただ、抱きしめたくなったから抱きしめただけだ。
一応、皿洗いの邪魔にはならないようにはしている。
「ご主人、様」
「珍しく寂しそうな声してるじゃあねえか。俺がここを出てくときみてえによ。そんなにローレルが良かったのか」
「わ、わかりませんけど、多分……」
切なげに答えるリベリアの耳元でブレイドは囁く。
「そんなに寂しいなら今日は一緒に寝てやろうか。子守唄でも歌ってやるよ」
「ご主人様もここを出て行かれるのではないのですか。もう、ローレル様はいませんし、旅に戻られるのでは」
「やることあるからしょっちゅう出かけるかもしんねぇが、しばらくはここにいるぜ? まだ、お前と一緒にいてやるよ」
「いつかは居なくなるのですよね」
「いつかは、な」
ブレイドは抱きしめている右腕を離し、手をリベリアの頭にのせる。優しく、リベリアの髪を撫でた。
「必ずいつかは居なくなる。代わりにいつかは帰ってくるさ。んなことより今を楽しもうぜ、リベリア。寂しいなら俺が可愛がってやるよ。ここにいる間は、な」
「でしたら」
洗っていた皿を水切りかごに置き、リベリアは皿洗いを終了させた。タオルで濡れた手を拭き、ブレイドの左腕を掴む。
「じゃあ、その……お願いします」
「おうおう欲望に忠実でいいねえ」
ブレイドは笑う。
いつも通り、悪魔のように。
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