旅立ち
一瞬、その場の音という音が全てなくなったような感覚に襲われた。空気が凍りついた、そんな錯覚をしてしまう。
「祖国じゃ左腕で済んだんだろうがな。次は首が飛ぶほうがマシだと思え」
ここはクライムなのだと。何気ない日常と呼べるときでさえ死と隣り合わせなのだと。
ブレイドの瞳が訴えかけてきた。
「あ、あぁ」
凄みに負け、頷く。
「……ご、ご主人様」
声を震わせながらリべリアが口を開いた。
「あ、あの、ローレル様はまだ体調が戻られたばかりですので……その、あまり話しすぎはよろしくないかと」
「わかってる。ただな、リべリア。お前は俺が守ってやれるが、ローレルにはいねえんだよ。俺は面白い闘いが見れるか、やれりゃいい。だからローレルは一度助けてやったし、今俺の家に居させてる。けどよ」
「私がこれから生きるためには、私が私自身を守らなければならない」
ブレイドを続きをローレルが紡いだ。
「……だろ?」
「そうだ」
ローレルは静かに大きく息を吐いた。
「わかってるさ。私が、ここでは甘い人間だということぐらい」
ブレイドに会う前から痛い目には何度もあっている。さすがに誘拐まではされなかったが、身の危険にさらされたことは少なくない。そしてクライムに来てからは誘拐され、ブレイドに助けられ、自分の未熟さと甘さを改めて実感した。
実感したのだ。
「だが、だからといってこの性格は直せないだろうし、直す気もない」
けれども、それでも胸を張ってローレルは宣言する。
「私は私だ。この甘さは木の幹のようなものだ。だから、変えられない。もし、私がこの先どれほど無様に地面を這いつくばろうが、どれほど苦痛を味わおうが、殺されようが後悔はない。それは甘い私の責任だ」
甘いのはわかっている。この甘さが身を滅ぼす危険性をはらんでいることぐらい、知っている。
だが、変えられないのだ。変えてしまえばカレジ・ローレルという人格が死んでしまうように思われてならなかった。
ブレイドは呆れたようにため息を吐く。
「なら勝手にしろ。俺も勝手に生きてるからよ」
「言われなくとも」
瞳をそうっと閉じ、ブレイドは口角を上げる。
「これで、お前の疑問は解決したし、俺も言いてえことを言ったわけだ。他に、何かあるか」
「いや、ないな。お前に聞きたいことはもうない。私はもう、ウェイブを使えるようになったのだろう」
「あぁ」
「なら、私はここを出よう」
「え」
リベリアが不思議そうな顔をしてローレルを見やる。
「ウェイブを教えてもらう約束だった。それはもう終わったのだ、看病までしてもらって……話をして私がブレイドとリベリアに甘えていることも実感した。だから私はもうここを出よう」
寂しいからといってここにいつまでもいるわけにはいかない。ローレルはひとりで生きていかねばならないのだ。ブレイドとリベリアに頼り続けているわけにもいかない。
「……深呼吸をして、体の底から力を引き出すイメージしてみろ」
唐突にブレイドが言い放つ。
言葉の意図が読み取れずにローレルが唖然としていると、
「早くしろ」
ブレイドは催促した。
仕方がなく、ローレルは瞳を閉じる。瞳を閉じることにあまり意味はなかったが、そうしたほうがイメージをしやすいと思ったからだ。
「すぅ……」
息を吸い、自身の体を意識する。体内にうねる力を、底に眠っている力を、自分にある全ての力を、意識する。
「はあぁ……」
息を吐いた瞬間、体から力が溢れてきた。
この前のような爆発的なものではなく、穏やかに溢れてくる力。目を開き、自分の手を見ると光の膜が覆っていた。黄色い、光の膜が。
「これが」
「お前のウェイブだ。引き出すのに時間がかかるな、もっと短時間に引き出せるようにしとけ。次、会うまでにはな。おい、リベリア。お前はもう自由にしていいぞ。ローレルの見送りなり食事つくるなり、遊ぶなり好きにしろ……俺は、寝る」
それきり、ブレイドは黙った。何も言わず、何も見ず。ただソファーで横たわったままで居た。リベリアは戸惑いがちにブレイドの上から降り、ローレルに歩み寄る。
「あの、良いんですか」
「いつまでもここに居座るわけにはいかないからな」
先程まで少し迷いがあったが、今になって決心がついた。
リベリアは寂しげに目を伏せてから、ローレルに向き直る。
「では、荷造りのお手伝いをさせてください」
「あぁ、お願いする」
ローレルとリベリアは部屋に戻り、荷物の整理を始めた。着替えのときに抜いたばかりの衣服は、ここではなくコインランドリーでも見つけて洗えばいいだろう。
「あ、あの」
「何だ」
「ご主人様のことですけれども」
荷物をまとめ終え、リベリアが語り始める。
「やり方は間違っているのかもしれませんし、冷たい方だと思われるかもしれません。ですけど、あの人も本当は優しくて、こんな私でも大切に思ってくれているんです。きっとローレル様のことも」
リベリアは胸に両手を当てて、想いを告げた。
「だから、どうかご主人様のことは嫌いにならないでください。これからも、お付き合いを続けていただけると、嬉しいです」
「……リベリア」
ウェイブを引き出すためとはいえ、ローレルを精神的に苦しませてしまったことを、リベリアは悔やんでいるのかもしれない。
リベリアはリベリアで、思うところがあったのだろう。
ローレルは、リベリアを抱きしめた。右腕しか背中にまわすことができないが。
「そんなこと、わかっているさ。嫌いにならないし、私でいいのなら関係は続けていくさ。これで終わりじゃない。リベリアとはもっと話をしてみたいしな」
「本当、ですか」
「私は嘘が嫌いなんだ」
リベリアから離れて、ローレルは笑みを浮かべた。
荷物を持ち、ローレルは玄関へ向かう。リベリアが後ろからついてきてくれた。
ブレイドはやはりリビングで眠ったままだった。
「では、お気をつけて。また、会いましょう」
「今までありがとう。楽しかったよ」
「いえいえ」
互いに笑いあいながら、別れを告げる。
なんともあっけないものであった。
いつまでも手を振るリベリアを、ちょくちょく振り返りながら、ローレルはブレイド宅を後にした。
「……よし」
空を見上げ、ローレルは気を引き締める。
澄み渡る青空は、ローレルの出発を祝福しているようにも見えた。
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