復活

 それからはブレイドとリベリアに看病をされる日々だった。ローレルは体調を崩しやすい人間ではないので、看病などは滅多にされたことがなかった。ゆえに気恥ずかしいと共に、看病をしてくれる人がいることを嬉しく思った。

 ほぼ眠っていてばかりだったが夜には必ず目が覚めて、起きると異様に空腹が襲ってくるので耐え切れなくなる。リベリアが起きているときは美味しい料理を味わえたし、リベリアが眠っているときはブレイドが軽食をつくってくれた。ブレイドいわく、雑な料理ぐらいならつくってやれる、とのことだった。雑といいながら、栄養のバランスだけは考えて食事をつくってくれた。

 そしてやっと、一週間ほど崩していた体調が治ったのである。


「熱はもう、完全に下がりましたね」


 温度計を確認しながら、リベリアはほほえんだ。ローレルは思わず、疲れと安堵の混じったため息を漏らしてしまう。


「ありがとう……そのすまなかったな、手間をかけさせて」

「いえいえ。では私はご主人様へ報告しにいきますので、失礼します」

「あぁ」


 一礼をし、部屋を出て行くリベリア。ローレルしかいない部屋には扉の閉まる音がしてから沈黙が訪れた。

 体のほうはだいぶ楽にはなったが、まだ気だるさが残っている。しかし、生活する分には何一つ問題ない程度だった。闘いは、体が鈍っているために上手くできるかどうかはわからない。

 ローレルは上体だけを起こし、背を伸ばした。

 乱れている呼吸を、意識的に整えようとし、肺いっぱいに空気を取り込む。


「そういえば」


 ウェイブを教えてもらうのが、ローレルがブレイドに頼んだことだった。当然であるが、ここに住むことではない。

 ならば、今この生活は、もう終わりを告げるのだろうか。ウェイブを得たならば、ここにいる意味は無い。

 ウェイブを得られて嬉しい反面、ここにいる必要がなくなったのが寂しい気がした。ここでの生活は悪くはなかったし、むしろ楽しいと思えた。遊びでいたわけではないが、特訓で辛い思いを数多くしたが、それでもブレイドとも、リベリアとも、過ごしている時間は嫌いではなかった。

 いつまでもここに居てはいけない。わかっていながらも、どうも物寂しくなってしまう。

 ……とりあえず、ブレイドと話をするべきだろう。ブレイドの家を出て行くにしても黙って行くわけでにはいかない。


「よし」


 ローレルは立ち上がり、自分の荷物へ手を伸ばす。

 汗をかいて、衣服は濡れていた。ゆえに気持ち悪さを払拭するため、着替えることにしたのだ。

 着る服を決め、ローレルは上着を脱ぎ始める。衣服が肌に張り付いて、どうも脱ぎづらい。

 と。

 ズボンを脱ごうと手をかけ、膝の辺りまで下ろしたところだった。


「へい、ローレル。聞いたぜ? 熱が下がった……」


 最悪、とまではいかないかもしれないが、いや、やはり最悪のタイミングだった。


「……らしいな?」

「……うわぁっ」


 飛び込む。

 ズボンを履ききっていないとか脱ぎきっていないとか、そんなものは関係なくベッドに飛び込んだ。右手で必死にかけ布団を掴むとその中に入る。恥ずかしさで熱がぶり返しそうだった。


「あー、ごちそうさま?」

「う、うるさいっ! 着替えてたんだ、さっさと出ろっ!」

「悪いな、てっきり着替えるときはリベリアと一緒だと思っちまってな。うっかりしちまって、お前のあられもない姿を」


 妙にベラベラとしゃべりだすブレイドの声を、ローレルは必死になって掻き消した。


「あぁっ! あぁあ! やめろっ、わざわざ言葉にするなっ! 殴るぞ!」

「おぉ、こえぇ」


 面白そうに声を弾ませているブレイドが、悪魔のような笑みを浮かべているところなど容易に想像できる。想像して、羞恥心が増した。死ねないが、死にたくなった。


「まぁ、着替えたらこっちに来いよ。話をしてやるから」


 それはまるで、ローレルがブレイドに話したいことがあるかのような言葉だった。


「お前がウェイブを発現させた日のことも。これからのことも、な」


 ブレイドはそういい残し、部屋を出て扉を閉めたらしかった。

 気配はもうなかった。

 だが。


「うぅー」


 熱くなった顔を冷ますまで少々時間を有した。


 ローレルは落ち着いた後、着替えを再開した。何の飾り気もない、動きやすい服に着替えてから、扉を開けてリビングに出る。

 リベリアが、リビングに入ってきたローレルに気付き、声をかけてきた。


「ローレル様、もう動かれても」

「あぁ、大丈夫だ。ありがとう、リベリア」


 ソファーに目を向けると、うつ伏せにブレイドが寝ていた。リベリアが、ブレイドの腰に乗り、両手を使ってマッサージをしている。


「さっきはごちそうさん」

「忘れろバカッ」

「忘れねーよ、バーカ」


 意地の悪い笑みを浮かべるブレイドに、ローレルは怒りがこみ上げてくる。そんな二人を見て、リベリアは首をかしげた。


「どうか、なされましたか」

「なんでもねーよ、リベリア。それより首と肩を揉んでくれ」

「かしこまりました」


 リベリアは特に追及するわけでもなく、ブレイドの肩を首を揉み始める。あのことを聞かれれば、ローレルが恥ずかしいので、安堵の息を漏らしてしまう。


「はぁ、気持ちいいぜ……しみる」


 今まで溜まり込んだものを吐き出すように、ブレイドは零した。


「で。ローレル、俺に何か話すことあるんじゃねえのか」


 それはウェイブを使えるようになったあの日、ブレイドが勝手にした行いについて。そして、これからのことについて、なのだろう。


「あの日のことは別に構わない。みんな、無事だったのだから。私がなかなかウェイブを使えるようにならなかったのも悪いしな」


 冷静さを失ってブレイドに襲い掛かってしまったが、あれはブレイドがローレルのためにしてくれたことだ。納得のいく形ではないにしろ、怒るのはお門違いだ。

 ただ。


「ひとつ、答えて欲しいことがある」


 ひとつだけ、演技では済まされないことがある。真実であるか、偽者であるかを知るべきであろうことが。


「何だよ」

「私に見せたあの映像は、本物なのだろう」


 マッサージをしている手がピタリと止んだ。リべリアはうつむいたまま、固まっている。

 瞳を閉じていたブレイドは、ゆっくり目蓋を持ち上げる。


「おい、リべリア。誰もやめていいとは言ってねえよ」

「も、申し訳ありません」


 リべリアは手を動かし、マッサージを再開する。


「……で。何の映像が本物だって」

「私が見るように仕向けたあの映像だ」


 波動が発現したあの日に見せられた、思い出したくもない映像。

 震える拳を、気持ちを奮い立たせて落ち着ける。


「拷問の、映像だ」

「おう、本物だ」


 にべもなく、ブレイドは答えた。


「てっきり、綺麗さっぱり忘れてるんじゃねえかと思ったぜ」

「忘れたくても、忘れられないさ。あんな、吐き気のするものは」


 人を、痛め付けながら殺す神経がローレルにはわからない。だが、それが許されざる悪であることはわかっていた。クライムに善悪はない。だから、この悪はローレルにとっての、だ。


「私が、誘拐されたとき……あのまま連れていかれていたら私もああなっていたのだな」


 もしも、もしもの話である。ブレイドに助けられなかったら、ローレルも椅子に体を縛り付けられ、皮膚を剥がされ、肉を焼かれ、死んだほうがマシだと思える苦痛を長く味わい殺されていた。

 苦痛は乗り越えた先に得るものがあるから耐えられるのである。苦痛の先が死で、苦痛に耐えられるはずがない。

 今、それを考えるだけで胸が苦しくなる。


「ディスクはサイファーが出してる『商品』だ」


 ブレイドは静かに語り始めた。


「わかるか? 売り物として成立してるんだ、あれは」


 おぞましい事実にローレルは寒気がした。ごくりと、喉を鳴らす。


「もしもの話だ。もしも、お前があのままサイファーに誘拐されれば殺されるどころか、後で商品にされたんだよ」


 映像の少女に、ローレルもなりえたかもしれない。


「もしも、リべリアが買い物の最中、サイファーに出会っちまったら同じことになる」


 そして、危険は常に身近にある。祖国とは比較にならない、大きな危険だ。

 誰もがそうであり、例外などはない。

 リべリアも映像を目にしたのだろうか。表情が強張っている。瞳は濡れているようにも思われた。

 ブレイドの話はまだ終わりではない。


「お前はまだ現実を知らねえ。それもそれで構わねえがよ」


 鋭い眼光が、ローレルに突き刺さる。研ぎ澄まされた剣がすんなりとローレルの心を貫く。


「死ぬぜ、お前」

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