熱
最初に感じたのは体のひどい熱さだった。
額に柔らかいものがのせられ、そちらに微々たる熱が逃げていく。
熱さも酷かったが、頭痛も酷かった。頭を容赦なく殴られているようだ。
「はぁ……はあ……」
吐き出す熱が、自分の息であると気付くのにどれほどかかったか。
ゆっくり、本当にゆっくりと重たい目蓋を持ち上げ、瞳を開ける。
「起きたか」
静かな、優しい響きのする声だった。まだ視界がぼやけてまともに見えなくとも、聞き慣れた声が誰のものかはわかる。
「ブレイド……」
「気分は、よくないか」
「痛くて、重たくて……熱い」
「だろうな。初めてウェイブを使った後は皆そうなる。一週間ぐらい辛いだろうが、死んだりしねえから安心しろ」
そうか、ウェイブを使えるようなったのか。
頭痛で、上手く働かない頭の中で思う。
「これからしつこく質問するけどよ。あんまり喉に力入れずに答えろ。場合によっちゃ息を吐くだけでも、首を振るだけでもいい」
ブレイドの声は優しく、それでいてよく聞こえた。
「苦しいか」
頷く。
「どこが苦しい」
「息が、苦しい」
「喉か、胸か」
「む、胸が」
ブレイドの簡単な質問にローレルが答えていく。
「いてえところは」
「頭」
「他は」
首を振る。
「気持ちわりぃとかは」
もう一度首を振る。
「わりと軽いな」
「軽い、のか」
「あぁ。吐き気と全身の痛み、動悸がするなんてこともある」
軽度で良かったが、辛いのに変わりはない。
「お前の体はウェイブが馴染みやすいんだろうな……タオル、濡らすぞ」
ぼやけた視界の中でブレイドは、ローレルの額に置かれたタオルを取る。近くで水の音と、タオルを搾る音がした。
「冷たいから気をつけろよ」
ブレイドに忠告され、警戒する。額にはひんやりしたタオルがのせられた。体の熱がまたほんの少しずつ逃げていく。
ローレルはブレイドがここに居てくれることが嬉しかった。体調が優れず、気分が悪い中で一人は心細い。誰かが見守ってくれているだけでも、気分がいくらか楽になった。
「リベリアは買い物に行ってる。しばらくしたら帰ってくるだろうさ。それまで俺が面倒見てやる。一人でいたいなら出て行くが」
ローレルは急いで首を振った。
「ここに……ここにいてくれ」
「わかったよ。いるからそんな顔すんな」
曖昧な視界の中でも、ブレイドが困った顔をしているのだろうな、という程度の想像はできた。
「あぁ、そういや熱がある間はウェイブを使おうとするなよ。下手すれば死ぬから」
「し、ぬ?」
「ウェイブは体の中身を作り変える技だ。一回使ったらウェイブによる体の変化に耐えられずにそうなる。ウェイブのせいで体が異常をきたしたのと同時に、そいつはウェイブがいつでもどこでも使えるようになる準備をしているようなもんだ。準備ができていない状態で何かをやろうとすれば破滅すんだろ? だから、今この状態でウェイブを使えば死ぬ。運がよくて二度と体が動かせなくなる」
だいぶ物騒な話をされた気がするが、とにかくウェイブを使わなければいいのだろう。よほどのことがなければ使う気力すらないので、あまり意識しなくても問題はなさそうであった。
「細かいことは、まあ元気になったら答えてやるよ。今は休んでろ、中々ハードなことさせちまったしな」
ブレイドが額に乗せていたタオルを移動させ、ローレルの目元を覆わせる。
黒に塗りつぶされた世界で、ローレルの意識はあるのかないのかさえ曖昧になる。自分の周りには何もなくて、自分だけしかいない世界のような気がして、ひどく寂しくなってくる。
声は、まだ出せるのだろうか。
「ブレイド……」
出た。出せた。
「何だよ」
聞こえる。意識はまだある。
いや、もしかしたら今までのことも何もかも夢の出来事なのかもしれない。
「症状が軽い分、余裕あんのか」
「ち、がう」
余裕があるわけがない。何もかも億劫に思えるし、それでいて誰かと話していたい。誰かがいることを確認しなければ、安心できない。
ひとりではないのに、ひとりの気がする。孤独でないのに、孤独な気がする。
怖い。
熱い、けれど寒い。
頭がおかしくなりそうだった。
「頭ん中を空っぽにしろ」
唐突にそんなことを言われた。
「余計なことは考えるな。考えれば考えるほど苦痛にしかならねえぞ」
わかっている。こんな状況、さっさと眠って逃げたほうがいいに決まっている。だが、何かも曖昧なはずなのにとてつもない孤独感と恐怖感が襲ってくる。それがたまらない。
「空っぽにできないか? なら、手伝ってやる。イメージしろよ」
ブレイドに言われて頷いた。
「曖昧でもいい。大事なのはイメージすることだ、いいな」
ひどく優しい声だった。
「今、お前は暗黒の海にいる。冷たくはない、ゆっくりと全てを飲み込む巨大な闇の海に浮かんでいる。海に身を預けてしまえば楽になる。だけどお前はそれをしない。帰る手段がないからだ」
自分は今、海にいる。周りは全て闇だ。壁も床も天井もない。海と空だけで、どちらも同じ色をしているから境がわからない。
「沈んでしまえば最後、死ぬまで沈んでいく……だから沈めない。そこでお前は帰る手段を作り出さなきゃならねえ。右手には火の入れ物を持っている。なんでもいい、ただのビンでもいい。火を入れる物だ」
イメージして右手に出現したのはカンテラだった。それを軽く握る。
自分の右拳にブレイドの指が乗せられる。
「今、火が灯ってる。今拳に感じているものは、火の力だ。小さな、頼りないもんだ」
カンテラに火が灯る。小さな、頼りない火。それの温かさが拳に伝わっている。
「火を大きくする必要がある……ゆっくり深呼吸をして、力を抜いていけ。そうだ、ゆっくりとだ。焦る必要はない」
言われて深呼吸を始める。
「心臓が全身に血を送るように、呼吸をするたびに少しずつ、お前の力が心臓から肩、腕、拳……そして火の器に落ちて……火を大きくする」
暗闇の中で火だけが色を持っている。
深呼吸して、力を送るたびに、少しずつ火が大きくなり、色を強くした。
鼻からゆっくり息を吸って、口でゆっくり吐く。
吐くと同時に火が音を立てて、徐々に強くなっていく。
右拳にあって点がゆっくり広がっていった。
ブレイドの手がローレルの拳を包んだのだが、ローレルは気付かない。呼吸に合わせてブレイドは手の力を強めてローレルの拳を軽く握る。
「力を全部注ぎ込んで……火が完成した。この火はお前が帰るべきときに海から引き上げてくれる火だ……お前の力を注ぎこんだから、消えることはない。消えない……絶対に……消えない……」
拳に感じるもの以外、もう感じない。力は入らない。もう注ぎ込んでしまったから。
「ゆっくり海に沈んでいく。黒い、暗い、何もない、海に。背中からゆっくり、海に受け入れられる。火は手放さない、いや、できない。放そうとしても火がついてくる。お前の力だからだ」
意識というより感覚ごと薄くなっていくのがわかった。
恐怖なんて感情は、海に沈むたびに漂白されていく。
「呼吸はできる。海は全て受け入れてくれる。だから黒い……呼吸を楽にして、身を任せろ。大丈夫だ、帰りたくなったら火が引き上げてくれる。大丈夫……大丈夫だ……身を預けて……楽になって」
孤独はもう感じない。感じるのは右手の温かさだけ。
「何も考える必要はない、何も心配する必要はない。心配事は全て火がどうにかしてくれる。だから身を預けて、楽になれ。何もいらないんだ……おやすみ……」
ゆっくり溶かされるようにして、ローレルの意識はなくなっていった。
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