覚醒
気配のする方向へ、拳が唸る。
「ぐっ!」
男は拳を防いだらしかった。太い腕を、殴っている感触がする。
ぼやけた視界を瞬きをして涙を落とし、目を見えるようにした。男が青いウェイブを引き出しているのが見える。
バックステップを踏む。そして仕切りなおすように左足を大きく前に出し、拳を振るった。
右スイングのような動きだが力任せだ。通常の攻撃と比べてワンテンポ遅れた出方になる。
時間差で放たれる強烈な一撃は、男の交差した腕を弾き飛ばす。
「ちぃっ!」
素早く拳を引き戻したローレルは、ストレートを放つ。真っ直ぐに放たれた拳は、男の鳩尾に突き刺さる。男は苦痛に顔を歪めたが、両手の指を絡めて鉄槌のようにした拳を、ローレルに叩き付けた。プロレスでいうスレッジハンマーという技だった。
背中から攻撃を食らい、ローレルの肺から空気が叩き出される。歯を食いしばり、苦痛に耐える。攻撃と重力で、ローレルの体は床へ迫る。
そして、倒れる直前に素早く引き戻した拳を床に当てて、体を宙へ浮かせた。
一発、拳を入れただけ。たったそれだけで、ローレルの体は男よりも高い位置まで浮かぶ。右拳はもうすでに構えなおしてあった。一方男は拳を振り切って硬直している。
上から下へ。孤を描くような軌道で拳を振るう。全身の筋力、体の遠心力、重力。様々な要素で攻撃力を増した渾身の一撃を男の頭頂部に打ち込み、無理やり下を向かせる。サングラスが落ち、床で砕け散った。
「ぐおっ」
男が怯む。
「すうぅ」
熱を吐き出す。
怯んでいる相手を待つ必要などない。
ローレルは着地した直後に間合いを詰め、拳を鳩尾へ食らわせる。
「こなクソッ!」
男はそれでも少し後退しただけで、大きなダメージは見られなかった。だが、関係ない。どれだけ強固な筋肉の鎧を持っていようが、脳震盪を起こさせれば気絶させるどころか殺せる。
間髪居れずに男の懐へ入り込み、体を屈める。そして跳躍し、男の顎へ拳を突き刺した。
「うごっ!」
アッパーを食らった男は呻く。更に一撃加えようとしたが、男が蹴りを出してきたため後退するしかなかった。
思わず舌打ちしてしまう。
男は強い。体は並大抵のものが身につけられる肉体ではない。凄まじいほどに洗練された密度の高い筋肉を持っており、攻撃力も生半可ではない。ローレルの背中がまだ痛むのがその証拠だ。
ローレルが距離をとり、警戒していると、男はため息を吐いて余所見をした。その視線の先はブレイドだった。
「起きろ、もう満足しただろ?」
満足した? いったいこの場の、誰が満足した?
「何を、言っている」
ローレルの疑問はすぐに解消された。
ブレイドが立ち上がったのだ。暢気に首を回し、背伸びをした。表情はどこか浮かない。
「いたずらが過ぎたって顔をしてるな、ブレイド」
男はひどく親しげに、ブレイドへ話しかけた。そして、肩を落としてウェイブを解く。
「……どういうことだ」
煮えたぎる怒りを、ブレイドに向ける。
「ほれ、答えてやりな」
男に促され、ブレイドは答えた。
「今までの全部演技だ。俺はもちろん、リベリアだって死んでねえ」
ブレイドは親指で男を指差す。
「こいつはガード・デリー。俺の知り合いだ、サイファーつながりの人間でも何でもねえ」
「は?」
「お前にウェイブを引き出させるための演技だよ。リベリアなら俺の車にいるし。車はこの建物の裏にあるからよ」
つまり。
ブレイドが仕掛けたプラクティスジョークであり、誰も死んでいない。サイファーも関係はない。
ローレルはただ、踊らされていただけだった。
「あ、あはは……ははっ」
笑うしかなかった。ビデオの少女はリベリアではなく、ここはブレイドが用意した場所であり、デリーという男もブレイドの知り合い、ブレイドは死んだふりをしていただけ、リベリアは車にいる。
「ははは」
肩を震わせ、ローレルは笑う。
「ふ」
そして拳を握り締めた。
「ふざけるなあアァァッ!」
完全に頭に血が上ったローレルは、ブレイドへ向かって駆ける。拳はもう構えていた。
ブレイドの顔面めがけて、拳を叩き込む。
「おっと」
ブレイドは拳を手で受けた。紅いウェイブを引き出し、力を拮抗させる。
「まあ、落ち着け。おかげでウェイブを使えるようになったじゃねえか」
「そういう問題じゃないっ! 私が、私がどんな気持ちでいたと思ってるんだ」
頭にきた。
こんなことをするブレイドに、はらわたが煮え繰り返りそうであった。
「イヤ、なんだ。大切な人に、死なれるのは」
ローレルは力を抜いた。いや抜けた、のほうが正しい。闘う気を無くした。漲っていた力も、異様な熱も霧散する。本当はブレイドを一発ぐらい殴りたかったが、そんな気力がなかった。
言葉では上手く言い表せない感情が、ローレルの胸中で渦巻いていた。
それは、幼くして母を失い、若くして父も亡くしてしまったゆえの、複雑な感情だった。
「イヤだから、殺されたって思って、頭がおかしくなりそうになって、だから……だからッ」
ブレイドは倒れそうになったローレルの体を受け止めて、頭を撫でてくる。
「悪かった。すまねぇ」
ブレイドもリベリアも生きている、それがローレルを安堵させたおかげか。ローレルの力は徐々に薄れていき、そして気を失った。
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