魔の手

 ウェイブを使えるようになれないまま、数日が過ぎた。

 ローレルはいつも通り体を起こし、着替えを済ませてリビングに出る。

 しかし。

 昨日までのことが、まるで嘘のような違和感に襲われた。


「……ブレイド?」


 いない。


 ブレイドも、恐らくリベリアも。

 リビングはひどく生活感がなく、ローレル以外の存在を感じさせない。静寂に包まれたリビングは、とても昨日までブレイドがいた部屋だとは思えなかった。

 ただ。

 テーブルに置かれた飲みかけのコーヒーと、開かれた手紙が目を引きつけてどうしようもなかった。

 ローレルはテーブルの前まで行き、手紙を取る。ただの手紙にしては封筒が大きい。封が切られているため、中身は見れる。ブレイドはこれを読んでどこかにいってしまったのだろうか。


「ディスク、か」


 中には紙一枚とディスクが一枚入っていた。片手を使って、中身を取り出す。勝手に中身を見てしまうのは気が引けるが、何の伝言もなしにブレイドがいないのは気になった。恐らくこれに原因があるのだろう。

 少しだけ読んで、個人的な内容だと思われればやめればいい。


「地図?」


 ディスクは無視し、紙の内容を確認すると地図が描かれていた。丁寧にここからある地点までが描かれている。そして地図の上には文が一つだけ。


『ディスクを見たらそこまで行け』


 ここは良い。地図はある。しかし、その前の文言だ。否定したくて目を背けていた言葉を、確認する。


『死体がほしければ』

「っ!」


 死体などという物騒な単語に、ローレルが言葉を失う。

 死体? いったい誰の死体で、それが何に関係するのか。混乱した思考は疑問だけを浮かべ、心臓の動悸を激しくさせる。思わず唾を飲み込み、テーブルにおいていたディスクに視線が釘付けになる。


 紙を置いて、手を伸ばす。ディスクには何があるのか。中身に対する恐怖と好奇心の入り混じった感情が、ローレルの指先を震えさせる。


 嫌な予感がしてならなかった。

 ディスクをプレーヤーに入れて、それを視聴するだけ。ただ、それだけ。

 言い聞かせながらローレルはディスクを持ち、テレビ下にあるプレーヤーの前に座る。そして、震える手でディスクを挿入した。

 乱れる呼吸を必死に整えようとしつつ、ローレルはテレビの電源を入れる。ブレイドが毎回、映画やドラマを見ていたおかげかチャンネルはそのままで、再生されたディスクの内容を視聴することができた。


 テレビに映ったのは暗い部屋だった。部屋の中央あたりだけが淡いオレンジ色の電灯で照らされている。


「リベ、リア?」


 照らされているその場所には椅子があった。その椅子に褐色の肌をした黒髪の少女が縛り付けられていた。しかし目隠しや猿轡をさせられ、顔はしっかり確認することができない。肩や脚を震わせ、部屋にうめき声を響かせている。後ろの壁にはよくわからないものが置かれていた。大小さまざまあるが、正確な形や姿は確認できない。


 これは何なのか。映画のワンシーンだろうか。リベリアなのか、褐色の肌をした別の誰かなのか。


 それとも……


 画面を見ていると暴れる少女に、ある人物が歩み寄ってきた。

 赤い髪をオールバックにした長身の男……サイファーだった。ローレルを誘拐した、もう一人の男。

 ドクドクと体中の血液がめぐっているのが感じられるほどに、心臓は強く拍動する。


 ――女を誘拐して、拷問。死んだら、また女を誘拐して、拷問。その繰り返しさ。


 ブレイドの言葉が思い出される。ならば、今椅子に縛り付けられているリベリアらしき少女は……


 サイファーは部屋の奥へ、壁へ向かい、何かを手に掴んで椅子の横に立った。飢えた獣のような瞳をしたサイファーは、狂気的な笑みを浮かべる。

 その手に持っているのはヒモとナイフだ。


 サイファーはリベリアらしき少女の肩をヒモで縛る。ヒモが肉に食い込むほどきつく縛ってから、ナイフを上腕へ滑らせる。


「ひっ」


 映像から響き渡る不明瞭な悲鳴。ローレル自身の背筋に寒気が走り、体が震える。

 サイファーは上腕の皮を、ナイフでゆっくり剥がしていっていた。褐色の肌が一部赤く染まっていく。少女は体の自由を奪われているため動くこともできない。ただ大きく身を震わせながら、苦痛に叫び、喘ぐだけである。


 サイファーは楽しげにナイフを椅子の下に置く。それから壁へ向かい、別の道具を持ってきた。アイロンのような道具だった。ただ、アイロンのように先がとがっているような形状ではなく、完全な長方形。すでに温められているよう……いや、熱せられていて湯気が出ている。サイファーは迷わず、その道具を皮の剥けた腕に押し当てた。


 ジュー、ジューと音が悲鳴と共に奏でられ、肉が焼ける。押し当てられたところから、先程よりも蒸気が多く発生する。サイファーはうっとりとしたような瞳でそれを眺め、舌を出す。道具を押し当てたまま、少女の頬を舐めた。


「あ、あぁ――あぐっ」


 とてつもない吐き気がローレルを襲う。腹の中をかき混ぜられたような不快感だった。

 吐き気を必死にこらえる。目元が痛くなるのを感じた。


 拷問だ。


 言葉にしてしまえば一言で済む。だが、どれほどそれが残酷で悲痛なものなのかは映像を見ているローレルでも計り知れない。

 呻き声が、喘ぎが、悲鳴が、叫びが。

 刃物が、鈍器が、機械が、拷問器具が。

 映像に耐え切れないローレルがすぐにテレビの電源を切った。

 玉のような汗と涙が、零れ落ちる。何か食べた後だったならば確実にもどしてしまっていただろう。


「う、うっ」


 泣き、呼吸を乱し、体ががくがくと震える。心臓を抉られた気分だった。

 死体がほしければ? あんな拷問の果てに殺されるのだ。まともな死体ではない。

 ブレイドはこれを見て出て行ったのだろうか。だとすればあの映像の少女は、本当にリベリアなのか。


 ぐちゃぐちゃになった思考と視界で、ローレルは何とか紙を掴む。地図に記された場所に行けば、本当のことがわかるはずだ。そこへ行くことにとてつもない恐怖があるが、行かないままこの一人の状況が続くのかと思うと、どちらにせよローレルには耐え難いものだった。待っているよりは動いたほうがいい。

 ローレルが涙を必死に拭い、呼吸を整えた後、外へ出た。呼吸を整えても、動悸だけは少しも治まらなかった。

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