エピソード4

ローレル対ブレイド

 ブレイドが休憩といった日、その次の日。

 いつもの特訓ではなく、ブレイドもウェイブを出さずにローレルと対峙していた。ローレルと闘うためである。前に約束をした、本気の闘いだ。


「いつでも来いよ」


 両手を腰に当て、ブレイドは言う。

 これは競技ではない。ゴングも宣言も何も無い。ただ、ローレルとブレイドのタイミングで闘いは始められる。


「なら行かせてもらうぞ」


 ローレルは深呼吸をし、構えた。

 右半身を引き、拳は胸の前におく。


「……はあぁ!」


 肺に溜め込んだ空気を吐き出すと共にローレルは跳んだ。腰を低く落とし、弾丸のごとくブレイドに接近する。

 ブレイドは動かない。

 ローレルは脚力を生かした、高速の右ストレートを放つ。十分な溜めとスピードをつけた右拳。それをブレイドは胸の前で腕を交差させ、受け止めた。


「くっ」


 ブレイドは苦痛と驚きに目を見開く。

 ローレルが放ったストレートの威力はブレイドの防御を上回り、衝撃を与えたのだ。

 生半可な攻撃とは比べようのない威力にブレイドは力負けし、数歩後退する。


「おいおい、こりゃ思った以上だぜ」


 ブレイドは狼狽しているようだったが、それはローレルも同じだった。拳を真正面で受け止められたのは初めてだったからだ。ウェイブがあるならともかく、生身でである。

 だが、ローレルは止まらない。

 ローレルは素早く拳を引き戻す。そして強靭な脚を使い、たった一歩で間合いをつめるともう一撃、右ストレートを放った。体を捻り、遠心力をつけた拳はブレイドの顔面をとらえ、殴り飛ばす。

 まともに攻撃を受けたブレイドは何度か地面を転がり、何とか止まると立ち上がった。


 ローレルは待たない。


 再び間合いを詰め込むと跳躍し、ブレイドに拳を叩きつけた。無理やり空気を貫いた、凄まじい風切り音が、耳に響く。


「へっ! いいねえいいねえ」


 ブレイドはローレルの攻撃を交差させた腕で再び防いでいた。先ほどとは違い、脚に力を込めて防御を成功させている。そのまま肩を上げ、腕全体を使ってローレルの拳を弾く。余裕があるのか、その表情には笑みが浮かんでいる。

 ローレルは弾かれたときの力に抵抗せず、流れにあわせて二、三歩さがった。


「たまには生身でガチも悪くねえ。ほら、額に一発ぶち込んでみろよ」


 人差し指で額を二回叩くと挑発的な笑みを浮かべる。ローレルは言われるまでもなく拳を突きだした。

 ブレイドは体をそらしたかと思えば、あろうことか迫る拳に頭突きで反撃した。拳と額をぶつかり、拮抗する。


「くっ……」


 ローレルは動かない。


「へっ」


 ブレイドは退かない。

 状況においてはローレルが有利のはずだが、どれだけ拳で押し返そうとしてもびくともしなかった。

 ブレイドには脚を踏ん張っていもまだ拳が使える。力比べを続けるのは危険だ。

 ローレルは右腕を引っ込める。

 そして、一瞬でしゃがみこみ、アッパーを繰り出した。


「ふっ」


 軽い呼吸をし、ブレイドはやや後ろに下がる。

 ほぼ同時にブレイドの顔の目前をローレルの拳がかすめた。

 ローレルは外した攻撃の勢いを利用して、腕を曲げ、拳を叩き付ける。ブレイドはバランスを崩し、倒れた。

 ブレイドに追い撃ちをかけようと、ローレルは拳を振り上げる。


「気が早いぜローレル」


 だが、ブレイドは逆立ちをし、蹴りを浴びせようとしてきた。

 重心が不安定な状態からの攻撃。

 されどローレルがまともにが受けていい攻撃ではない。追撃をあきらめ、バックステップを踏む。

 その間にブレイドは蹴りを地面に叩き付け、宙返りをみせてから着地をした。

 ブレイドは舌を噛みでもしたのか、口元から血が流れる。


「だ、大丈夫か?」

「けっ平気よ平気。体が滾ってむしろ元気だぜ」


 笑みを浮かべるブレイドはまるで悪魔のようだった。


「お前の拳、なかなか効いたぜ? 楽しませてくれるじゃねえか」

「……お前の力もな。私の拳を額で受け止めたバカは初めてだ」


 ブレイドは得意げに口笛を吹いた。


「本当に楽しいよな、闘いってやつは」

「全くだ」


 急にブレイドの目付きが鋭くなる。瞳の奥で真っ赤な炎が燃え盛っていた。

 ブレイドは左の人差し指で挑発してきた。


「来いよ」


 挑発に乗るか、乗らないか? 悩むまでもない。


「もちろん、行ってやるッ!」


 脚がバネのように縮み、伸びる。そしてブレイドへ向かって一直線に跳躍した。繰り出すは右ストレート。基本中の基本の技。単純だが、ローレルの持つ最強の技だ。

 ブレイドは脚を曲げ、腰を落とし、わき腹辺りまで両手を引くと右腕を突き出した。動作は多いが動きは一瞬だった。

 ブレイドの突き出された右腕はローレルの右ストレートと一直線上に並び、通常ではありえないスピードでぶつかった。

 前に突き抜こうとするローレルのストレートが、ブレイドの拳で止められていた。ブレイドは地面に根をはった植物のように動かない。

 どちらも退かない。

 が。


「はああ!」


 体全体に力を入れて動けないブレイドに対し、ローレルは前に踏み出せる。

 腕を曲げ、ブレイドの懐に潜り込んだローレルは右拳を引き戻す。ブレイドは体が硬直して動かない。ローレルはブレイドの腹部を狙い、重心を前に傾けて拳を突き出す。ボディーブローだ。


「……ごふっ」


 ブレイドの肺に溜まっていた空気が無理やり吐き出される。

 攻撃が入った確かな感触にローレルから笑みがこぼれる。追撃とばかりに素早く屈みこんだローレルはブレイドの顎目掛けて軽いアッパーを放ち……

 顎の直前で左手に掴まれた。


「掴まえたぜ……ローレル!」


 なおも口の端をつり上げ、狂気的な笑みを浮かべるブレイドに、ローレルは初めて寒気を感じた。腕を引き上げられ、体が宙に浮く。

 ローレルにもし、左腕があったのならば反撃のしようがあったのかもしれない。

 だが、それはもしもの話だ。

 現実は変えられない。脚を使おうと宙に浮いた体ではまともな蹴りは出せない。ボクシングではそもそも蹴りは出さない。反則だ。

 ルールはなくとも、己のスタイルは否定したくない。

 ブレイドは右拳を構える。それは血管が浮き出て震えるほどの力が込められた拳だった。引き絞った矢のように、溜め込んだ力を解放するときを待っている。


 そして、放たれた。


 矢のごとく鋭く力強い拳はローレルを砕かんばかりに迫り……

 直前で止まった。


「お前、よく目閉じなかったな」


 ブレイドはローレルを掴んでいた手を離す。ローレルは力なく地面に座り込み、いつのまにか止めていた呼吸を再開した。

 どっと、冷や汗が噴出してくる。


「こんくらいでいいか?」


 ブレイドが訊ねてくる。


「あぁ。ありがとう……」


 本気で闘った。ウェイブもない、フェアな闘い。それでもローレルはブレイドを倒せなかった。

 ブレイドの表情には余裕が残っている。

 こんなやつに勝てるやつがいるのか、そう思ってしまうほどブレイドは尋常ではない強さを持っていた。


 負けた。心が負けを認めてしまった。


 だが、同時に勝ちたいという願望がローレルの中でより一層明確に、強くなっていった。


「少し休憩したらいつも通り特訓するか」

「わかった」


 ローレルはブレイドを見上げ、頷いた。

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