想い
「あれ、ブレイドは?」
ローレルが入浴を済ませてリビングへ戻ってくると、そこにブレイドの姿はいなかった。
「ご主人様ですか。酒場に行きましたけど」
皿洗いをしていたリベリアがローレルの疑問に答える。
「酒場、か」
「はい。ご主人様ならおそらく明日まで帰ってこられないと思います」
実際に酒場を利用したことはないが、父がたまに利用していたのをローレルは知っている。子供のころは大人だけが行ける憧れの場所であったが、今はもう憧れているわけではない。一応、一度行ってみたい願望がある程度だった。
リベリアの帰ってこないという推測はブレイドが朝まで酔いつぶれるほど飲むであろうということを指していた。
そして、ブレイドが帰ってこない以上、特訓はできない。リベリアと二人きりである。
「明日まではふたりか」
「えぇ。普段はひとりですから、嬉しいです」
水の流れる音をバックに、会話が続く。
「そうか。ブレイドがいなくなればリベリアはいつもひとりか」
「ご主人様は普段、家に留まらず各地を旅しておられますから、ひとりのときのほうが多いですね」
「寂しくないのか」
「寂しいです。ですけど、私が何を申し上げてもご主人様がここに居続けることはないでしょう」
あのお方は闘いを愛していますから……と。リベリアは切なげに、ぽつりと零す。ローレルはそれを否定できない。ブレイドは闘いが好きだ。大して付き合いの長くないローレルがわかるほどに。
水の流れる音が止む。皿洗いは終わったらしかった。台所からリベリアが出てきて、愛想笑いを浮かべる。
「カレジ様。またマッサージをさせていただけませんか? もちろんご迷惑でなければ、ですけれど」
「迷惑どころか助かるよ。ありがとう」
「いえいえ。では、ソファーに寝ていただけますか」
「わかった」
ローレルリベリアの言う通りソファーに寝そべった。
「昨日と同じで全身を満遍なく、でよろしいでしょうか」
「それでお願いする」
「かしこまりました。お風呂でお体のほうは温まっていらっしゃると思いますので、温めずに始めますね」
「わかった」
返事を確認してか、リベリアはローレルの首元に手を置いた。
最初は首から肩にかけて、丁重にほぐされていく。
「痛くはありませんか。苦しくは?」
「どちらも大丈夫だ。もう少し強くても良いぐらい」
首や肩をじっくりゆっくりほぐされながら、ローレルは考え事をする。せっかくふたりきりになったのだ。ゆっくり話をしてもいいのではないだろうか。
「なぁ、リベリア」
「何でしょうカレジ様」
「その、できれば名前で呼んでほしいな。いつか慣れるだろうと思っていたが、やっぱりむずかゆい」
「では、ローレル様とお呼びすればよろしいでしょうか」
「その様付けはやめられないのか」
「私は奴隷の身です。誰かを呼び捨てになどできません。ご主人様も同じようなことをおっしゃっていましたが、こればかりはどうも」
ブレイドが説得してダメなのなら、ローレルもあきらめるしかなさそうだった。
「じゃあ、その……名前で呼んでくれ」
「かしこまりましたローレル様」
ローレルはマッサージの心地良さに浸り、ついついため息を吐いてしまう。それでも話をやめることはなかった。
「リベリアはブレイドのこと、好きなのか」
とはいえ、何か特別話すことがあるわけではなく、ローレルはただ湧いて出た疑問を口にした。
主従関係だからといって、一つ屋根の下で住むのは普通ではないだろう、と思ったための疑問であったが、あまり深く考えてはいない。
「好きです」
刹那の間さえない、即答だった。
「そ、それは恋愛対象として、か」
「多分、そうです。ですが私は奴隷ですし、ご主人様は見るならともかく色恋沙汰をしたくない人ですから」
想いが叶うことがないと、リベリアは諦めてしまっているようだった。
こんな良い女の子に好かれていながら……そう考えつつも、ブレイドが色恋沙汰をしたくないのは理解できてしまった。ローレルも同じような考えをしているからだ。
ボクシングに熱中していたローレルに色恋沙汰などはない。クライムに来る前、ローレルの周りにいた人たちは軽い気持ちで恋人を作り、「愛している」と囁きあっていた。ローレル自身、そんな軽い気持ちで誰かと付き合おうだなんて思えないし、流れに身をまかせて「愛している」などと無責任なことを言いたくなかった。
本当に愛せる男ができたのならば付き合うかもしれない。だが少なくとも、今まではそんな男と出会っていないし、ボクシングをひたすら続けてきたゆえに機会もなかった。機会がほしいとも思えない。
「私はご主人様のご帰宅を待ち、お迎えができるだけでも幸せです。ご主人様に買っていただいて、良かった」
奴隷だから、買い手によって人生が左右されるのだろう。そしてここはクライムだ。法も何もない場所だ。あまり、まともな理由で奴隷を買う人も多くは無いだろう。
人ではなく、道具として扱われる。
それが恐らく普通だ。だが、ブレイドはリベリアを人として見ているようだった。
「ローレル様はご主人様のことをどう思われているのですか」
「わ、私?」
突然話を振られ、ローレルは戸惑う。
「ローレル様も、こうしてご主人様と生活を共にしていらっしゃいますから、ご信頼はなされているんですよね? あの、その……あまりだらしない感じは受けないので」
考える。
自分にとってブレイドは何なのだろうか。なりゆきとはいえ、同じ部屋に泊まり、こうして一緒に暮らしている。恋愛などという対象ではないのは確かだ。それだけは絶対にない。
「不思議な男、かな」
「不思議、ですか」
出会って間もないが、まるで友人のようにブレイドと接することができる。ブレイドがフレンドリーに接してきているというのもあるのだろうが。
あまり、隔たりを感じないのだ。人と人のコミュニケーションのときに無意識にできる隔たりや壁をブレイドには全く感じない。さすがに何もかもさらけ出しているわけではないが、隠しているわけでもなく本音で接している気がするのだ。
「好きか嫌いかといえば、好きだな。話しやすい」
「そう、ですか……今度背中やりますね」
「あぁ」
リベリアの手が背中に移る。
ぐっ、ぐっと。リベリアが背中を圧迫してくる。心地良さと圧迫感で無意識に息が漏れた。
「ふぅ」
「気持ち良いですか」
「本当、気持ち良いよ……」
「なら良かったです」
リベリアのマッサージが疲労を溶かし、癒していく。快感に浸りながらローレルはまたもため息を吐いた。
「ブレイドは幸せだろうな」
「なぜですか」
「リベリアが傍にいて」
「そんなこと、ないです」
寂しげに、リベリアが否定する。
「ご主人様は闘いが一番ですから」
「そうだな。ブレイドは闘いが一番かもしれない」
だが、それだけではないと、ローレルは思う。
「でも、本当に闘いだけが幸せなら、そもそも家なんて持たないだろうしリベリアだってその……あまり良い言い方ではないが買わなかっただろう」
「まぁ」
「ブレイドもなんだかんだ、帰れる場所がほしかったのではないかな。ちゃんと、自分を迎えてくれる人も」
おはようでもおかえりでもおやすみでもなんでもいい。
自分の帰りを待ってくれていて、そう言ってくれる人がいるだけでも嬉しいときがあるのだ。いなくて悲しいときもあるのだ。
ローレル自身、改めて思い知ったのは父が死んだ後だ。クライムに来て、帰る場所もないローレルは身にしみてそれを知った。自分を迎えてくれる家族も家も無い、寂しさを。
孤独は時に苦痛だった。
ブレイドの家に来て、おはようも何も当たり前のように言われて、少しだけ嬉しかった。
きっと。
きっと、ブレイドも同じなのではないだろうか。だから薬物中毒に関して、自分なりに手を打ってみたのではないのだろうか。
タバコに関してリベリアに話をしないと約束したとき、ブレイドはかすかにだが口の端を吊り上げていた。優しげな、穏やかな笑みだった。
「ここがあるから、リベリアがいるから、ブレイドはきっと闘いを楽しめるのだろうし」
リベリアは手を休めた。少しの間だけ沈黙が訪れる。
やがて、リベリアはほほえんだようだった。
「ローレル様は、やはりお優しいお方ですね」
「優しくはないかもしれないな。あくまで私の思ったことだから、的外れなことを言っているかもしれない」
「それでも優しいですよ」
次は腕をほぐしていきますね、と気を取り直すようにリベリアが言う。
ローレルはなんとなくリベリアとの距離が縮まった気がして、嬉しくなった。
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