達成

 ――蹴りを放つ。


 それが最後の一撃だった。


 ブレイドの放った蹴りを、ローレルは上体をそらして避けてみせた。もう、時間切れである。


「ストップ」


 再び攻撃が来るであろうと身構えたローレルに、ブレイドが休憩を告げる。

 ため息を吐かずにはいられなかった。


「今、一〇分経った。でよ、お前は何で全部避けやがった」


 特訓を中断、額に手を当てながらブレイドは問う。


「お前が避けろと言ったんだろうが」

「あぁ、そうだよ。けどよ、全部避けてみせるバカがいるかよ」


 ローレルは眉をひそめ、ブレイドを睨む。

 二日前。

 ローレルに向かって、ブレイドは確かに「一〇分間避けろ」といった。しかし本気で避けようとし、なおかつ達成してみせるなどブレイドは思いもしなかった。

 ウェイブを引き出すには力を求める必要がある。ローレルに己の無力さを知ってもらい、力を求めさせ、ウェイブを習得させる……そうブレイドは考えていた。


 だが、現実はどうであろうか。ローレルは無力を知って力を求めるのではなく、努力と対応で成し遂げてしまった。ただの一回も弱音を吐かず、体力は尽きても尽きても何度も立ち上がり、例え指先一本動かせなくなったとしても、ブレイドがやめない限りはローレルも続けてしまうだろう。


 今だって本当のところローレルは疲労しきっているはずだ。滝のような汗をかき、肩で呼吸をしながら、こちらを睨みつけている。


「お前、真面目だな」


 ウェイブを解き、肩をすくめる。

 ブレイドはコートのポケットから水蒸気タバコの箱を取り出す。水蒸気タバコを一本取り出し、口に咥える。もう片方のコートのポケットからライターを出して、水蒸気タバコに火をつけた。水蒸気が喉の乾きをなくしていく。


「お前も水分補給しろよ」


 ローレルは不満そうな顔をしながらも、家の壁近くに置かれたペットボトルを目指して歩いていき、掴んで持ってきた。ペットボトルを地べたに置き、親指だけでキャップを開けてズボンのポケットに仕舞い、そうしてやっと水を飲み始めた。


「全く、自信無くすぜ。ウェイブ使ってこのざまとか」

「手加減しているやつが何を言う。攻撃を一発も当てないし、当てそうになったら直前で引くし……」

「そりゃ、一発でもお前が食らったらあぼん、だからな」


 手加減はしていた。だが、ウェイブを使っているブレイドの攻撃を、全て避けるなどということは並大抵のことではない。攻撃をステップや上体をそらして全て避けたローレルは、かなりの反射神経と脚のバネを持ち合わせていると言える。


 足も狙ったが、拳しか使わないボクシングで無警戒になりがちなそれは、ローレルにとっては意味をあまりなさないようで、ローだろうがなんだろうが見切っていた。


 ますます、ウェイブを習得したときの期待が高まる。


「まぁ、いいさ」


 ローレルが成長し、強くなったことに変わりはない。ウェイブはそのうち使えるようにしてみせる。何もプラスがないわけではないのだから、気にする必要はない。

 ブレイドが一人で納得していると、ローレルが眉をひそめ、真剣な顔つきになりながらペットボトルと水蒸気タバコを交互に見ていた。


「ところで、聞きたいことがあるんだが」

「あんだよ」

「どうして水があるのにわざわざ水蒸気タバコなんて買っているんだ。さほど必要だとは思えないんだが」

「言ったろ、運動に集中したいときの水分補給だって」

「いや、でも休憩してるときなら別にペットボトルでも」

「癖だよ癖。欠かせない時期があったんだ」


 欠かせない時期? と、視線が問いかけてくる。


「事情は話してやってもいいが、一つ約束しろ」

「なんだ」

「リベリアにこのことを話すな。話したら」


 ブレイドは拳を鳴らし、声を低めていった。


「場合によっちゃ、お前を殺す」


 唾を飲み込む音が耳に届いた。


「確率は低いけどな。約束も形式上というか、俺の気持ちの問題だ。真には受けなくてもいいが」

「脅しを言われて真に受けなくていいって」

「だから可能性の話だよ」

「話してみてくれ」


 ポケットから携帯灰皿を出して、水蒸気タバコを中に入れる。深く息を吐いて、話を始めることにした。


「リベリアを買ったばっかりのときな、ときどき『煙がほしい』とか妙なこと呟いてたんだよ。俺に逆らう気も、要求する気もなかったらしくて独り言でブツブツと」

「煙、か」

「ただの独り言なら良かったんだがな。手は震えてるわ、目が血走るわで」

「今のリベリアからは想像できないな」

「だろ? で、こりゃタダ事じゃねえって思ってな、リベリアを買った店に行ったんだ。そしたらよ、売り手が薬物中毒者ジャンキーだった。タバコで吸うタイプのな」


 タバコにはいくつか種類がある。クライムには外と違って規制がないから、嗜好品の類はバリエーションができやすい。あらゆる娯楽を求めるクライムの人間は、楽しめればそれでいいという人間も少なくないために、薬物入りのタバコなんて当たり前に売ってある。有害性を知らずにいる人間もいる。


「じゃあリベリアは」

「おう。同じだったジャンキー。『煙がほしい』なんざ言ってたのは、タバコが何だかわからなかったから。煙を吸ったとき、気持ちが良くなるってことだけが頭に入ってたのさ。しかし、売り手も上手いこと奴隷を従えるもんだな。気持ちよくなりたかったら大人しく従えってよ。客の身になりやがれっての」


 ローレルは話を聞きながら、拳を握り締めていた。正義感の強い彼女にとっては、怒りの湧いてくる話なのかもしれない。


「リベリアがほしがってるのは煙だからよ、とりあえず見た目だけ似せてごまかせねえかと思って水蒸気タバコ使うことにしたんだよ。たまに有害物質入ってる偽者が売ってるんだが、まぁ、俺の吸ってるやつにそんな心配はねえ。ちゃんと調べたからな。通常タイプと電子タバコタイプがあるんだが、売り手が使ってた薬物タバコが通常タイプだからな。水蒸気タバコはこの通り通常タイプにした」

「見た目だけでごまかせたのか」

「ごまかせた」


 きっぱり、ブレイドは答える。


「つっても治療薬も併用したがな。多分、リベリアが薬物タバコだと理解してたら無理だったかもしれねえ。だが、まぁ、何とかごまかせた。薬物と違って水蒸気は換気すりゃいいし空気に溶け込むしで、さほど問題にもならねえし中毒にもならねえ。だからリベリアも時間が経つごとに煙をほしがらなくなった」


 とはいえ、ごまかせたどうかは本当のところ微妙だった。ただ、水蒸気タバコが一因となって、リベリアの薬物への依存を一時的にはなくすことができ、その結果を言っただけに過ぎない。


「良かった……」

「今はもうモーマンタイ」


 ただ、とブレイドは言葉を続けた。


「もしも、もしもの話だ。リベリアがタバコについて理解し、気持ち良い煙を吐き出していたのは薬物タバコだと自覚して、何かの拍子で快楽を思い出しちまえば、またあいつは戻っちまうかもしれない」

「だから話すな、か」

「そういうこった」

「わかった話さない。絶対に」


 決意のこもった瞳でローレルは約束してくれた。ブレイドは深く息を吐いた。語りつかれたからだ。もしかしたら、それは安堵によるものでもあったのかもしれない。


「さて、戻るぞ」

「は? もう終わりにするのか」

「お前は目標達成、ついでに俺の気が萎えた。帰ってリベリアに菓子でも作ってもらおうぜ」


 ブレイドはローレルの答えを待たず、自分の家へ戻っていった。



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