約束
「それよりもよ、拳はどうなんだ」
ブレイドが右の拳を指差す。
確認のために手を開いたり握ったりする。腫れはもう引いているし、痛みもほぼない。完璧に治りきったとはまだ言い難いが、拳を振るうぐらいは問題ないだろう。完治まではもう一日か二日ほどかかりそうだ。
「おかげでだいぶ楽になってきた。代わりなのか、情けないことに筋肉痛になってしまったが」
「仕方がねえさ。昨日は死ぬほど動いたからな。今日は少し軽めにするさ」
「別に昨日と同じでも」
「何も長い時間やりゃいいってもんじゃねえし、忘れてねえと思うが目的は波動を使えるようにするためだ」
ローレルが強がろうとしたところを声の下からブレイドが言う。
最もだ、と思って黙り込んだ。
「ウェイブは努力して使えるようになるもんじゃねえ」
心の強さが力になる。
覚悟を力にする。
それがウェイブだ。体を酷使しているだけできるようになるものではない。
「つっても、お前がウェイブ使えねえ理由がよくわからないんだがな」
「どういうことだ」
ブレイドは頭の後ろをかきながら、答えた。
「お前の覚悟は十分なはずなんだよ。クライムの人間に比べたら、尚更だ」
「だが、私は使えてないぞ」
「だからわかんねえんだよ。お前は気持ちだけじゃ誰にも負けねえタイプの人間のはずだ。それなのに、ウェイブを使えねえってのがな」
腑に落ちない。
そう言いたげな顔をしながらも、読んでいた本をテーブルに置く。そして、ブレイドは立ち上がった。首を回し、肩を上下させて軽く体を動かす。
「さて、茶でも飲むか。お前は何か飲むか」
振り返り、ブレイドが聞いてくる。
朝はコーヒー……でも悪くはないが気分ではなかった。
「ミルクは」
「あるぜ」
「じゃあ、ホットミルクを頼む」
「了解」
ブレイドが台所に行ってまもなく、戻ってきた。両手にはカップがあり、一つをテーブルの前に置いた。ローレルのためのホットミルクだ。ブレイドはソファーに座り直し、この前に使っていたコップのようなものでお茶とやらを飲み始める。
「昨日はそれ使ってなかったな」
「元々もらいもんだしよ、これ一つしかねえんだ。前までは二つあったんだが」
「だが?」
「リベリアが落として割っちまった」
懐かしむような微笑みを浮かべ、ブレイドは零す。
「リベリアも失敗をするんだな」
ローレルの呟きに、ブレイドは同意した。
「今じゃめっきり少なくなったがな。これを割っちまったときなんか泣きながら謝ってきたぜ」
「師からもらったものなのだろう? なら大切な物じゃないのか」
そう思ったからこそリベリアも泣きながら謝ったのではないのか。
ローレルが言うと、ブレイドはお茶を一口飲んでから答えた。
「だろうな。確かに形見としては大切だしな」
「怒ったのか」
ブレイドは否定した。
「全然。いつか無くなっちまうもんだ。無くす時期が早まっただけでつべこべ文句は言わねえよ。ふたつあったし、俺はコレクターでもなんでもねえしよ」
ブレイドはローレルに視線を向けて問いを投げる。
「お前だったら怒るのか」
「場合によるな。悪びれもしないやつだったら、怒るかもしれないが……泣いて謝られたら、怒る気なんてなくしてしまうよ」
「お前は優しいからな」
「優しい、か」
「あぁ」
会話が途切れる。
とはいっても気まずい沈黙ではない。ブレイドはお茶をすすって目を細めたりしていた。ローレルもマグカップを手に取り、口をつけてホットミルクを飲む。
しばらくはホットミルクの味を舌で楽しんでいた。
ホットミルクがなくなり、ブレイドにニ杯目をいれてくるか聞かれて断った後、リベリアがリビングにやってきた。
どうやらリベリアは朝が苦手らしい。ひどく眠そうだ。糸のように細めた目をこすりながら、気だるそうに口を開く。寝癖なのか髪の毛が少しはねていた。
「おはよう、ございます」
「おはようリベリア」
「ご主人様は、どちらに」
「キッチンだが」
「そう、ですか」
リベリアはフラフラしながらも、キッチンへ向かった。
後ろから会話が聞こえてくる。
「おはようございますご主人様」
「おうおはよう。寝癖あんぞ」
「後で、直します……それよりも朝食は何にいたしましょうか」
「適当に楽なもん作ってくれ。サンドイッチとか、そんなもんでも構わねえからよ……お前まさかまだ酒が残ってるとか言い出さねえよな」
酒なんて飲んでいたのか、そもそもリベリアに飲ませて良いのか、なんて思ったがここはクライム。法など無いに等しい場所だ。どんな人間が酒を飲もうがどうでも良いのだろう。
「さすがに、あの一口では酔いませんよ」
「じゃあ、いつも通りか」
「はい、いつも通りです」
話が終わったらしく、ブレイドが戻ってくる。新しくお茶を淹れてきていた。ソファーに座り、飲み始める。
「そうだ、ブレイド」
しばらく呆けた後。
あることを思いついたローレルはブレイドの肩を叩いて話しかけた。ブレイドはお茶をゆっくりすすりつつ、こちらを向く。
「あんだよ」
「拳がちゃんと治ったら、私と勝負してくれないか」
「何でだ」
「慣らし、というか。さすがに避けたりするだけでは闘いの勘などが鈍ってしまうだろ?」
ブレイドはコップのふちに口をつけたまま、唸る。ローレルは答えが返ってくるまで黙って待った。
ブレイドが思考を終えるまで、さほど時間はかからなかった。
「まあ、いいぜ。軽い運動程度ならな。たまにはウェイブなしの勝負も悪くねえ」
ローレルとしてはブレイドがウェイブを使っても構わなかったが、どうやらフェアな闘いをしてくれるらしかった。
「本当か?」
「嘘ついてどうすんだよ」
「ありがとう」
気にすんな、とブレイドは返し、お茶を飲んだ。
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