プライド
「いただくぜぇ!」
迫る。
その右手には、釘があった。ネイルガンに使う釘らしい。おそらくだが、ズボンのポケットか何かに入れていたのだろう。長さは、よく見かける短いものではない。突き刺されば十分人を殺せるほどの長さだ。サイファーは釘の先端を、ローレルの目を狙って突き立てていた。
思考が停止しかけたが、ローレルは意識を刹那のうちに集中させた。
間合いがなくなるのも、一瞬。
ローレルの目に釘が刺さるのも、一瞬。
だが、ローレルはこの一瞬が実に遅く感じられた。しかと目を開き、サイファーを見据える。
自分は、何をしにここに来たのか。ただ黙って守られているだけで、いざ自分が狙われたときに何もできずにいていいのか。
いいわけがない。
自分はここに、クライムに闘いに来た。
なら。
ならば、この一撃はせめて避けるぐらいはしてみせる。
自分は、守られるだけの女じゃない。
拳に、腕に、脚に、体に。
全てに力をこめる。一瞬の攻撃を、刹那の回避でやり過ごす。ローレルのやることはそれだけだ。それだけを考える。
後のことは考えるな。今やると決めたことだけに集中しろ。そう、教えられたから。
サイファーが迫る。釘が迫る。一秒も経たないうちに、サイファーとローレルの距離はなくなり、ローレルの目はつぶされる。
サイファーとの距離が、もう一メートルでさえなくなった瞬間。
ローレルの力が爆発した。
全身を使って横に跳ぶ。それだけで、サイファーの攻撃を避けた。
「なにっ」
先ほどまでローレルがいた場所。そこで立ち止まったサイファーの表情が驚愕に染まる。ローレルは思わず、してやったと笑みを浮かべてしまった。
そして、動きの止まったサイファーに、笑みを浮かべた悪魔が迫る。
「余所見は、命取りだぜ!」
「なっ」
ブレイドが回し蹴りを放つ。単純な動作から出る攻撃だが、だからこそ威力は高い。その回し蹴りを、サイファーは右腕で受け止め、その右腕に左手を添えて防いだ。
「ぐっ」
サイファーはうめくが、ブレイドの攻撃を受けきる。先ほど、ブレイドがファウルの蹴りを防いだときと同じ技だ。
「アンタ、俺のマネしやがったな」
「けっ。見たもんはすぐ覚えちまうからよぉ……」
サイファーはブレイドの脚を弾き飛ばし、突進した。ブレイドの腹部に肘を叩きつけ、空いた拳でブレイドの顎を殴る。ブレイドはまともに攻撃を受けてバランスを崩す。
「こんな風に、いろんなことできちゃんだよねえ!」
サイファーは両拳を自身の前に置き、膝を曲げ、重心を落としてから、右拳を突き出した。
ストレート。
ローレルがファウルに使っていた技だ。ファウルとローレルの闘いを、サイファーが見ていたのかもしれない。
その、サイファーのストレートが、ブレイドの鳩尾に突き刺さる。
「ブレイド!」
思わず、叫ぶ。
ブレイドは二、三歩後退してから立ち止まった。依然、悪魔のような笑みを浮かべているが、余裕が感じられなくなっていた。
「やるじゃねえか」
ブレイドはサイファーの右腕を掴む。脚を動かし、サイファーを振り回し始める。
「おぉ?」
サイファーは引っ張られるままに、ブレイドの周りを回り、ついには足が地に着かなくなった。ブレイドはある程度勢いをつけると、サイファーを投げた。サイファーは何メートルも飛ばされ、地面を転がり、ついには止めてあった自身の車に体をぶつけた。
「ごふっ」
サイファーは立ち上がると、しばらく動かなかった。視線を動かして状況を確認した後、何かに気付いたらしく目を見開く。
「てめえ」
ブレイドを睨みつける。そして、背後にある車のドアを開けた。
「覚えてやがれ、いつかぶっ殺してやる!」
そう吐き捨て、車に乗って走り去っていった。
「たす、かった……?」
サイファーの乗った車が、完全に視界から消え去ったのを知り、ローレルは肩の力が抜ける。
「よう。さっきのはナイスな回避だったぜローレル」
ブレイドがローレルに歩み寄り、声をかける。炎のような紅い光は、もう消えていた。
「なんで、サイファーは逃げたんだ」
「サイファー? あいつの名前か。なんだ、知り合いか」
「いや、あいつらの会話を聞いて名前を聞いただけだ……って、そうだ。もうひとり!」
サイファーは一人で車に乗り、一人で去っていった。ということは、ブレイドの踵落としを受けて倒れたファウルはまだこの場に……
「死んでるよ」
「な、に」
ブレイドから発せられた言葉が、ローレルには信じられなかった。
「殺したぞ」
にべもなく報告するブレイド。さっと血の気が引いていくのが、ローレル自身にもわかるほどだった。
人が、死んだ。
その事実が、ローレルに重くのしかかってきた。
「死んだ、のか。本当に」
「あぁ。息もしてねえし。良かったな」
ブレイドは特に罪悪感もなく、当たり前のごとく言う。だがローレルには軽く済まされるものではなかった。
「……良いわけ、ないだろ」
「はあ?」
「人が死んで、良いわけがないだろ」
ローレルは思わず、震えた声で呟いてしまっていた。
「良いじゃねえか。さっきまでお前を誘拐してどうにかしようとしてたやつだぜ。死んで清々するのが普通じゃねえか」
反論はできなかった。クライムは元々、人がいくら死のうが構わない場所だ。だから、ブレイドのほうが正しい。ただ、ローレルが納得いかないだけの話だ。
世界のゴミ箱。ゴミが燃えても、誰も気にしない。それが、クライムという人工の島だ。
「バイクどっかいっちまったし、とりあえず歩いて戻ろうぜ。多少時間はかかるが、遠くはねえ」
ブレイドの提案に、ローレルはただ頷くしかできなかった。
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