ふたりの夜
「リベリア、酒」
リベリアが部屋からリビングに戻ってくるなり、ブレイドは少々乱暴に命令した。
「はい、かしこまりました」
ブレイドの言い方を特に意に介さず、リベリアはキッチンへ向かっていく。
「ご主人様、おつまみのほうは」
「いらねえ」
しばらくすると、リベリアがグラスと酒のボトルを持ってやってきた。グラスを置き、ボトルの栓を抜いて傾けると、グラスに酒が注がれた。程よい量が注がれ、グラスの横にボトルが置かれる。
「リモンチーノでございます」
「レモンのやつな」
「その通りでございます」
「お前は飲まないのか」
隣に座るリベリアに目を向けながら、ブレイドは問う。
「私がお酒に弱いの、知っていますでしょう」
そうだったな、と返し、リベリアの肩に手を回す。リベリアは抵抗も何もせず、黙ってブレイドに体を預けてきた。
空いた片手でグラスを持ち、口をつける。
口いっぱいに甘みとレモンの風味が広がっていき、舌を鳴らして味を楽しむ。
「どうだ、ローレルは」
「どう、と申されますと」
「性格だとか見た目だとか、何でもいいさ。しばらくは一緒にいてもらうからな、不満なら言ってくれ」
リベリアは瞳を閉じ首を振った。
「不満など、とんでもございません。ご主人様がお決めになったことには、意見は言えど従いますから」
「反抗してもいいんだぜ。可愛がってやるからよ」
「……それで、カレジ様のことでしたよね」
返事に困ったのか、リベリアが話題を戻す。
「優しくてお綺麗な方だと思います。私と普通に接してくれますし、話していて嫌な感じはしません」
リベリアは奴隷だ。簡単に言えば、人の扱いを受けない。他人から見下されることも多い立場だった。
そういった経験をしているリベリアからすれば……いや、クライムの人間から見ようが、ローレルは優しい心の持ち主と言える。悪く言えばただのお人よしなわけなのだが。
「それにその、格好いい……ですね」
「女で褒め言葉になんのか」
「さあ、わかりません」
ブレイドの疑問に、リベリアは首をかしげる。
「ただ、目が真っ直ぐでお綺麗で。自分をしっかり持っていらっしゃるところとかが」
その言葉には憧れが含まれているようだった。
「格好いい、なんて思いました」
「……へぇ」
ローレルの、クライムにいる人間には珍しい純粋さや愚直さが、リベリアの心を惹きつけているらしかった。これならば、ローレルをここに泊まらせることに一切問題はなさそうだ。
「リベリア」
「はい」
ブレイドは軽く手で回していたグラスを口まで持っていく。
リベリアの肩を抱く力を少しだけ強め、酒を口に含む。グラスを置き、その手をリベリアの柔らかな頬に触れさせ、強引に引き寄せる。
そしてブレイドはリベリアの小さな唇を自身の唇で塞ぎ、酒を流し込んだ。
「ひゃっ……んっ」
甘い悲鳴が漏れる。
リベリアは突然のことに肩をびくりと震わせたが、少しすれば落ち着き、ブレイドの口付けに身を委ねた。リベリアの喉が、小さく上下するのを感じる。
唇をそっと、ゆっくり離す。頬に触れていた手も同じように。
「キスってレモンの味らしいな」
ぼうっとこちらを見上げるリベリアに向けて、ブレイドは囁く。
しばらくした後、リベリアは我に返って胸元に手を置いた。
「あ、あの、困ります」
顔をそらし、切なそうな表情で零す。
「そんないじわるなこと、しないでいただけませんか……」
濡れた瞳を泳がせながら、か細い声でリベリアは言った。
「イヤか」
「イヤ、というわけではございませんけれど」
「酒の味は」
「美味しいですけれど」
顔を紅潮させて、戸惑いがちに答えるリベリアを、ブレイドは笑う。
「ひゃっ」
ブレイドはリベリアの体をこちらに引き寄せる。そして、両手で抱きしめた。
「あ、あのっ、ご主人様」
「可愛いぜ」
「か、からかわないでください」
普段は比較的落ち着いているリベリアだが、ブレイドが不意打ちをすると慌てふためく。その落差が、ブレイドにはたまらなく面白かった。
リベリアも嫌がっているわけではない。もし嫌であったとしても、リベリアは奴隷だ。拒否権などはない。ブレイドの所有物であり、それ以上でもそれ以下でもない。
「やめてほしいか」
リベリアの耳元で囁く。リベリアは唸った後、恥ずかしそうに呟いた。
「もっと、強く抱きしめてほしいです」
「そうかよ」
腕に込める力を少しだけ強める。ブレイドだって加減は知っている。リベリアが痛みを感じない程度に優しく、強く抱きしめた。
体が密着し、先ほどから聞こえていたリベリアの鼓動もより一層大きくなる。
「ご主人、様」
幼い子供が甘えるように、リベリアは弱い力でブレイドの服を掴む。
リベリアは愛されて育っていない。親に見離され、奴隷として売りに出され、その中でブレイドに買われてここにいる。
ゆえに愛など知らなかった。子供が親に甘えるなどということも当然して来なかった、知らなかった。
リベリアが知っているのは奴隷としての知識やブレイドが教えた家事や娯楽作品の知識だ。
抱きしめてほしい、というのは今まで甘えることを知らなかったリベリアの、ごく単純な甘えたいという感情から来ているもの。
ブレイドも同じようなものだ。今はいないが、愛してくれた人もいた。だが、愛し方を知らない。
だから、からかう形でしか人を抱きしめられない。
「ご主人様」
「何だ」
「今回はどれくらいここに居てくださるのでしょうか」
「知らねえ。少なくともローレルがウェイブを覚えるまではいるさ」
「それは、カレジ様が早く覚えれば」
「早くなるかもな」
「……そう、ですよね」
ブレイドは黙ったまま、リベリアの頭を撫でた。
リベリアが恋愛感情にしろ、そうでないにしろ、ブレイドに特別な好意を寄せているのはわかっている。わかっていなくてこれができるわけがない。もっと一緒にいたい、そう求めているのもわかっている。だが、ブレイドはリベリア一人に家の管理を任せて、出て行く。
理由はある。が、理由があるからといってリベリアに寂しい想いをさせていることに変わりない。リベリアだって十六の少女だ。一人では何かと辛いこともあるだろう。
「熱い、です」
「酒飲ませたからな。熱いなら離れるか」
「いや、です」
より一層、リベリアは強く服を掴む。
しばらく抱き合ったままでいたが、やがてブレイドの方が手を離した。
「あ」
「喉渇いた。酒」
「……はい」
リベリアは名残惜しそうにブレイドから離れ、ボトルを傾けて空のグラスを酒で満たす。リベリアが酒を注ぐのをやめた途端、ブレイドはグラスを持って酒を飲む。空いた手でリベリアの肩を抱き、元の状態に戻った。
「こんな時間がずっと続けば」
「そりゃねえさ」
リベリアの呟きをブレイドが潰す。
「ずっと同じほどつまんねえことはねえ。酒の味にも飽きる」
「はい」
「ま、でも今こうしてる分には悪くねえ。むしろ楽しい」
グラスを回しながら、ブレイドは笑みを浮かべる。
穏やかな、自嘲気味の笑みを。
「どれ、酒に慣れさせるためにもういっちょ口移ししてやろうか」
ブレイドが冗談で言う。リベリアは顔を真っ赤にしながら小さく首を振った。
「も、もう結構です。凄く、恥ずかしいので」
「そいつは残念だ」
それから、ブレイドは三杯ほど酒をリベリアに注いでもらい飲み干した。時間が刻々と過ぎていき、眠気に耐えられなくなったきたリベリアがあくびをする。
「眠くなってきたか」
「えぇ、まあ」
「無理せず寝ろよ。いつか居なくなるがよ、今じゃねえし明日でもねえ。明日また美味い飯食わせてくれよ」
「……はい」
リベリアはソファーから立ち上がり、振り返る。
「おやすみなさいませ、ご主人様」
「おう、おやすみ」
ブレイドは寝床へ向かうリベリアの後姿を見送る。それからボトルを持ち、グラスへ傾ける。
リベリアが居なくなり、静寂が訪れたリビングには酒を注ぐかすかな音が響いた。
ボトルがもう酒が一滴もないことを告げたとき、一日の終わりも告げられている気がした。
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