リベリアと

 ブレイドがいなくなった後、ローレルは空を見上げながらぼんやり考えていた。


 眠い。

 このまま眠ってしまえばどれだけ楽だろう。


 目蓋が重い。手も足も、指先一本でさえも動かすのがおっくうだ。体から少しも熱が引いていかない。こんな疲労感は初めてではないにしろ、慣れるものではない。

 こんなに疲労を感じたのはクライムに来る前くらいか。


 左腕がないから。女だから。


 そんな理由で負けを認めなくなかった。父に教えられたボクシングの闘いをそんな理由で敗北にしたくなかった。

 だから、練習できる時間は全て練習に費やしてきた。母の代わりに、父のために、家事はやりたかった。学校に通わなければいけないのもわかっていた。ゆえにどうしても時間が限られる。その限られた時間をただひたすら練習に費やした。


 胸が痛くなるほどに大きく息を吸う。少しだけ、過去の自分に戻った気がした。


「カレジ様」


 頭上から声をかけられる。目だけを動かして視線を向ける。

 そこにいたのはリベリアだった。ローレルとブレイドが特訓している間に着替えたのだろう。肩がむき出しになっているピンクのカットソーを着て、青色のスカートをはいていた。


「そんなに汗をかかれたまま、着替えもしないと風邪をひかれます。戻りましょう?」


 心配してくれているのだろうか、リベリアは屈んでローレルの顔を覗き込む。

 立ち上がろうと、体に力を入れる。しかし、立ち上がれない。頭を少し浮かせただけでそれ以上動かせなかった。


「手伝いますから」


 リベリアはそういって、ローレルの肩と背中を支えて押した。おかげで上体を起こすことができた。歯を食いしばり、脚に力を入れる。リベリアの助けを借りながらも何とか立ち上がることができた。


「ありがとう」

「いえいえ。お気になさらず」


 ふらつきながらも、ローレルは家へ戻る。


「大丈夫ですか」

「あぁ、何とか」


 一度立ってしまえば何とか歩くことができた。といっても、ときどきバランスを崩してしまうが。

 玄関の扉をリベリアに開けてもらい、ローレルとリベリアは中へ入る。


「靴、脱いでくださいね」

「ん? あぁ……そういえば脱ぐんだったな」


 靴を脱ぎ、リビングへと向かう。


「よう、やっと戻ってきたか」


 ソファーに座っているブレイドが、こちらを見て言った。


「随分疲れた顔してるぜ。さっさと風呂に入ってさっぱりしてこい」


 入浴することに異議はなかった。心身共に疲れきってしまってまともに動くことができなさそうだった。お風呂に入ってゆっくり体を癒せば少しは疲労感もなくなるだろう。


「あぁ、そうする」

「では、私は準備してきますので」

「え、何を」


 ローレルに聞かれ、リベリアは首を傾けた。


「入浴の準備、ですけれど。私もご一緒させていただきますので」


 リベリアの言葉が理解できず、ローレルは視線でブレイドに説明を求める。


「ふらっふらのお前が風呂入ってぶっ倒れたら面倒だろ。だから、リベリアなりの気遣いじゃねえの」


 だからといってこの歳で誰かと一緒に入浴するのは、何だか恥ずかしかった。


「私は、大丈夫」

「説得力ねえよ」


 強がろうとしたローレルを、ブレイドがたった一言で切り捨てる。


「その、いろいろ大変でしょうし、お手伝いできたらと思いまして……」


 リベリアの言葉はローレルを哀れむようなものではなく、純粋に手伝いたいという気持ちが伝わってきた。


「ご迷惑、でしたか」


 心配そうに、リベリアが見上げてくる。

 断るのは気が引けた。


「……いや、迷惑というわけじゃないんだ。正直立っているのさえ辛いし、手伝ってくれるのは嬉しい。ありがとう」


 リベリアは口の端を少しだけ吊り上げる。


「えぇ。では、準備してまいりますので」


 頷いてからリベリアは自身の部屋に入っていった。


「私も着替えを取らなければ、な」


 一人呟き、リベリアの後を追うようにローレルはふらつく足取りでリベリアの部屋へ入っていった。




  △▼




「ロイヤー・ハーメルン、か……面白くなりそうだ」


 ローレルとリベリアが入浴をしている間、ブレイドはソファーでくつろいでいた。風呂を覗きに行って一騒ぎするのも悪くはない気がしたが、普段通りに生活しているほうが今は良い。


 ロイヤー・ハーメルン。


 ローレルが目標とする人物の名前である。この名前に、ブレイドは覚えがあった。


「こりゃしばらく、退屈しなさそうだぜ」


 独り言はブレイドの癖になっていた。幼い頃から青年になるまで、頼れる友人、仲間というものがほぼいなかった。

 ブレイドにとって不満や喜びを打ち明ける相手は自分だけ。自分に語りかけることで自分の不満を吐き、正気を保ってきた。いや、実際は保ててはいないのかもしれない。

 ともかく、子供時代に染み付いた癖は消えない。

 久しぶりに見るドラマを楽しみながら、ブレイドは思考を巡らせる。


 ハーメルンと闘いに来た、ローレルのことだ。


 今はまだウェイブを使えない。だが、ウェイブさえ使えるようになればローレルは相当強くなるだろう。ボクシングの技、鍛えられた右拳、ウェイブを使っているサイファーの攻撃を、一度とはいえ避けて見せた反応速度と動きの速さ。これほどまでに強い女がかつていたか……いや、いない。ローレルが積み上げてきたものは計り知れないものだろう。


 強いなら、このままなのはおしい。ウェイブが使えないまま、相手に殺されるような状況に陥る可能性があるならば、ブレイドがウェイブを教えてやることに何ら不満はない。いつだってそうだ、ブレイドは自分が楽しければそれでいい。意味などはない。


 ウェイブをローレルが使えるようになるまではどうしても時間がかかる。今やっている方法では、一生使えないままで終わる可能性もある。だからこそ、他の手段を考えなければならない。


「……うん?」


 ドラマを見ていたブレイドは、今現在見ていた場面で首をかしげた。その場面はよくあるシーンだ。

 主人公の大切な恋人が人質にとられるシーン。そして、人質を見せられて主人公が拳を握り締めて怒りをあらわにするシーンだ。このお決まりのパターンは、物語が最高に盛り上がる前の余興とでも言えるだろう。


「これ、使えるんじゃね」


 助けを求めるヒロイン、助けようとする主人公。

 それを見て、ブレイドは閃いた。

 アイデアが閃きさえすればあとはどう実行するか考え、より良い成功のために工夫するだけだ。


「一発勝負の賭けだが、面白そうだ」


 ブレイドは笑みを浮かべる。

 いつも通り、悪魔のような笑みを。

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