助け
ブレイドがローレルを見つけられたのは、ローレルからしては幸運だったのかもしれない。
老人から金を受け取り、外を出歩いていたときのことだ。視界に、ローレルを担いで走る男を見つけた。このままでは、ローレルは誘拐犯のモノとなってしまうだろう。誘拐犯がローレルを何のためにさらったのかはわからないが、このようなことが起こるのは予想ができていた。
ローレルは目立つからである。
男勝りの戦闘能力、隻腕の女。おまけにそこそこの美人ときた。ローレルを捕まえて都合の良い人間は少なくないだろう。奴隷商人、殺人、強姦……クライムではなんでもありだ。ゆえにローレルには忠告をした。しかし、無意味だったわけだが。
忠告するだけでも、クライムでは良心的かもしれない。助けるなど、バカのやることだ。こういう場合、大抵助ける人間にメリットはなく、状況が有利なわけでもない。面倒ごとに巻き込まれるのを嫌って、助けないのが当たり前だ。クライムに正義や良心は邪魔だ。特に、中途半端なものは。
クライムでの治安は自治意識と割れ窓理論(割れている窓を放置していると他の窓も壊される)に基づいた徹底した清掃、環境整備による治安維持によって成り立っている。従って清掃、環境整備関係の仕事は高給だ。つまり外で犯罪と呼ばれるものを取り締まるのは環境とその場の人間の意識と仕事、暗黙のルールなどであり、法ではないのだ。
野生の動物が無闇に同族を殺さないのと変わらない。
下心で美女を助ける、ならありえるだろうが……そんな浅はかな考えの人間は末路が大体決まっている。
ただ、ブレイドはバカだった。それだけの話だ。
ブレイドは周りを見渡し、バイクを止めて騒いでいる集団を見つけると、そこへ向かって歩いていく。
「おーい、そこの兄ちゃん」
適当に、動きの鈍そうな男に話しかける。
「あぁん?」
「イイバイクだな。金やるから見せてくれ」
いいながら、老人からもらった金をバイク男に渡す。バイク男は迷わず受け取った。
「おいおいマジかよ。てめえいいやつだな。いいぜ、見るくらいなら」
笑みを浮かべ、バイク男は嬉しそうに答えた。どうやらバイクが好きらしい。バイク男の指差したバイクは汚れが比較的少なかった。赤いボディのバイクは改造が施してあるらしく、通常のバイクにはないボタンがアクセル付近にあった。
「こいつは何だ?」
バイクをいじり、ブレイドはバイク男に問いかける。ブレイドはローレルが男に車へと放り込まれるのを、見逃してはいない。
「ニトロだよ」
「なるほど……こいつは速いだろうな。そんじょそこらのバイクよりずっと」
「あったりめえよ。どうだい、俺のバイク」
バイク男の問いに、ブレイドは悪魔のような笑みを浮かべて答えた。
「おう、カッコイイぜ。鍵が付いているとこなんか最高だぜ」
バイクについているセルボタンを押し、右脚を大きく後ろに振り上げながら、クラッチをつなげてアクセルもゆっくり回す。スロットルを回し、エンジン音を響かせながらブレイドはバイクに跨った。跨るや否や、バイクが動き出す。
「借りるぜっ!」
「お、おい! ど、泥棒ぉ!」
バイク男の情けない叫びと、仲間の笑い声はもうただの雑音になっていた。
ローレルを乗せた車はすでに発進してしまっていたが、どこへ走っていったのかは記憶してある。後は勘で見つけて、追いつけばいい。
「久しぶりにバイク乗るからヘマしねえようにな」
スピードを上げながら、ブレイドは呟く。心地良い風がコートをなびかせる。
夜の闇の中を、バイクは走る。それを追うようにオレンジ色の残光が闇を駆け抜けていった。
やがて、ブレイドの正面に車が現れた。シルバーの車は、先ほどローレルが放りこまれた車と同じ種類だ。おそらく、同じ車だろう。
ブレイドはすかさずニトロのボタンを押す。エンジン音が一瞬、爆発したように大きくなり、バイクを加速させる。体にくる重圧をものともせず、ブレイドは車に迫った。そのまま横を通り過ぎ、追い抜く。加速しすぎたのだ。
「ありゃ」
やりすぎてしまったことを若干反省しながら、ブレイドは後ろを向く。運転している人間はローレルに負けた男だ。後部座席側に体を拘束されたローレルがかろうじて見える。助手席には赤髪をオールバックにした、見知らぬ男がいた。何やら話をしているらしく、ブレイドが車を見ていることに気付いていない。
男などどうでもいい。ローレルがいるのが確認できれば十分だ。
「今助けてやるぜ、お嬢ちゃんよぉ」
減速し、車の横に並ぶ。
左ハンドルの車。その右側に並んでしまったので運転している男は攻撃できない。後部座席の窓を破壊するというのも手だが、バイクに乗って窓を破壊するのはなかなか面倒だ。バイクから落ちないように、なおかつ窓を破壊するほどの威力がする拳を叩き込まなければならない。それに、割れたガラスがローレルに当たらないとも限らない。
そっと手を伸ばし、後部座席のドアノブをいじる。当然というべきか鍵がかかっていた。バランスを崩しそうになり、少し後退してしまう。車から離れそうになったが、なんとか持ち直し、横に並びなおす。
「上手くいかねえもんだな」
男たちはブレイドを気にしてないのか、前を向いたままだ。
ローレルは驚いた表情で、ブレイドを見ていた。体が拘束されているが足や腕が使えないだけで、完全に身動きが取れないと言うわけでなさそうだった。
「ローレルに動いてもらうか」
ブレイドはローレルに見えるように、車の鍵を指差す。内部から鍵をあけてもらえれば、ブレイドがドアを開け、安全にローレルを助け出せる。それがもし無理なら、少々強引な手でいけばいい。
ローレルはブレイドの指差した方向を見て、鍵を開ければいいとわかったらしかった。身をよじり、鍵を開けにいく。すると、ローレルの動きに疑問を持ったのか、赤髪の男が後ろを振り向いた。
「やべ」
『バイクを突き飛ばせ!』
運転手に向かって、そんな怒号が吐き出される。
車がブレイドに体当たりするのと、ローレルが歯を使って鍵をあけたのは同時だった。バイクはバランスを崩し、ブレイドごと倒れそうになる。
「ちぃっ」
ブレイドはバイクを蹴った。その反動を利用して車のドアノブに手をかけ、足で車体を踏む。バイクが回転しながら火花を散らし、後ろへ消えていく。
ブレイドは車のドアを開けた。誰よりも早く、片手でローレルを縛っているロープを持ち、外へと引っ張り出す。すぐさまローレルを抱きしめた。右手を離し、車から落ちる。道路を転がりながら、ブレイドはローレルを庇い受身を取る。
「うっ」
回転が止まった瞬間、ローレルがうめく。ブレイドは上にいるローレルを横へどかし、立ち上がる。そしてローレルを抱えてから、道路から出た。
「へい、お嬢ちゃん。大丈夫か?」
「ぶ、ブレイド……」
「覚えててくれて嬉しいぜ、ローレル」
疲れきった表情で名前を呼んだローレルに、ブレイドが答える。
道路の外は人工的な草原だ。そこにブレイドは腰を下ろし、ローレルを横たわらせる。ローレルを拘束しているロープをやや強引に解き、開放する。
「動けるか」
「いや、悪いが……逃げられるほどには動けない」
ローレルは上体を起こし、真剣な顔つきで言った。ローレルの体を見て、右手の甲が腫れているのがわかった。後ろでブレーキの音が響く。もしかしなくともあの二人だろう。
「さて、どうするか。バイクはイッちまったし……」
「逃げろ。私のことなどどうでもいいはずだ」
「あぁ、ただ綺麗なだけの女ならどうでもいいね。けど、アンタは違うだろ」
「だが」
ローレルが反論する前に、殺気がブレイドを襲った。反射的に、ローレルを抱えて横へ跳ぶ。視線をめぐらせて自分がいた場所を確認すると、地面に釘らしきものが刺さっていた。
「くっ」
咄嗟に振り返る。赤髪の男が持っている銃のようなものから、プシュッという軽い音と共に釘が射出された。
ネイルガンだ。
ブレイドは釘を正確に目で捉え、人差し指と中指ではさみこむようにキャッチする。目と鼻の先に、釘の先端がきていた。月光を反射して凶器めいた光を放っている。
「危ねえ……」
「偽善者ちゃんはお家に帰ってオネンネしてろってんだよ」
赤髪の男の怒号と共に、更に釘が発射される。今度は親指と人差し指ではさむようにキャッチした。そして、横へ投げ捨てる。
「武器なんざアテにならねえぜ、誘拐犯さんよ」
ローレルに背を向けたまま、ブレイドは立ち上がる。思考はすでに闘いに切り替わっていた。逃げるなどという選択肢は最初からない。
「最近、見るだけだったんだが……運動しねえと体がなまっちまう。ちょうどいい運動さ」
ローレルを安心させるように、ブレイドは笑みを浮かべながら言い放った。
悪魔のような笑みだった。
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