ウェイブ

 ローレル。


 隻腕の女の闘いを初めて見てから、数日が経った。

 ブレイドはこれまでに四回ほど、ローレルの闘いを観戦していた。ついでに賭けを持ちかけてきたあの老人とも、軽く話をする程度の親密度にはなっていた。


 観客席で、ブレイドと老人は並んで座り、賭けをする。ブレイドはいつもローレルに賭け、老人は相手側に賭けた。


「今日こそ、ワシが勝つからな」


 老人がブレイドを睨みつける。ブレイドは肩をすくめた。


「いつになったらじいさんは懲りるんだよ」

「決まっておろう、あの女が負けるまでよ」

「ここじゃ、あの女が負けるなんてあんまねえと思うが」

「それはどうじゃろうな」


 老人はあきらめる気などないようだった。


 まあ、いい。


 ブレイドは闘いが見れさえすればそれでいいのだから。

 アイスリンクへ、ゲートをくぐって出てきた両者が入ってくる。

 両者、というのはもちろん、片方がローレル。隻腕の女だ。

 もう片方は、男だ。特徴のない、希薄な雰囲気の男だった。


 だが、今までローレルの相手をしていた人間の中では一番異質であった。男自身に特徴はない。

 ただ。

 男の体を覆うように薄い紫色をした、靄のようなものが発生していた。


 ――ウェイブ。


 そう呼ばれているものを、男は身に宿していた。

 端的に言ってしまえば身体能力を強化する力のことだ。


 急増、波。

 そういった意味を含む「ウェイブ」という言葉が使われているのは大波のように戦況をひっくり返すほど、ウェイブを発動させたときの身体能力が化け物じみているからだ。 


 今まで常人だったものが、一転して「超人」の力を得られる。


 それがウェイブ。


 術のようなもので、誰でも使えるわけではない。訓練だけでは手に入れることはできず、本人の覚悟や力も必要だ。

 ローレルは男のウェイブを見て、驚いていた。対抗してウェイブを発動させないあたり、ローレルは使えないらしい。もしかしたら知らないのかもしれない。


「ほうほう……こりゃいかんな。女はどうでるかのう」


 男を見た老人がさぞ面白そうに呟く。


「さあな。負けるかも、しれねぇな」


 ブレイドはそう答えるしかなかった。

 ウェイブで得られる力は尋常ではない。いくらローレルが強かろうと、負ける可能性のほうが高かった。


「今更嘆いても仕方ないぞい」


 勝ち誇ったように老人が話しかけてくる。


「嘆いてなんかねえよ。賭けは賭けだ。負けたら払うさ」


 ただ。


 ブレイドは期待していた。

 もしかしたら、ローレルは勝てるかもしれない。

 ローレルが勝つこと自体は、ブレイドはあまり興味がない。だが、ローレルが波動を使った相手に勝利してみせるほどの闘いができるのならば、楽しめる。


 さあ。

 魅せてくれ。


 出会って間もない少女に過度な期待をする。

 それを自覚しながら、ブレイドは期待せずにいられなかった。


 ローレルは後退り、姿勢を低くする。胸の前においた右拳を、強く握り締める。それを合図にしたのか、男がローレルに詰め寄った。


 距離を詰めた男は右腕を振るう。なんのひねりもない。肩を支点に、力任せに腕を振るうだけだった。だが、ローレルの細い体には十分脅威であるし、頭に食らえばひとたまりもない。脳震盪を起こして気絶すればいいほうであろう。下手をすれば死ぬ。


 ローレルは男の攻撃を避けた。左に重心を置き、前かがみ気味になることで腕の下を潜り抜けた。同時に、拳を男のわき腹へ叩き付けた。


「上手いな。けどそれだけじゃ無意味だぜ」


 ローレルの動きは悪くない。しかし、ウェイブの前では生身の一撃は効果が薄い。

 結果、男はひるみもしなかった。ローレルの一撃が軽いわけではない。重心移動や腰の動きも兼ねて放たれた拳は重いほうであろう。その重い一撃さえ、ひるむことがないのがウェイブによる身体強化である。ダメージは与えられたのだろうが、気休めにさえならないほどのものだ。


 ローレルは素早くバックステップを踏むが、男がすぐさま距離を詰めなおした。男は勢いをつけ、前蹴りを放つ。

 男の動きは素人のそれだが、闘い慣れはしているらしい。動きにぎこちなさがない。技術を磨き上げたというよりは慣れている感じであった。


 ローレルは鋭い前蹴りを上体をそらし、紙一重でかわした。そしてそのまま、バックステップ。間髪入れずに床を蹴り、前屈みになりながら、男の懐に入り込む。更に一撃、鳩尾へ拳を打ち込んだ。拳を引き戻したローレルは上へ向けて腕を突き出す。振り上げた拳は、男の顎をとらえる。


 だが。


 それらもあまり効いた気配がなかった。

 男は腕を振るう。ローレルはそれを軽くすり抜ける。


「よくわからんが、女が不利なようじゃの」

「そうだな。攻撃が効いてねえし」


 どうやら老人はローレルが何をしているのか良く見えないらしい。それもそうだろう。アイスリンクから観客席は離れているし、ブレイドの目が良いだけで老人には闘いの詳細はわからない。ローレルの動きは素早く細かい。正確に見て理解できる人間はさほどいないだろう。無論、ブレイドはわかる。


「全額、払ってもらうからのう」

「まだ負けると決まったわけじゃねえぜ」


 相手にそれほどダメージを与えられていない。しかし、それが敗北を決定付けるものではないことをブレイドはよく知っている。全くダメージがないわけではないのだ。それに、痛みを感じない故に身じろぎさえしない人間もいる。


 ローレルが男を倒すほどのダメージを与えられれば、ローレルが勝つ。それまでに男の攻撃を食らってしまえばローレルが負ける。状況的には男が有利だ。だが、ローレルの動きは初心者ではない。


 効力が薄いとはいえ、ウェイブを使っている男の動きを上回るスピードでローレルは動いている。

 攻撃を当て続ければ勝てるかもしれない。少しでも油断すれば負けるかもしれない。そんなローレルの状況は、闘いを見ているブレイドにも十分なスリルを感じさせた。久しぶりの緊張感に、ブレイドのテンションもあがる。


 手に汗握る闘い。なんともいえないスリル。血を騒がせる熱いモノ。


 これでこそ闘いだ。これでこそハンズだ。


 ブレイドはいつしか、そのハンズに夢中になっていた。


「いつまであの女は動けるんじゃ」

「決まってるさ、死ぬまでだよ」


 ハンズにルールはない。死ぬまでやり続ける。殺す意図がなくとも、結果的に殺すか重傷を負わせるのが多い。それが普通であり、ローレルのように相手が気絶させてから闘いを終わらせるほうがおかしい。だから、ローレルは死ぬまで動き続ける。

 ローレルはやがて攻撃するのをやめ、回避に専念し始めた。男の攻撃をひたすら避け、ステップを踏む。ローレルが動くたびに、長い髪がまるで馬の尻尾のように揺れた。


 そして。


「おっ」


 男が思い切り腕を振り、無防備になった。

 この一瞬を見逃すローレルではなかった。


 再度、懐に入り込む。


 脇を締め、顔の横辺りで拳を構える。ひざを曲げ、重心を落とし、右拳を突き上げた。

 閃光のごとく走った拳は真っ直ぐに、男の顎に叩きつけられる。


 しかし、男はひるみもせずにまだ動く。ローレルを捕まえるために、両手を振り上げる。

 ローレルは男よりも早く、更なる攻撃に移っていた。

 拳を引いて、右から叩く。

 また顎が叩かれる。


 男が、ひるむ。


 それでも捕まえようと腕を振るうが、ローレルは身を屈めてすり抜けた。

 ローレルは間髪いれずに身体を引き戻し、距離を変えるとさらに拳を叩き付けた。


 一発、二発、三発。


 軽く拳を打ちこむ。肩を突き出すように、前に出て、拳を素早く打ち、引き戻す。それを繰り返した。

 ジャブだ。合計五発打ちこまれた。

 しかしそれだけで終わらない。

 ローレルは最後とばかりに拳を引き戻し、腰を捻り、それに続くように顔面へストレートパンチを繰り返した。ローレルの右腕はかなり鍛えられているらしい。男がダメージをこらえて動き出す前に、全て攻撃を叩き付けた。


 釘打ちに似ているかもしれない。拳を当てるたび、釘は深く入り込んでいく。そして、ストレートによって釘は完全に打ち込まれたのだ。


 そして、完全に釘が入った瞬間。

 男は気絶した。

 脳を揺らされ続けて耐えきれなかったのだ。

 ウェイブが解け、体を覆っていた靄が消え去った後。男は力なく倒れた。


「な……」


 老人は絶句していた。それと同時に、ざわついていた観客たちも黙ってしまう。

 ブレイドも黙っていた。ただし、他の観客とは違うのは口元に悪魔のような笑みを浮かべていたことだ。


『勝者、カレジ・ローレル』


 その言葉を聞き、一斉に観客が歓声を上げ始めた。女で男を倒すだけでなく、ウェイブなしのハンデでローレルが勝ったという事実が、観客たちの心を躍らせていた。


「さて、じいさん。今日も俺が勝ったぜ」

「ちっ……金は後でやる。一時間後、西口で待っとるぞ」


 老人は苛立ちを隠せないのか、眉をひそめ、口元を歪めてその場を去っていく。


「おい、じいさん! 逃げるじゃあねえぞ?」


 老人の背中に向けて、ブレイドはからかうように言った。

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