ファーストコンタクト

 タオルで汗をぬぐいながら、ローレルは自動販売機の前で溜め息を吐いた。廊下の壁に背中を預け、天井を見上げる。


 右手でタオルを持っており、左腕はない。


 ローレルはこの右腕だけでハンズを勝ち抜いてきた。どんなに屈強そうな男でも、女の身でありながら打ち負かしてきた。


 しかし、ローレルの心は満たされていない。


 元々、闘いは好きなほうではあった。だが、ローレルはただ闘うためにハンズをやっているわけではなかったからだ。

 闘うだけならば、ローレルの祖国でもできた。ここでしか……クライムでしかできないことが、やりたいことがローレルにはあった。


 人工島クライム。ハンズと呼ばれるイかれた競技が唯一許される場所。クライムで、なおかつそのイかれた競技で達成したい目標だ。


「どこに、いるのだろうか」


 会いたい人間が、闘いたい人間がいる。それは確かにクライムにおり、ハンズをやっている。

 ただ、手がかりがそれだけで他には何もわからなかった。


「へい、嬢ちゃん。こんなところでどうしたんだい?」


 やけに気取った感じの声音に、ローレルは右へ振り向く。


 若い男だ。


 黒いコートに灰色のズボン。服装と同じように髪も瞳も黒い。体格は平均ほどで、さして特徴のない男だった。ただ、黒髪黒目というのはローレルからしてみれば珍しかった。

 歳は二十代前半あたりであろう。


「どうも何も、休んでいるんだが」


 ローレルは男を警戒しながら答えた。


「休んでる、ねえ……」


 男は何が楽しいのか、口の端を吊り上げながらローレルを見つめてくる。

 ローレルは反射的に、男からない左腕が見えないようにした。


「何のようだ。からかいに来たのならどこかに行ってくれ」

「さあな」


 男はローレルの前を通り、自動販売機と向かい合う。


「飲み物は何が好きだ」

「は?」

「飲みもんだよ、好きなやつ教えろ」


 男が振り向かずに聞いてくる。

 男の言動が理解できず、ローレルは戸惑う。


「その、コーヒーだが」

「ブラックか?」

「いや、微糖の……」


 ローレルが言い終わる前に、男は素早く小銭を自動販売機に投入する。


「ほいっと」


 声とともにボタンを押す。

 ピッ、という電子音の後、缶が自動販売機から出てくる。男はそれを取り出して、無造作に後ろへ……つまりローレルに向けて投げた。


 ローレルはあわててタオルを首にかけ、缶をつかむ。


「ナイスキャッチ」


 男は満足そうにいった。

 ローレルがキャッチした缶はコーヒーだった。ローレルの好みに合わせて微糖のコーヒーにしてある。


「金をアンタに賭けて、そんでもって勝ったんでな。一本おごらせてくれ」


 男はローレルに振り向いた後、そういった。

 変な男だ。

 普通、どちらが勝つか賭けをし合って手に入れた金は自分のものだというのに。

 何か他意があるのではないかとローレルは男を疑った。


「私は缶コーヒーで釣られるような女じゃないぞ」


 男はそれを聞くなり、鼻で笑った。


「そんなもんでアンタみたいな美人を落とす気はねえな。落とすならもっとロマンチックに、かつ大胆に落として見せるね」


 どこか気取ったセリフだったが、男が言う分には不思議と不快感がなかった。男からはかけらも邪な心が感じられないせいかもしれない。


「……俺はな、闘いが好きなんだ」


 唐突に、男は語りだした。


「最近は面白い闘いがなくてな。退屈してたところなんだ。だからよ、『隻腕の女』なんて噂を聞いちまった日なんか小躍りしたね」


 隻腕の女。


 誰を指しているか、明白であった。自分には左腕がないのだから。


「それで、隻腕の女には会えたのか」

「会えたね。闘うところも見れた」

「……感想は?」

「最高だ」


 ローレルは思わず、笑みがこぼれた。

 久しぶりに自分を認めてくれる人間に会えた気がしたからだ。


 女でしかも片腕しかないというのもあるのだろう。クライムに来てからというもの、ローレルを見る目といえば欲望や侮蔑に満ちた目だった。それだけに、認められるのは悪くない気分だった。


「けどよ、あんまり一箇所に留まるなよ」

「なぜだ」


 男は右の人差し指をローレルに向ける。


「アンタが、女だからだよ。噂になりゃ、狙ってくるやつが増えるんじゃねえか」


 ハンズは、何をしても許される競技である。素手で、一対一の闘いならばあとはもう全て闘う側に任される。


 つまり、闘うことを放棄した敗者は、勝者の好きにしていい。もしも、女が負ければそのときは、欲望の吐け口と成り果てるだけである。


「大丈夫さ、私は負けないからな。こんなところで負けていたらこの先が持たない」

「随分な自信だな」

「自信というわけじゃないんだ。ただ、負けていられないというだけだ」


 ローレルがはっきり答えると、男は笑みを浮かべた。


 悪魔のような笑みだった。


 恐怖を誘うようなものではない。ただ、男の雰囲気が凶悪じみているゆえのものだった。


「忠告はありがたく受け取っておくよ。危ないと思ったら場所を変えよう」

「そうかい。じゃ、いなくなるまでアンタの闘いを楽しませてもらうさ」


 不思議な男はそういい残して立ち去ろうとする。


「待て」


 このまま男が去っていくのを見送るのは憚られて、ローレルは呼び止めた。


「名前を教えてくれないか」


 それに、ただなんとなく。

 ローレルは男の名前を聞きたくなった。

 男は振り向かず、立ち止まるだけ。


「……パーガトリ。パーガトリ・ブレイドだ」


 男……ブレイドの名前はローレルの記憶に水のように浸透していった。刻み付けられるほど印象的ではなく、忘れてしまうほど希薄なものではない。


 日常に当たり前に潜んでいるもののように、パーガトリ・ブレイドという名前はローレルに入っていったのである。


「なら、ブレイド。私はカレジ・ローレルだ」

「知ってるさ」

「改めて、な」


 しばしの沈黙の後、ブレイドは手を挙げながら歩き出す。


「しっかり覚えとくぜ。じゃ、またいつか」


 小さくなっていく背中を見つめつつ、ローレルはふと思う。

 もしかしたら、しばらくの間はあの男と関わり合うことになるのでは、と。

 それは、確証のないただの直感だった。

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