第9章 対決

 雨があがっていた。空の高いところでは風が強く吹いているのか、雲がめまぐるしくかたちを変えながら、かなりのスピードで押し流されていた。ちぎれた雲に陽射しが遮られるたびに、駐車場の大きな水たまりが点滅信号のようにまぶしく輝いたり陰ったりをくりかえした。駐車場のまんなかでふたりは向かいあって立った。菜美は杖で身体を支え、微動もしなかった。男は酔いのせいで、まっすぐ立っているのも難しかった。ふたりのまわりを雲の影が、うねりながら流れていた。

 男が叫んだ。なにかにつけて反抗的な娘に父親の権威を見せつけて、二度とあんな目で父親を見ることがないようにしつけるのは、いまを置いてほかになかった。

「学校はどうした学校はあ!」

 中田と板野も男を追って飛び出してきた……おかげでこのふたりは、いっしゅんでそのファミレスを焼きつくしたさいしょの一撃に巻きこまれずにすんだ。運がよかったのはそこまでで、頭上から落ちてきた巨大なかたまり――さいしょに影が射したとき、ふたりはやけに大きな雲が陽射しを遮ったくらいにしか思わなかった――には、逃げるまもなく踏み潰された。その瞬間を菜美は見た。まるで投げ捨てられ、だれにも気づかれることなくとおりすがりの車に一瞬でぺしゃんこにされる空き缶だった。

 シゲヲだった。たしかにそれはシゲヲだった。ただ、工場に隠れていたのとは、大きさがぜんぜんちがっていた。巨大だった。見上げるほどに。圧倒されるほどに。

 全身を覆う影のようなマントが、黒い炎のようにゆらめいていた。とすると地下にあったあれ、機械でもあり生き物でもあるあの大きいやつの傷は回復し、シゲヲと一体になったのだ……アニメでしょっちゅうやっている戦闘ロボのように。おおむね人のかたちをしたそれが、脚を大きく開いて駐車場に降り立つと同時に、足下のアスファルトがやわらかなゼリーのように大きく波打ち、ついでいっきに陥没した。ファミレスを包みこんだ炎がひときわ大きく膨らんで、そこらじゅうのものをあとかたもなく吹き飛ばした。男が悲鳴をあげた。悲鳴をあげて逃げ出そうとする男を一足でまたぎ超えてシゲヲが跳んだ。菜美に向かって長い腕を伸ばした。その先端で獰猛な花が開くように、尖った無数の指が放射状に広がった。

 そのときまで菜美は、なんの疑問もなくシゲヲがあの男を叩き潰してくれるものと思いこんでいた。そんなはずがなかった。いや、なんにもしないでただぼうっとそこに立っていたってそんなふうになるわけがなかった。そんなことのためにわざわざシゲヲが危険をおかしてこんなところまでくるわけがない。

 シゲヲがあらわれたのは菜美が持ち去ったあれ――小動物の死骸――を取り戻すためだった。菜美はにらみつけるんじゃなく、あれを男のふところに押しこんでおかなければならなかった。そうすれば世界じゅうの影を凝縮したような怪物が、見るからに触れるだけで致命的な破壊をもたらしかねない巨大なかぎ爪を伸ばす相手は、菜美じゃなかったのに。手遅れだった。それでも菜美は泣かなかった。あの男がしたように悲鳴をあげて逃げもしなかった。

 傲然と顔を上げて、迫りくる巨大な黒い鉤爪から目をそらそうともしなかった。

 そこに宇宙刑事が突っこんだ。

 それはもう中学生を使っていなかった。その正体がなんであれ、いま目のまえにいる、大きさの異なる何万もの金属製のキューブを寄せ集めたような物体がそのほんとうの姿だった。見上げると、あらゆる方向から空を覆いつくすように、似たようなキューブの大群が押し寄せつつあった。シゲヲが燃えるファミレスの向こうのホームセンターまで吹き飛ばされた。間髪入れずに立ち上がるのにあわせて影が渦を巻きながらたなびいた。宇宙刑事が飛びかかった。めまぐるしく形状を変え、興奮したニワトリ――百万羽のニワトリ――のようなけたたましい音をたてた。シゲヲはその下をすばやくかいくぐった。宇宙刑事がホームセンターの壁面を蹴って――反動を利用しようとしたのだろう――パネルを組み合わせただけで思いのほか脆弱だった建物を押し潰し、ぶざまに墜落した。シゲヲがふたたび菜美めがけて跳躍した。

 菜美も走りだした――骨がつながったばかりの足に出せるかぎりのスピードで。信じられないことに、この災厄のなかでもまだあの男は生きていた。恐怖のあまり髪を逆立て、腰を抜かしてその場にしゃがみこんだままひたすら悲鳴をあげていた。あいつところまで行って、その腕のなかにこのなんだかわからないごみみたいな物体を押しこみ、黒い突風のように押し寄せてくるあの怪物のまえにさしだせばそれでぜんぶ終わらせられるはずだった。杖なんかほうりだしていた。脚が激痛でねじれるのもまったく意識していなかった。たぶん、生まれてからいちばんはやいスピードで走っていた。こっちをふりかえった男の、紙のようにまっ白で、頭がおかしくなりでもしたみたいにおびえた顔に、もう手が届きそうだった。

 ホームセンターの瓦礫を跳ね散らかしながら宇宙刑事が立ち上がった。そこにエネルギー弾をたてつづけに撃ちこむと、シゲヲは地面すれすれまで身体を傾けて加速し、かぎ爪で菜美をかっさらった。

 そのときはじめて菜美は声をあげた。悲鳴じゃなかった。抗議の叫びだった。


つづく

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