■ EX58 ■ 閑話:輝けブランド光の如く Ⅱ






 レン・ブランドは庶民の出なので、裏表のない女性が好みだ。

 アーチェ・アンティマスクは確かに美少女だが、表の顔と身内の顔を徹底して使い分けるタイプのようで、レンとしてはあまり好きになれないタイプだ。

 美少女だけど見ていて気疲れする子には、どうにも食指が伸びることはない。


 ミスティ・エミネンシアはあれだ、王子の婚約者だし、そもそも闇神の化神アバターかはたまた娘か? と人外認定したくなるほどに人間離れした容姿の持ち主だ。格が違いすぎて同じ世界の生き物とは思えない。


 プレシア・フェリトリーも美少女だが、フェリトリー男爵家の一人娘で、レンは寒村男爵領を盛り立てていける学など修めてはいない。可愛い嫁さんを得る代わりに没落人生まっしぐらは流石に遠慮被りたい。

 そういった所々が複雑に絡み合うレンの好みのど真ん中を、アレジア・フロックスはぶち抜いていったのだ。


「これが……恋……?」


 フェリトリー家冬の館にて護衛の騎士用に、と割り振られた四人部屋の中で、レンは完全に夢見心地である。


「目覚めたか、レン」

「目覚めたかじゃねぇよ、目を覚ませよ二人とも! お前たちは幸せな夢を見ているだけで現実が見えてないんだよ!」


 アルバートが肩をガクガク揺すって正気になれと促してくるが、レンは正気で本気だ。


 そりゃあミスティやアーチェといった上位貴族に比べればアレジアの容姿は劣る。いや客観的に見比べればプレシアよりも劣るに違いない。

 だが口を隠して上品に笑う仕草は自然で温かみがあり、ミスティやアーチェに対する態度は真面目で真摯、ふざけたところもなく、それでいてプレシアより優雅で余裕のある、まさにレンにとって理想の令嬢だ。


「ニグリオス君はどう思う? 俺たちとアルバートのどっちが正しいと思う?」


 キールがそう尋ねると、アレジアたちの護衛としてやってきた年若き騎士ルイ・ニグリオス卿がサラサラの金髪を揺らしながら一度思い悩み、そしてニコリと微笑む。


「私は、人は才能に見合った幸せを得るべきかと存じます、先輩方」

「はっはぁ! だよなぁ!」

「君は話が分かるな! そうだとも! 男なら夢見なきゃなぁ!」


 キールとレンはニグリオス卿と肩を組んでその背中をバンバンと叩く。


「馬鹿野郎、男爵令嬢を落とすなんて無理に決まってるだろうが」


 ただ一人アルバートがそう繰り返すのはコイツ、空気を読んでないなとレンとキールには鼻につくものだ。


「無理って決め付けるなよ、可能性は無限大で未来は未確定だ、幸せになる努力を放棄する理由なんかないだろ?」

「それだよバカども! お前らどうやって男爵令嬢に幸せになる未来を放棄させるつもりだ!?」

「なんだよ、俺らじゃプレシアちゃんを幸せにしてやれねえってのか?」


 キールとレンが目を吊り上げてアルバートに食ってかかるが、アルバートはむしろ冷ややかに二人を見下ろしてくる。


「衣装代、化粧品代、宝飾品代、交際費、茶葉の購入に使用人の雇用費! よしんば俺たちが男爵令嬢を嫁にもらえたとして、いったい彼女たちにどれだけの我慢を強いることになるかって考えたことはあるのかよ」


 アルバートの言葉にキールもレンも咄嗟の反論すらできず、正体をなくして言葉を失った。

 愛さえあれば何でも我慢できるのはキールやレンの側であって、プレシアやアレジアにそれを求めるのはそもそも筋違いだ。


「お前ら、男爵令嬢に厨房に立ってもらうこと前提で自分の幸福を組み立てるだろ。そんな男が男爵令嬢から見て魅力的だと本当に思うのか? 思ってるならお前ら門閥貴族をどれだけ貶めれば気が済むんだよ」

「……それは」

「よしんば彼女らに好いてもらうことができたとして、だ。俺たちは国家騎士だぞ。国のために戦うのが仕事だ。戦に出た夫の帰りを待つ妻の心境とか、考えたことあるか? ましてやそれが新米のペーペー騎士だぞ?」


 騎士団員というのは必ずしも若手がモテるとは限らないというか、三十路にはかなりの、四十路にもそこそこ安定した需要がある。それは新人より高給取りかつ、その年まで死ななかったという実践があるからだ。


 繰り返しになるがこのアルヴィオス王国貴族社会において、何よりも優先すべきは家の名誉と存続である。

 門閥貴族全ての令嬢令息が、基本的にはそれを意識した教育を受けている。


 十五の少女に四十路の夫を、というのは、家が守られなければすべてを失いかねない環境においては好ましい縁談とも見做せる面がある、ということだ。


 アルバートの指摘にレンやキールはおろか、ニグリオス卿もどこか苦虫を噛み潰したような顔になってしまう。


「友人としてあえて言わせてもらうぞ、キール、レン。俺たちになんの魅力がある? 男爵令嬢を幸せにしてやれる何かを俺たちは持っているのか? 愛だけはある、なんて寝ぼけた答えはするなよ、したら軽蔑するぞ」


 そんなアルバートの指摘に、キールもレンも返す言葉がない。

 キールもレンも学園では騎士になるために必要な単位しか取得していない。男爵令嬢に知性を示せるような教養を得る授業など受けてこなかったのだ。


 キールはそれで十分だと思ったから。レンは槍の鍛錬で時間が取れなかったから。

 理由は異なるとは言え、キールもレンも男爵令嬢に己を魅力的に見せる学を修めていない、ということだ。


「そんな、そんなこと学院を卒業した今頃言われても……どうしろってんだよ……」


 レンの嘆きはアルバートにも分からないでもないし可哀相だとも思う。

 だが、それが財力の差であり教育の差であり、アルヴィオス王国貴族社会を堅牢たるものにしている根本なのだ。


「人生設計を生まれた時から計画的にやっているのが門閥貴族なんだよ。彼らは自分の人生を幼い頃から親に構築されている。金の許す限り高度な教育を受けて、自らの価値を高め、より上位の家に食い込む為に鍛え上げられたのが令嬢、令息なんだ」


 アルバートが慰めるように語るが、キールもレンも全くその言葉に慰められることはない。


 自分たちが虫を追いかけて野山を駆け回り、友人たちと石投げしたり馬鹿なこと言い合ってゲラゲラ笑っていた時に、令息令嬢はずっと自らの商品価値を高める為に勉学に勤しんでいたのだ。

 そんな彼女らに、自らの努力を投げ捨てて身分の低い騎士へ嫁いでこいと、幸せにしてやるからと、どの面で言える?


 そんな事を平然と言える奴は、ロバに跨って風車に突撃する老いた騎士よりも滑稽と周囲に映るだろう。


「人を好きになるのなんて誰だってできるけどさ、好きな人を幸せにすることは誰にでもできることじゃないんだ。それを忘れるなよ」


 友人だから、キールもレンもアルバートに感謝してその言葉を胸に刻み込んだ。友人ではないがニグリオス卿もまたその言葉に重い衝撃を受けたようだった。

 だから黄金の獣に、幾度となく腹を掻っ捌かれても四人の騎士爵は必死で戦った。


 アレジアやプレシアが見ている前で、自分より年下のアイズやフレインが耐えている中で惨めな姿など見せられないから。

 お上品に育てられた侯爵、伯爵令息ですら一つの弱音も吐かずに戦っているのに、年上の男がどうして負けられようか。


 そうやってレンは必死に生きてきた。暗殺者を返り討ちにし、日々の鍛練を更に重ねた。

 エミネンシア家の夜会に参加したことで、ニグリオス卿がルイセント第二王子だと知って、これまでのあまりの無礼にストレスで三人揃って三日三晩食事も喉を通らず胃液を吐いた。

 夏の山で白竜や魔族と戦い、少しは俺だってやれるようになっただろ、なんて自信を、


「いやあ、流石に今回は死んだかと思ったわ」


 たった三人でディアブロス魔王国に潜入し、血液袋として扱われながら国家の中枢にまで食い込み情報を得て帰ってきたアンティマスク伯爵令嬢に、粉微塵に打ち砕かれる。


 あれが、プレシアとアレジアが敬愛する彼女たちの上司なのだ。


「勝てねぇ、勝てねぇよ……! アンティマスク伯爵令嬢より有能にも魅力的にも、俺たちは成れねぇ!」


 珍しくキールが弱音を吐くが、レンも全く同じ気持ちだ。

 これくらいやれるようになれば俺だって一廉ひとかどの、なんて希望をアンティマスク伯爵令嬢アーチェは軽々と上回っていく。


 これが教育の差だというのなら、財力というものはなんて残酷なのだろう。


「お前たちが今抱いている感情は、男爵令息が子爵令息に、子爵令息が伯爵令息に、伯爵令息が侯爵令息に抱いている悔しさと同じなんだろうな」


 諦めろ、と言いつつも可能な限りレンやキールのために心を砕いてくれているアルバートが、そうポツリと零す。

 王国貴族は貴族として産まれたからこの国に君臨しているわけではない。貴族の財力で学を付けられたから、この国に君臨しているのだ。


 それに気付いたキールらは数少ない機会を十全に生かすべく努力した。

 幸いエミネンシア侯爵令嬢が主催する夜会に、レンたちは特別枠を用意して貰っている。そうやって参加した夜会で貴族の一挙手一投足を見逃さないよう目を光らせれば、


「何というか、優雅だよな」

「ああ、雅にして自然だ」


 改めてアイズやその侍従ケイル、フレインなどの所作を見直せば、その洗練された身振り手振りに溜息が出てしまう。

 相手は年下だというのに、人の波を華麗に避ける動き、足取り、令嬢に手を伸ばすタイミングに話題の選び方、料理やドレスの褒め方、何もかもが自然で、会話には教養がある。


 それと比べれば自分たちや、自分たちが厳選した騎士爵たちの振る舞いの、いかに粗雑なことか。

 所詮は付け焼き刃だ。されど武器もなく太刀打ちなどできる筈もないなら付け焼き刃でも無いよりマシだ。


 そうやって必死に己を磨いていたレンの前に、アンティマスク伯爵令嬢からの茶会の呼び出しが届いて、


「私の配下であるアレジア・フロックスがマロック子爵家三男、ヴェイン・マロックへと嫁ぐことになりました。既に婚約届けは王家に提出され、その了承を受けています」


 そう告げられたレンの首から下の感覚が一切消え失せた。








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