■ EX58 ■ 閑話:輝けブランド光の如く Ⅰ






 さて、ここいらで此度の英雄ヒーローであるレンについて少しだけ触れておこう。


 レン・ブランドは割とどこにでもいるごく普通の子供としてアルヴィオス王国に生を受けた――と語ると大半の農民に殺意を持たれるであろう。

 ブランド家は王都直轄地で精油業を営んでおり、王都でも高品質と高い評価を得ているのであるからして。


 当然、それはレンの努力の結果ではなく先祖や父親の努力の結果である。

 代々続けて植物油の加工技術を磨いてきた彼らは、他の精油加工業者と区別するために貴族からブランドを名乗るよう命を受け、これによりブランド油は権威を纏って商売を行うことができたのだ。


 その結果としてブランド家の収入は近隣騎士爵であるストラグル家にも比肩する収入を得ており、であるが故にストラグル家の長男であり同い年のアルバートとも対等に付き合うことができたのだ。


「親父、俺も騎士になりてぇ!」


 然るに、学園に通い騎士となるというアルバートにレンは対抗心バリバリであり、特に深いことを考えずそう父親に切り出したのは、これもまた宜なるかな。

 金髪を揺らし、柿色の瞳に何も考えてない空虚な夢を宿しながら語る息子を見やったレンの父は「大丈夫かなコイツ」と思いはしたが、


「……まあよいか。我が家からも騎士が出ればストラグル野郎にでかい面されずに済むしな」


 収入はウチの方が多いのに、騎士爵だからとでかい面してくるストラグル家の面を明かしてやる時がきた、とレンの父親は深いことを考えずに、息子に学園に入学する許可を出した。

 アルヴィオス王国では、学院に入学して必要な単位を取得できれば騎士爵の位を自動的に賜ることができるのだ。一代限りの騎士爵位までなら、庶民に対しても門戸が開かれているのである。


 なお、別に本心からブランドはストラグル、つまりアルバートの父を嫌っているわけではない。ただ、財力は上なのに爵位でマウントを取られるのがちょっといけ好かないだけだ。


「騎士になれなかったらてめぇ、レン。油絞り器で捻り潰すぞわかってんなぁ?」

「わ、わかったよ」


 学園の学費は騎士爵家相当の収入があってもおいそれとは払えない高額である。

 父はレンが落第などしたら本気ですり潰すつもりだと分かったレンは勉学に勤しんだが――




――――――――――――――――




「そこまで!」


 学園の授業でレンは思い知ったのだ。騎士になるべく学園に入学してきた子供は、入学前から武技の鍛錬を受けているのだ、と。


 座学は、何とか食いついて行けた。家を継ぐために読み書き計算は習っていたからだ。だが戦技では明らかにレンは同年代に劣っていた。


「まーたブランドの奴が槍試合で負けてるぜ」

「あいつ槍神の加護持ちなんだろ? それでどうして勝てねぇんだ? 神の加護もろくに使えねぇゴミじゃねぇか」

「いるんだよなぁ田舎には、金さえあれば騎士になれると思ってるああいう成金クソ野郎がうようよとさぁ」


 原神降臨の儀を受け、槍神の加護を得ているというのに、剣神の加護持ちのアルバートが操る槍にすら、槍試合で勝てないのだ。


 そうして今日も無様に武術の授業で敗北を喫したレンが学園の門を下向いて潜れば、門の外では無茶苦茶可愛らしい女の子までがレンを嘲笑っているではないか。

 カッと頭に血がのぼって、暴力を振るおうとした所をよりにもよってアルバートに止められ、レンは惨めで泣きたくなった。いや、本当に涙滂沱としながら帰った。


 そうやって涙を拭って帰り着いた安アパルトメントすら、レンに安らぎを与えてくれる場ではいてくれない。


「おいクソブランド開けろコノヤロウ!」


 最近よくつるむようになったキールと、あとアルバートがドンドンドドドンドンと扉を叩いてから中に押し入ってきて、


「おいこの油すましヤロウ、いつまで田舎のガキ大将気取ってやがるお陰で死にかけたぞコノヤロウ!」


 レンの襟首を掴んだキールが唾を飛ばして叫んでくるのが鬱陶しくて仕方なかったが、


「口は悪いがキールの言う通りだぞレン。もう少し気をつけろ、この王都には触れるだけで手はおろか首まで切り落とされるような連中がウロウロしてるんだからな」


 ちなみにさっきの可愛い女の子は伯爵令嬢な、とアルバートに聞かされてレンは震え上がった。涙など一瞬で乾いた。

 伯爵令嬢、しかも騎士団に対して厳しい指導をすることで有名なアンティマスク伯爵家とは。乾いた目に再び涙が滲み始める。


「お、俺、殺されるのか……?」


 首を刎ねられる己を想像して、レンの胃の腑から吐き気がこみ上げてくる。

 そうだ、田舎では裕福だったレンだが、学園では貴族の靴を舐めることで生存が許されている底辺の犬なのだ。


 己が犬であることを忘れた哀れな家畜は、人の手を噛んだ狂犬として処分されるのが当然なのが、二百諸侯が集う王都という、絢爛豪華で煌びやかな世界なのだ。


「だ、大丈夫だ。少なくとも爵位持ちならふらっと殺されることはないはずだ」

「でもよアル、俺らまだ学生で騎士爵なんざ持ってねぇぜ?」

「じゃあもう神に祈れ! アンティマスク伯爵令嬢が御父上に俺たちを悪く言わないようにな!」


 その日よりレンは死に物狂いで鍛錬を重ねた。もし学園で落第して騎士になれなかったら自分は死ぬのだから。

 色々な論理飛躍がその認識には混入しているのだが、視野がそこまで広くはないレンはそう思い込み、それは結果としてよい方向へと転んだ。


 ひたすら勉学と鍛錬を積み重ね、何とか学園を並の取得単位数で卒業し、めでたくレンは国家騎士団にその名を連ねることができた。それはよい、喜ばしいことだ。

 だがそれでも、レン・ブランドの激動の日々はつづく。


「南部フェリトリー領へ夏季に帰還する男爵令嬢の護衛任務か……ちょうどいい、お前らやってこい。いい小遣い稼ぎになるぞ」


 職場のジン・エルバ先輩が(善意で)回してくれた仕事は、最初は確かにお気楽に思えたのだ。

 だが気付けば何故かアンティマスク伯爵令嬢まで付いてきて、


「ここが年貢の納め時か……」


 出立数日前に護衛対象リストを渡されたレンはストレスで胃液を吐いた。


「まだだ、まだ大丈夫だって! 先んじて謝るんだよレン!」

「そうだ、アンティマスク伯爵家は理屈を重んじる家らしいからな! なんか言われる前に土下座しろ! 先手必勝だ!」


 ということで最敬礼で詫びを入れたところ、とりあえずアンティマスク伯爵令嬢に許しを得られて一安心、出来るはずだったのだが、


「惚れた……」

「は?」

「プレシアちゃん、可愛い……料理も上手だし、おれあの子嫁にするわ」

「ふざけんなクソ野郎!」

「ようやく首の皮一枚で繋がったのにお前何考えてんだよ!」


 いきなりキールが寝言を言い出してレンとアルバートのストレスはマッハで積み上がった。

 なるほど、男爵令嬢ならギリギリ確かに手が届く範囲かもしれないし、騎士爵なら誰もが一度は己が護衛した貴族令嬢との恋に落ちる夢を見るものだ。


 だが肝心のプレシア・フェリトリー男爵令嬢の上にはアンティマスク伯爵令嬢が鎮座在しているのだ。自分から虎穴に飛び込んで虎の餌になるバカがいるか。

 そうレンはキールを永久懲罰房入させてやりたくなったのだが、


「可憐だ……」


 その後、ミスティ・エミネンシアの侍従役としてフェリトリー領にやってきた、アレジア・フロックス。

 彼女を目にしたレン・ブランドの心はあっさりと陥落した。或いは心に翼が生えて羽ばたき始めたと言うべきかもしれない。


 少なくとも、当人にとっては。






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