■ EX56 ■ 閑話:甦れシャルトルーズ法 Ⅲ
「では、どうあっても婚約解消には応じない、というわけだな? ヴェイン」
長男リミスの念を押すような問いかけに、若干ムスッとしながらヴェインは頷いた。
「少し上位貴族が背後にいる騎士爵に脅された程度で婚約を解消しては、マロック家が侮られましょうに。そもそもこの婚約をマロック家の決定としたのは兄上と父上ではありませんか」
「私たちが背後関係を探ろうとしたのを『自分を信用しないのか』と喚き散らしたのはお前ではないか」
「確かにそうですよ。ですが決定したのは父上と兄上だ。家の決定の責任を負うのは当主であって私ではないでしょうに」
なるほど、ヴェインの言葉は確かに正論であろう。責任を負うのは提案した者ではなく最終的な決定を下した者だ。それが正しい権力の在り方というものだ。
「ならば父上が婚約を解消すると決定すれば、家の末端であるお前に反対権はないということでいいんだな」
決めたのが当主だというなら、それを反故にする判断も当主に一任されるものだ、とリミスが問えば、ヴェインがあからさまに顔をしかめた。
「なるほど。父上と兄上は今後、マロック家が弱腰一家との烙印を押される未来をお望みと見える」
そこでヴェインが否、と言わないのは自分の論法があくまで責任は当主にある、という根拠に基づいていることだとヴェインも分かっているからだろう。
責任だけを押しつけられてはたまらない、と三男が思うのは当然だし、家のために切り捨てられてなるものかと三男が警戒するのもごく普通の話だ。
だが、そこで素直に是と言えないのは、恐らくヴェインはアレジアを妻にと欲していて、素直には諦められないからでもある何よりの証左だ。
なおここまでヴェインが渋っているのは、もう年度末が間近に控えたこのご時世における、ヴェインが学園三年生だからでもあろう。
学園卒業時に婚約者のいない男は、マッチョイズムが浸透しているこのアルヴィオス社交界において何らの魅力も無いカス扱いされる。
それが分かっているから、ヴェインを哀れんで当主もリミスも此度の婚約に拙速で同意した面もあるのだ。
ついでに言うと此度の婚約が成立した場合、マロック家の領属騎士団長を務める騎士爵の娘をクルツ・フロックスと婚約させる合意も取れている。
クルツとヴェインがお互いに婚約解消に頑として応じない姿勢を見せているのは、そういう裏の話が存在しているからだ。
「お前には二つの選択肢がある」
ややあって、リミスはそう弟に切り出してきた。
「一つは父上の判断に従い、婚約解消を受け入れること。この場合の責任は全て父上と私が負う。何を言われてもお前は父上の判断だ、と言い返せばよい」
全ての責任は当主にある、とヴェインが応じたからこその、その選択肢にヴェインは表だって文句を付けることはできない。
「二つ目はお前が責任を背負い婚約を維持し、ブランド卿と相対することだ。この場合、勝っても負けても父上と私は『ヴェインの意思を尊重した』と世間に応える。これは約束しよう。念書を書いてもいい」
ただし、二つ目を選ぶなら決闘に際しマロック家はヴェインに金を投入しない。現時点でヴェインが自由にできる範囲の交際費で全てを賄って貰う。
そう提案されたヴェインは僅かに考え込む振りをして――
「分かりました。私が王国貴族としてのマロック家の名誉を守って差し上げますよ、兄上」
そうヴェインは断言した。今更マロック子爵家
相手がミスティ陣営の息のかかった騎士爵と判明した時点から、
「了解した。父上にはそう報告しておく。健闘を祈る、ヴェイン」
「ええ。私の勝利する姿を特等席で見ていて下さい、
ヴェインはそう、兄を呼び捨てにする。ここでヴェインが勝利すれば、当主の資質がヴェインとリミスのどちらにあるかは一目瞭然である。
そうなればヴェインがマロック家の家督を継ぐ未来も夢ではなくなるというものだ。
それに加えて、
――これであの娘が手に入るぞ! アレジアのお付きをしているあの従者の娘が!
ヴェインの脳内は今や半分が爵位に、もう半分がアレジアの侍従についてで占められている。
小児性愛の気があるヴェインはだから、幼子の存在に敏感だ。
ミスティ陣営の男爵令嬢が侍従に幼子を連れている事実に早くからヴェインは目を付けていて、そしてだからこそ分かることもある。
成長期の子供の筈なのに、ミスティ陣営の男爵令嬢が連れている子供たちは成長が遅いか、もしくは全く成長していないのだと。
あれは、あの子供たちは何故か成長しないのだ。人間ではない可能性も高いが、ヴェインにとってなんとしても手元に置きたい愛玩対象なのだ。
――勝てるさ。その為の支援は十分に受け取ってるんだからな。
そう、ヴェイン・マロックは仄かに笑う。
支援者から忠告を受けているヴェイン・マロックはレン・ブランドを舐めちゃいない。
ここでこんな法を引っ張り出してくる以上は、相手も勝てるという自信があり、それをあのアンティマスクが認めているのだから。
だから、アーチェ・アンティマスクの評判を落としたい家から多額の支援を受けて、これに備えているのだ。
誰もがレン・ブランド? 誰それ? と侮る中で、ヴェイン・マロックはかの騎士爵が手強いだろうことをちゃんと理解した上で、決闘で決着を付けることを選んだ。
レン・ブランドの強さは決闘で衆目の目にも明らかになるだろう。そしてそれを打ち破れば、ヴェインの株も上がることだろう。兄リミスの影響力すら、それで越えられるかもしれない。
当然、自分が絶対に勝てるなどとヴェインは夢を見ているわけではない。だが己が当主になれるかも、という夢は、次男三男なら一度は見るものだ。
そしてマロック家からの支援が得られなくとも、勝率が高いと判断したからヴェインはこの一世一代の賭けに出たのだ。
多少は、ヴェインは酔ってはいる。自覚はある。だが盲目ではない。
少なくとも自分の判断は正しいと信じてやまないクルツ・フロックスよりは。
「千載一遇の機会がやってきたんだ、ここで賭けなきゃ男じゃないだろ? ヴェイン・マロック」
品性は確かに下劣だが、ヴェインは決して愚鈍ではない。
自分がもっとも幸福に満ちた未来を望む為には、次男三男ならどこかで賭けに出ねばならない。それを今とヴェインは判断したのだ。
――勝つさ。俺の勝ち筋がここにしかないことはもはや明白だ。だから神々よ、どうかこの決闘に俺を勝たせてくれ、俺が幸せになれる未来を紡いでくれ……!
ヴェインは下劣で低俗な趣味の持ち主だが、そんな性癖の持ち主でありながら幸せになっている貴族は無数にいる。
だからヴェイン一人がそれを論われ、不幸にならねばいけない義務はない。ヴェインにだって、当主の椅子を掴んで幸せになる権利はあるはずだ。
「レン・ブランド、アルバート・ストラグル、キール・クランツ。だから俺の幸せのために礎となってくれ、頼むよ、頼む……」
そうヴェインは天に祈り――
――――――――――――――――
「レン・ブランド卿側の参戦者が決定しました。レン・ブランド騎士爵、アルバート・ストラグル騎士爵、キール・クランツ騎士爵、そして――」
そして、ヴェインの願いはその後に続けられる言葉にて脆くも崩れ去ることとなる。
「ア、アーチェ・アンティマスク伯爵令嬢です」
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