■ EX56 ■ 閑話:甦れシャルトルーズ法 Ⅱ
「シャルトルーズ法……?」
王国の裁定官より届けられた文を恐々と開いたカーム・フロックス男爵は文面を一読し、
「クルツを呼んでくれ」
「畏まりました」
侍従に息子を呼ぶように告げる。ややあって訪れた息子にカーム・フロックスは裁定官からの文を無言で手渡し、
「どう対応する? 家の繁栄のために全責任を取る、とお前が強引に進めた婚約だが」
そう、全責任を負うから承認してくれと己に懇願してきた息子へと問う。
対する息子は内容を一読した後、
「問題ないでしょう? 要は決闘で勝てばよいのですから」
「勝てばよい、それは当然のことだ。だが世の中に必勝は存在しないし、なによりこのような法を適用されたこと自体が不名誉であろうに」
「……父上、たかが騎士爵程度の圧力に押し負けてはフロックス男爵家の名が廃るではありませんか。何を弱気になっているのです!」
息子クルツがそう息も粗く捲し立ててくるが、そういうことではないのだ。
社交界においてレッテル張り、というのは戦場における投射攻撃魔術と同等である。要するに主火力にして王道の攻め手なのだ。
これまで上位貴族の歯牙にもかけられなかったクルツはだから、上位貴族からレッテル張りをされたことがなく、その恐ろしさを理解していないのだ。
「では、マロック家ヴェインとアリーの婚約は解消せず、騎士ブランド卿の訴えを受けて立つ、ということでよいのだな?」
「勿論です父上、返り討ちにしてやりますよ! ヴェイン様もそのつもりでしょう」
カームは軽く頭を振った。負ければフロックス家の名誉は地に落ちるだろうが――フロックス家の財政が傾くほどではない。
どのように貴族から圧力を受けても生活を維持できるよう、カーム・フロックスは自領の収入源を広く浅く分散させている。
深手は負うが、致命傷にはなるまい。だがその深手にクルツが耐えられるかどうかはカームには分からない。
「よかろう、好きにやるがよいフロックス家嫡子よ。これからのフロックス家を担うお前の判断なのだからな」
「ありがとうございます、父上!」
息子クルツが去った自室にて、カーム・フロックスは額に手を当てて沈黙した。
負ける筈がない。そう紙面の上、数の上ではそうだろう。だがそれが明らかなのに、負けると分かっていて訴える馬鹿がどこにいよう?
レン・ブランドは勝算あってこそ、この手段に訴えたのだ、と。
その程度のことにもクルツは気づけないのか、気づいていてもなお食い破れる自信があるのか。
いずれにせよ、
「せっかくだから一度派手に転んでみるがいいクルツ。その後立ち上がれるか否かはお前次第だ」
立ち上がれなかったら、その時はアレジアの夫となる男にその価値を問うまでだ。
――――――――――――――――
ところ変わってマロック家の談話室にて顔を付き合わせるのは、マロック家長男リミスと三男のヴェインである。
「それで、どうするつもりだヴェイン」
「勿論返り討ちにしてやりますよ。たかが騎士爵如きがマロック家をナメやがったんですから、落とし前は付けてやらないと」
ヴェインはそう鼻息も荒く応じるが、リミスの表情は乾ききっていて、それがヴェインには気に入らない。
「兄上、兄上は私が負けると思っているのですか? 相手は騎士爵、それも
バン、とヴェインは裁定官より送られてきた文を茶卓に広げてみせる。
そこには流石に二百年前に一度適用されただけの法である以上、説明が必要と裁定官も考えたのだろう。
法の文面のみならず、今回のシャルトルーズ法適用における、各々がやるべきタスクがしっかりと明記されている。
シャルトルーズ法における各手順は以下の通りである。
1.原告は自身の全財産をリスト化し、訴える婚約関係の瑕疵と共に国へ提出する。
2.裁定官は国王の命を受け、原告の財産が申告に相違ないか、婚約を維持することによる令嬢の不利益の両方を確認、訴えの通りであれば婚約中の両家にシャルトルーズ法の適用を打診する。
3.裁定官から連絡を受けた婚約者を持つ両家は婚約解消を望まない場合、決闘により原告と決着を付けることになる。
4.この決闘において原告側は所有する全財産の半分までを、助太刀を雇う為に使用することができる。
5.訴えられた側の両家には特に制限は無い。財力が許す限りは助太刀を用意することが許される。
6.この助太刀の雇用額は爵位や家格によって厳格に定められており、知り合いであろうと家族であろうと、雇用には費用が生じる。無料での助力を乞うことは許されない。
7.決闘には王家が選定した裁定官と、勝敗判定の為の武官が立ち会い、不正を働いた者は闘者、裁定官、武官を問わずその咎に合った罰を受ける。
8.原告が勝利した場合、令嬢に婚約を打診することが可能となる。令嬢が受け入れた場合は王の名の下に婚約が成立する。敗北した場合、爵位を王家に返上する。
9.婚約関係にある両家が勝利した場合、原告の財産の半分か、原告の死のどちらかを要求することができる。敗北した場合、婚約関係は王の名の下に解消となる。
とまあ、原告となる貴族に対するハードルが徹底的に仕込まれているのがシャルトルーズ法なのだ。
まず第一に、世襲貴族ともなればまずどの家も脱税を行なっている。(※■ 91 ■ アーチェ先生の真っ黒授業 Ⅱ)
なので全財産リストを作成し王家の査定を受ける時点で脱税が発覚し罰を受けるため、世襲貴族、特に上位になればなるほどこれを全力で忌避するから、まずシャルトルーズ法には手を伸ばさない。
対する下位貴族は隠せる収入も創意工夫して脱税する術も持たないため脱税発覚を恐れることはないが、対価を支払わぬ助太刀雇用は許されておらず、使えるのは己の僅かな全財産の、その半分までのみ。
しかも借金や全財産の投入は不可能で、対する貴族両家は制限なく予算をぶっ込むことができる。その上で負けたら爵位剥奪だ。どう考えたって勝ち目がない。
「見て下さいよ兄上、このレン・ブランドとかいう騎士爵。助太刀に騎士爵を三人呼ぶ程度の財産しかないじゃないですか」
しかも原告側の財産査定結果は婚約中の両家へ伝えられるとあって、原告側の不利は更に重なるのだ。
相手の戦力を確認した上で、訴えられた両家は婚約を解消するなり、更なる戦力を投入して決闘で勝つなり、好きな方を選ぶことができるのである。
「なるほど、勝てると仮定しよう。で、お前。このレン・ブランド騎士爵からの訴えは本当なのか?」
トン、と裁定官からの文に添付されていた、レン・ブランドによるヴェイン・マロックの瑕疵を、リミスは指で叩いてみせる。
此度のシャルトルーズ法適応に対する原告側の理由としては、アレジア・フロックスが引き続きミスティ・エミネンシアの配下として働くことを望んでいるにも拘わらず、家に押し込めるとヴェインが明言したことが主題である。
ただそれに加えてヴェインによるマロック領の庶民に対する搾取――というよりは略取――つまり、視察にかこつけて領地を回っては、村の少女に奉仕をさせていた、という醜聞もついでのように記されていた。
もっとも、
「何か問題が? 村が用意した歓待を私はただ受けたに過ぎませんが?」
それ自体は貴族にとって――こう言ってはなんだがよくあることでしかないので、そこまで強硬に非難されることも、罪に問われることもない。ただ、実に品がない、という点は事実であるが。
庶民の村娘を抱くなど穢らわしいと考える上位貴族もいるし、同じ人間だから気にしないと貪る者もいる。そこら辺の感覚は千差万別だが、一応常識としては下品な行為という扱いになり、一応訴えとしての求心力は備えている。
「……未成年の幼い子供ばかりに手を出しておいて、よく胸を張れるものだ」
故にリミスも情けない奴とは非難できるが、それ以上の追求は難しい。
そもそも青少年保護(というか人権)の観点がない社会においては、子供を凌辱することより人妻を凌辱することのほうが重罪とされるものである。人権という概念はないが、契約という概念はきちんと存在しているからだ。
ただ子供を弄ぶのは弱者を一方的に嬲る行為であるため、それなりには非難される。
故にリミスが弟の悪癖を非難できるのもあくまでその程度ということで、前世の記憶があるアーチェなら憤慨するが、この世界の住人たるリミスだと呆れて終わりなのだ。
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