■ EX56 ■ 閑話:甦れシャルトルーズ法 Ⅰ
「お、新聞が張り替えられてる……ええと、二百年ぶりのシャルトルーズ法の適用要請?」
毎度おなじみとなったアルヴィオス・カレッジ・タイムスの冒頭記事を目にした誰もが聞いたことのない単語に首を傾げる。
もっとも見出しに二百年ぶり、と書いてあることからして、学生の誰もがそうなってしまうのは仕方のないことであろうが。
いつもの面白くない学術系記事か、と学生たちは流し読みしようとして、しかしその内容には自然と目が留まってしまう。
「『騎士の嘆願は哀れな男爵令嬢を救うに能うか』? へー、親と国が認めた婚約に異議申し立てができるんだ」
「え? 婚約に異議申し立てなんてできるの?」
「できるって書いてあるぜ? 新聞なんだから嘘は書かないだろ」
「でも婚約に対する異議申し立てって……王家が承認した婚約にでしょ? それって王家の否定じゃないの?」
「だから条件が厳しいみたいよ? ほら、訴える側は自分の爵位を賭けないといけないんだって」
「ということは俺たちにはあまり関係なくないか?」
「そうね、お子様の令息には関係ない話かもね」
「なにをぉ!?」
確かに、ここに書かれている内容が正しいならば、どれだけ家格が高かろうと爵位を持たない未成年令息にはある意味関係のない話だろう。
だがどれだけ家格が低かろうと、家のために他家に嫁がされるであろう令嬢たちには、それこそまさに青天の霹靂である。こんな法律があったなら何故、これまで二百年も埋もれていたのだろうか。
そうつらつらと視線を記事を追っていって、
「……これ、無理じゃない? この条件でこの法の適用を訴える男はいるの?」
「どれどれ? …………いや、無理だろ」
輝いていた令嬢たちの瞳がどんどんと曇っていってしまうのは、これもまた仕方ないと言える。
第三者が他家の婚約関係を訴えるシャルトルーズ法は、これを適用し婚約を解消させるための条件が極めて厳しく――
「……この条件で決闘に勝って初めて認められるとか」
「無謀にも程があるだろ。こんな法の適用を訴える騎士がいるんだな……」
この条件を満たした上でよくもまあ他家に口を出そうなんて考える奴がいるな、と学生たちはつらつらと記事を追っていって、さて原告の名前は? と記事の最後の法に辿り着き、
「レン・ブランド騎士爵? 誰?」
「さぁ……聞いたことないわね。ただ、こっちの令嬢の方、アレジア・フロックス男爵令嬢は分かるわ」
「え? 有名人なの?」
「彼女自身と言うよりその主がね。アーチェ・アンティマスク伯爵令嬢よ」
その名が人だかりに響いたことで、新聞の前に集っていた令嬢令息たちの知性、というか感情にあっという間に火がついた。
「アーチェ・アンティマスク伯爵令嬢!?」
「
「うお、これは見物だぞ! なぁ、決闘やるんだよな!」
「新聞に書いてある内容が確かならやるんじゃないの?」
「うおお! これ、俺たちも見に行けるのか? いや、何としても行くぞ!」
一気に熱を持った学生たちは胸を躍らせて次の報を待つ。
あのアーチェ・アンティマスク伯爵令嬢が動いた以上、これは事が穏便に納まることはない、と誰もが既に理解しているのだから。
――――――――――――――――
「シャルトルーズ法? とは何だ?」
侍従より次の承認を、と渡された羊皮紙の掲題を目にして、業務には慣れているはずのアルヴィオス国王イヴォン=ルイの手がピタリと止まる。
ただ侍従はこれあるを予想していたため、一度ベルを鳴らせば執務室の外に控えていた裁定官の長が入室し、恭しく法典を差し出してくる。
侍従の手を経てそれを受け取り、目を通したイヴォン=ルイは僅かに目を瞬かせた。
「こんな法律がこの国にはあったのだな。自国の法の一つも知らんとは私も無様なものだ」
「陛下、卑官も此度の訴えを目にするまで長らく忘れていた法にございます」
アルヴィオス王国の裁定長官が恭しく腰を折り、イヴォン=ルイが無学ではないことをそっと言い添える。
簡単にイヴォン=ルイからシャルトルーズ法成立の背景を求められた裁定長官は、それを予想していたのだろう。昨晩資料室を全裁定官でひっくり返して発掘した内容を、咳払いの後に語り始める。
シャルトルーズ法は不幸かつ不当な婚姻を権力差故に結ばされた哀れな娘、シャルトルーズ・ゲインリー伯爵令嬢の不遇を見かねた下位貴族たちによって貴族院に提出、制定された法である。
だが、婚約という家長に正式に認められた権限を第三者が否定することに、大部分の上位貴族は難色を示し、調停は難航。
最終的に法として成立したはいいが、上位貴族の意見を受け入れた結果として、極めて原告の意を通すのが困難なお飾りの法になってしまった、ということであるらしい。
「シャルトルーズ・ゲインリー伯爵令嬢はどうなったのだ?」
「原告は決闘に敗北し、予定通り嫁がされた結果、梁に縄を通し縊死したとのことにございます」
「原告は敗北したのか……致し方あるまい、この内容ではな」
どこか後味悪げにイヴォン=ルイは頷いた。
本来王位を継ぐ予定がなかったイヴォン=ルイと、学生時の恋人だったインフィアリアは――当然家格も考慮して選んだ相手ではあるが――恋愛結婚である。
であるが故にシャルトルーズ法による原告の訴えが退けられたのは、相思相愛で結ばれたイヴォン=ルイからすれば少しだけ哀れに思ってしまう。
「これは歴とした、法典に刻まれたアルヴィオスの国法であり、手続きに不備はないのだな?」
「左様にございます、陛下」
裁定長官が恭しげに頷いたため、イヴォン=ルイは原告レン・ブランド騎士爵の訴えを侍従へとスライドさせれば、侍従がそれに王の名のサインを記す。
これで手続き上はイヴォン=ルイから、法で定められている範囲の貴族間問題を調停する裁定官たちへと責任は移行した。
だが、責任は移行しても興味だけは残る。
「レン・ブランドというのは何者だ?」
短い休憩時間に投げかけられた、国王イヴォン=ルイからの曖昧な質問に、侍従は過不足なく答えた。
「アーチェ・アンティマスク伯爵令嬢と交流がある騎士のようでございます」
「……成程な」
イヴォン=ルイは小さく破顔した。淑女嫌いのアンティマスクの娘でありながら、
というより昨今巻き起こる文化旋風の中心には、必ず彼女の名前があるのだから無視などできるはずがないのだ。成人、学生社交界のどちらにも幅をきかせるそれは、未成年ながらまさに女傑と言うに相応しかろう。
「流石は
フッとイヴォン=ルイは小さく笑った。
国王が久しぶりに浮かべる、それは穏やかかつあくまで個人的な、王ではなくイヴォン=ルイとしての笑みだった。
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