■ 175 ■ シャルトルーズ法 Ⅱ






「それは違うわアリー。クルツ氏だって幾度となく励まされているはずよ」

「え? ……誰に、でしょう」

「貴方のお父様、カーム・フロックス男爵によ」


 私はそう断言できる。だってカーム・フロックスは私が初めて大人の夜会に出た会場で、「娘を宜しく」と私に頭を下げてきた人なのだから。

 その時に大した言葉を交わしたわけじゃないけど、それでも分かったことがある。この人は私のお父様と違い、ちゃんと自分の子供たちを愛することができる人なんだなって、それだけは分かった。


「そもアリーがちゃんとした教育を受けられなかったの、息子の当主教育を優先したからなんでしょ? そんなフロックス男爵が惣領息子への教育を怠るはずはないわ」


 何より、私のお父様はカーム・フロックスの世渡り術を認めてたもんね。お父様が認めるような人が、自分の息子を甘やかすはずがないよ。

 そういう感情で動く人間のことを誰よりも嫌うのが私のお父様だもん。令息に必要な助言は、幾度となくカームは息子に重ねている筈だ。


「だからこれだけは言えるわ。私はアリーを励ましたかもしれないけど、クルツ氏もフロックス男爵閣下に励まされている。その一点においてアリーと兄君の環境は等価よ」


 私がそう返すと、アリーは少しだけアハハ、と苦笑いするの、なんでだろうね。


「……アリーはあまり自分のお父様のことを信用してないの?」

「信用していないというか――よく分からないんです。アーチェ様は以前私を親に愛されている子だと仰いましたが――父さん、『最近どうだ?』って自分から尋ねてくるくせに私が『いつも通りです、悪くないです』って返すと黙りこんじゃいますし」

「…………さよか」


 アリーは呆れてるけど私は少しだけ分かっちゃったよ。

 カーム・フロックス、どちらかというと意義が無いと会話を続けられないタイプなのね。


 雑談ができないけど、仕事の話ならスムーズに交わせる。そういう奴は前世にもいっぱいいたわ。そっかー、だから娘への愛情が一方通行だったのね。

 こういう親相手だと、娘からしたら自分は愛されてないって思うもんだしね。愛情の話じゃなく得手不得手の話だからね、これはね。


「ま、まあ何にせよクルツ氏とアリーの生ける環境に大差はないと私は言いたいわけよ。あとはどれだけ周囲の言葉に耳を傾けられるかが二人を分けたと言っても過言ではない。その上で改めて問うわね。アリーはどうしたい?」

「私は……どうしたいのか……」


 同じ環境にありながら、違う方向に歩き出したと告げられたアリーは、しばし考え込んで、


「都合のいいことを、言ってもいいですか?」

「言うだけならば只よ。実現するかはさておきね」


 私がそうおちゃっぴいに笑うと、アリーもいつもの笑顔を取り戻してくれたようだった。


「私が家にいると兄さんはイライラするようですし、フロックス家を出る算段を立てたいです。その上でアーチェ様の下で今後とも働ければ、と」

「よっし、じゃあそれを目標に動きましょ」


 私が安請け合いすると、やはりアリーからすれば心配なのだろうね。


「こんな我儘を言ってもよいのですか? 私は所詮、どこにでもいる男爵令嬢に過ぎないのに」


 そこがアリーは前提から間違ってるんだけどね。

 普通の男爵令嬢は失明覚悟で私のために、なんて賭けに出ちゃあくれないって、そういうのはよく分からないか。ならちゃんと名言しておかないとね。


「帰り道で言ったでしょ? あの野郎どもは『私の部下を選ぶ目』を虚仮にした。淑女嫌いのアンティマスク家の、仕事に対する審美眼を侮辱したから私は怒ってるんだって。アリーも私の眼を否定するおつもりかしら?」


 そう私がフフッと笑うと、アリーのみならずストラムまでが青い顔でピンと背筋を伸ばす。なんでだ。


「と、とんでもない! 私はアーチェ様を信じておりますから!」


 いや、そこまで蛇に睨まれた蛙にならなくてもよいのだが。私は所詮悪役令嬢のお付きのモブAに過ぎないんだし……まぁいいや。


「家を出るにしても、庶民にはなりたくないわよね?」

「そうですね……ストラムの食事代がありますから」


 チラとアリーが背後に視線を向けて、そうだね。ドラゴンはよく食うってプレシアも怒ってたし。


「なら、これまでアリーが見たことある爵位持ちでコイツだけは嫌っていう人は?」


 そう問うと、アリーがしばし無言で真剣に悩み始め、


「うーん……特にいませんね。ある意味底辺がヴェイン・マロックだったので」

「おっ……おう……」


 ……そうか、底辺だったのかお前、ヴェイン・マロック。

 そうだよな。エミネンシア家の夜会に招いた騎士爵たちだって、アルバート兄貴たちが厳選してアイズの目でさらに善人度を確認した連中だもんな。

 人によって好き嫌いはあるだろうけど、ガチのハズレは一度だって呼んでないんだから、そういうこともあり得るだろうが……


「あいつ、そんな駄目だったんだ」


 三男にしても子爵令息だろ、と私としては懐疑的だったのだが、


「私やストラムのみならず、アーチェ様のドレス姿にまで劣情を抱いていたようですし。とても好きにはなれません」

「え、そうなの!?」


 そっちの方面かよ!? そりゃあ予想していなかったわ。ってか、


「私たち別に劣情を煽るような格好してないわよね?」


 今回もメイがしっかり着付けしてくれたから、見苦しい点なんてどこにもないはずなんだけど。


「……エミネンシア様式のドレスは下半身のラインがはっきり分かりますので」


 そうアリーが指摘してきて、そっかー。基本的にアルヴィオスのドレスは洋式だし、貴族は財力を誇示するために布を盛るもんな。だけど着物はそうじゃないし。

 胸から上を絞るのは着物もドレスも同じだけど、尻から下のラインは着物だとはっきり分かるもんな。


「浴衣ならともかく着物に欲情するとは大したエロ河童ね、ヴェイン・マロック」


 この国では合法だが、私基準ではクソ野郎だなヴェイン・マロック。私やアリーのみならずストラムまでストライクゾーンかよ。

 ロリコンが、反吐が出るぜ。アダー様配下の三下衆を思い出すわ。


 ……そういえばカワード、元気にやってるかな。五等士民ぐらいにはもうなっているだろうか。

 変なところからの連想ゲームで少しだけ懐かしくなっちゃったわ。


「何にせよ、ヴェインに比べれば誰でもマシってことね。この婚約をご破算にしてもアリー的には構わないわね?」


 念の為最終確認をしておくと、本当はやはり嫌だったのだろう。安堵したような顔で、


「はい、アーチェ様の御心のままに」


 そうアリーが頭を下げて来たので、この婚約をぶち壊すのはもう決定だね。


「ん、なら後は私に任せておきなさい」

「アーチェ様を信用しないわけではありませんが、大丈夫なのですか? その、私の為に成人貴族に爵位を懸けさせるなど……」


 アリーが不安そうに問うてくるが、そこは全く問題ないね。


「心配ないわ。むしろここで動かなかったら男が廃るというものよ」


 そうだろう、なあ? 騎士様よ。お姫様の危機に動いてこその騎士だろうよ、なあ?






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