■ EX51 ■ 閑話:小説を読もう






「……アーチェめ、此方の脛を的確に蹴りつけてきたわね」


 部下が集めてきた報告書を目にして、自宅の茶会室でウィンティは小さく溜息を零す。

 報告の内容は様々な表現がされてはいるものの、総括して、


「ウィンティは観劇や小説といった架空の要素を含む話に興味が無く、益のない無駄なものと考えているようだ」

「ウィンティが王妃としてこの国に君臨した場合、事実無根の創作などは無価値のみならず害悪なものと規制されてしまうのではないか」


 といった内容であり、これはウィンティが普段示している態度と何ら矛盾する類いの話ではない。

 実際、ウィンティはそういった物に対してあまり興味を持っていない。流行を抑えるのは基本だがのめり込んではいけない、と幼い頃からガヴァネスに厳しく躾けられてきたからだ。


 腹心である服飾担当のシェプリー・ビダイズン、美食担当のブランダ・スカ―ラム、そしてリトリー・アストリッチらを前に、ウィンティは腕を組んだ。

 新聞部でファンを獲得しつつあるリトリーではあるが、あくまでその人気は新聞部での活動に留まっており、噂の一つには、


「リトリーはウィンティ傘下では自由な創作活動が許されなかったから新聞部に入って、今はのびのびと小説を書いている」


 みたいな話も含まれており、それもまたある意味では事実の一端を担っているため、外部からは信憑性が極めて高そうに見えるのだ。

 またオウラン家が写真展に何らの興味も示さなかったことも、この点においてはマイナスとして響いている。形だけですら興味を示しておけば、もう少しは違っただろう。


 オウラン派は自分の意に添わない物は徹底して排除するのだ、という風に世間では捉えられてしまっている。

 これもアーチェが流した噂だが、そう信じられてしまう土壌があったからこそ人はそれを信じるのだ。


「私の方でも反論を考えてみたんですが――そんなことはない、と安易に否定した場合のアーチェの次の手は分かりきってます」

「私を小説の感想などを語る茶会に呼び出す、ということね」


 リトリーが示唆した未来を、明瞭なウィンティは即座に把握した。

 「本当に作り話に興味があるなら語れるだろう?」という流れに持っていかれるとウィンティとしても辛いのは事実だ。その場であっさり理解が薄いことは露呈してしまう。

 忙しくて時間が取れない、などと言ってお招きを断っても結果は同じだ。やはりウィンティは興味が無かった、あの話は本当なのだと噂が更に拡大してしまう。


「……満遍なく支持を取り付けるのはやはり難しいわね」


 だからと言って今から創作話なんぞを嗜むか? と言われても忙しいウィンティにはそもそも暇がない。人の時間が有限である以上、何かを取れば何かを捨てなくてはいけないのは自明の理なのだが――

 とはいえ、切り捨てられた側の感じる印象はただ「捨てられた」の一言が全てになってしまうのが世の常だ。


「どのように対策なさいますか? ウィンティ様」


 ブランダ・スカーラムにそう問われたウィンティは悩んでしまう。ここのところのアーチェの成人社交界における影響力は、もはやウィンティをも凌駕するレベルで増大している。

 ここで一切手を打たなければ、服飾以外の創作芸術関係者から見限られてしまう可能性は否めない。そう感じてしまうほどに今のダンス、演劇、歌劇、小説界隈はアーチェを中心として沸いている。


 これは何も女性界隈に限った話ではなく、例えば自分の可愛がっている女優などを売り込むのにも写真によるアピールは極めて有効だ。

 若いうちに庭でアーチェの様な写真を撮りたい、と妻からせがまれれば門閥貴族家の当主とてそうそう無視はできまい。妻のみならず娘からの突き上げもあろう。恋人にせがまれる令息もいよう。


 あのアーチェの写真は写真展を介して、あっという間にこの冬の王都を席巻してしまった。それほどまでにあの写真は衝撃的にアルヴィオス美術界を震撼させたのだ。

 既にあの写真をモチーフにした小説や歌劇も作られているという話も耳に入っているし、絵画界にも影響は波及している。これはウィンティとて座視できる流れではない。


 あのような賤しき庶民の服装で、みたいな反論もウィンティは考えたのだが、それは服飾担当のシェプリーに止められた。

 あの庶民服が最上級の素材を用いて作られていることをシェプリーは見抜いたのだ。

 そこを非難してはむしろウィンティが見る目がないと反撃されてしまうと。見た目しか判断出来ないと意趣返しされてしまう、と。


「個人的には全ジャンルを網羅しなくても、一つぐらいウィンティ様も自分で語れる嗜好を持っておいた方がいいと思いますが」


 そうリトリーが提案してきて、やはりそれしかないかとウィンティも頷いた。

 正直、興味はあまりないのだが――もしそれがウィンティの本心として噂が定着してしまったら完全にウィンティはミスティの後塵を拝してしまう。それだけはヴィンセントのためにもウィンティには許しがたい。


「演劇や歌劇といった特定のジャンルではなく、嗜好なの?」


 美食担当のブランダがそう尋ねてくるが、然りとリトリーは頷いた。


「ええ。広く浅くではなく――例えば食事で言えば、美味しい物は何でも好きっていうよりトマトが好き、トマト料理にならいくらでも語れる、みたいな方がウケはいいのよ」

「成程ね。サッシュや髪飾りには拘りがある、みたいな方向か。確かにそういう話を聞くのは私も好きだわ。熱意こそが芸術の根幹だもの」


 シェプリーが納得した様に頷いた。確かに興味をアピールするなら手広くやる必要はない。一つの方向性を深めればそれで済むというのは納得できる話だ。

 そうウィンティも理解し、


「……やってくれたわね、リトリー」


 このアーチェの攻め手にリトリーが一枚噛んでいることを、ウィンティは聡くも推察してしまった。

 自分の上司でありながら、創作小説に何らの興味も示さないウィンティである。アーチェがこの方向で攻める際にリトリーを抱き込んでいないはずがない。「将来それで安心なの? 見限られない?」と。


 食事は食わなければ死ぬ。服を着なければ痴女だ。だが小説は嗜まなくても不都合はない。

 だから無理矢理にでもウィンティに興味を持たせないといけない、とリトリーが考えるのは当然の話だ。

 そう主に看破されたリトリーは苦笑するが、


「そこはどうしようもなかったとご理解下さい」


 ただ、本当にリトリーとしても打てる手がなかったのも事実なのだ。ウィンティはこれまで全くその方面に理解を示さず、それはリトリーにわざわざ聞かなくても誰の目にも明らかだったのだから。

 アーチェがそう攻めたのは、手元にリトリーがいるからではない。それが弱点だから攻めただけで、リトリーはただ単に巻き込まれただけだ。


「ぶっちゃけアーチェの狙いはウィンティ様に小説に興味を持ってもらって、ウィンティ様が王妃になった際にも小説文化を更に発展させる事ですよ。陣営強化なんて建前のオマケです」

「……そうね、あいつはそういう女だったわね」


 アーチェは自分のやりたいことを、ある意味陣営の利益以上に優先している様な女だ。今思えばあの女が弱小ミスティの下について自分の下に来なかった理由が、今のウィンティにはよく分かる。

 ミスティの下ならやりたい放題ができるから、あの女は早々に味方など殆どいないミスティの配下として名乗りを上げたのだ。


 当時は疑問だったが、今こうして現状に鑑みれば、アーチェが孤立無援なミスティの下についたのはむしろ当然の流れと言えよう。


「まぁ、それはそれとしてお好みの嗜好があればお勧め本は私の方でいくらでも用意しますよ。何でも言って下さい、ウィンティ様!」


 だったらせめてその嬉しそうな顔を少しは隠せリトリー、とウィンティもシェプリーもブランダも思わざるを得ない。




 ややあって、リトリーが推薦してきた本の中から最終的にウィンティに多少なりとも刺さったのは、努力した主人公がそれに見合った立場を得る成長譚であった。

 そもそもが現実的思考しかしないウィンティには、どれだけ不遇だろうとドアマットに甘んじている女性を美男が当たり前のように助けてくれる話はイラッとするらしい。


「ウィンティ様はホントつまらない女ですね。夢もキボーもあったもんじゃない」

「それが主に対して言う台詞?」


 なんで私はコイツを腹心にしたのだろう、と今更ながらに思わないでもないウィンティである。






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