■ EX44 ■ 閑話:アルヴィオス王家 Ⅲ
――専門性は室長頼りで自身は広く浅く無辺の未来を描き出す。なんて女なの、アーチェ・アンティマスクは……!
王妃として相応しい令嬢など、自分を超えるものは現れないと。
そんなウィンティの自信がガラガラと音を立てて崩れていく。
なにせ学園入学前の段階から、アーチェ・アンティマスクは自陣営の利益のみならず、国益のために動いていたのだ。
それができる令嬢が、アルヴィオスのいったい何処にいるだろうか。
「無学な獣人どもがお前の言うことを理解せず、お前を人質にとって交渉してきたらどうする、ルイ」
そんな国王イヴォン=ルイの問いに、
「その時は国家騎士団で私ごと押し潰して下されば結構。王家に難民との交渉程度に失敗するような愚鈍は不要。兄上が残ればこの国は安泰でしょう」
命を懸ける、とルイセントはきっぱり明言した。初動の成否のみならず、難民たちによる新領土の自治が以後アルヴィオスに牙を剥くなら、その責任は自分の首で贖うと。
それはもうアーチェと獣人の間で話が付いているから、ポーズだけに過ぎないのだろうが。
「お、お待ち下さい。そのような大事な折衝であれば、年若いルイセント殿下よりヴィンセント様が当たるべきでは?」
「ご冗談を、オウラン公爵令嬢。第一王子である兄上を野蛮な獣人たちの前に差し出せというのですか?」
ぐうの音も出ないほどに正論だ。第二王子、予備だからこそルイセントは動くことができる。
だからこれがアーチェの予定調和だとしても、安全だと分かっていてもヴィンセントがそれを掠め取ることはできない。第一王子という立場がヴィンセントを縛るからだ。
「失敗しても、失われるのはお前の命一つか。それで良いというなら、よかろう。やってみるがよいルイ」
「ご信頼をお寄せ頂きありがとうございます父上。確実にあの新領土をワルトラントからの盾として機能させてみせましょう」
ここに王家の方針は定まった。ヴィンセントもウィンティも、ルイセントの独壇場を、驚愕を胸に黙って見ていることしかできない。
否。内申で驚愕しているのは他ならぬルイセント自身も同じなのだ。
――前々から聞かされていたのに、それでも背筋が冷や汗で濡れる。まさにアンティマスクの寵児としか言いようがないな。
リオロンゴ河を前にして初めてその仕込みを聞かされた時、ルイセントはアーチェの正気を疑った。
しかもあの理知的なダートたちが、まさかそんな保証もない偶然に期待して仕込みを行っているなど、博打が過ぎると思っていた。
だがアーチェだけはそれを博打とは思っていなかった。天候を記録するチェインマン研ソイル準男爵と、測量に人生を捧げているベイスン研バゼット男爵の研究成果を信じて、それに賭けたのだ。
天才などでは、アンティマスク伯爵令嬢は断じてない。
恐るべき秀才なのだ。機を読み、情報を読み、記録を読んで、その場で最善と思われる布石を打つ。まさに淑女嫌いのアンティマスクの実子でありながら、勇猛にして果断なる雷刃ラウムの孫娘、奇跡の子だ。
唯一ルイセントにとって懸念があるとすれば、アーチェの忠誠はルイセントでもミスティでもなく、アルヴィオス三千万の民に向いているということだ。
もしルイセントが国民を蔑ろにする決断をすれば、容赦なくアーチェはヴィンセントに付くだろうということだが……
――ミスティも民に笑顔を、と望んでいるしね。
ルイセントはもうミスティと共に生きていくと決めたのだ。そのミスティもまた師であるアーチェと同様に、民に笑顔を、と己の方針を掲げている。
であれば、愛する女の願いだ。ルイセントもまたそれに殉じよう。何も問題はない。
悪辣でなくては王位に付けないなら、ヴィンセントが王位に付けばいい。
――救われたと、確かにそう感じたのだから。
自分たちが偽りの王である、と白竜に指摘され、その事実にルイセントが苦しんでいた時に。
『私はアルヴィオス王国の現在の在り方を誇らしく思う。農作物を改良し、土壌を改良し、聖属性の賦活に頼らなくともアルヴィオスは人が自給自足で生きていける国を作り上げた。これ程誇らしい話などないでしょう?』
アーチェ・アンティマスクは迷うことなくそう述べてくれた。初代王などよりよほど歴代の王の方が誇らしいと本心から言ってくれたのだ。
それに、その言葉にルイセントはどれだけ救われたことか。
伴侶にミスティを選んだこともそうだ。
神の庇護など関係なく、重要なのは人の手で未来を切り開いていくということ。
それこそが自分が目指すべき王の在り方だと、ルイセントはアーチェの言動から悟ったのだ。
神に頼るな、今できることを全力で行って、民の平穏を守れ。
重要なのは王位ではなく、王として民を正しく導かんとする在り方だ。
それを貫ければ、ルイセントは王座を手にできなくとも、きっと絶望せずに死ねるだろう。
王冠を頭上に掲げること能わなくとも、ミスティも共についてきてくれるだろう。共に生きて、共に死んでくれるだろう。それを申し訳ないと思わずに嬉しく思うほどに、もうルイセントはミスティを愛している。
「では事は喫緊。これよりアルヴィオス王国第二王子ルイセント・エンズヴィル、新領土に難民を住まわせ、ワルトラントからの盾とすべく行動致します。有事には兄ヴィンセントを信頼し、迷わず私をお切り捨て下さい」
「中座を許す。吉報を持ち帰れよルイ」
「ありがとうございます父上、では御免!」
ルイセントは両親に一礼し、侍従を引き連れ一人白樺の間を後にする。
「さあ行くぞウェイジ、獣人難民の生活を安定させ、鍛え上げ、領土を取り戻さんと迫るレヒトハン州軍を抑える強固な盾とする」
「お供いたします、殿下」
侍従にして親友たるウェイジ・ウンブラを連れて、ルイセントは戦場へと向かう。
「なんとも私向きの国への貢献を用意してくれたこと、感謝するよアンティマスク伯爵令嬢。その期待を裏切らないよう、私も全力を尽くしてみせるさ」
だがルイセントは感謝してばかりもいられない。少しでも早く成長して、自分もまたあのアーチェのようにならなくてはいけない。
そうでなければミスティの愛と信頼はルイセントよりアーチェの方を向いてしまいかねない。
知性を愛する者たちにとってアーチェ・アンティマスクは、それ程までに魅力的に過ぎるのだから。
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