■ EX44 ■ 閑話:アルヴィオス王家 Ⅱ






「まず前提として、アルヴィオス王国とワルトラント獣王国はリオロンゴを国境とする、という正式な条約を締結していません。ですので、かの土地はワルトラント・レヒトハン州が領地と主張する危険が未だ残されています」

「ふむ、確かに」


 学生ながらルイセントもよく学んでいるな、と国王イヴォン=ルイは頷いた。

 リオロンゴ河が国境なのはあくまで状況としてそうなだけで、両国が話し合って合意したわけではない。


「故に私としては、此度手に入れた領地には獣人を住まわせては如何か、と提案する次第です」

「……なんだと!?」


 ルイセントの提案に国王イヴォン=ルイはおろか、王妃インフィアリアも、ヴィンセントもウィンティも目を剥かずにはいられなかった。

 せっかく増えた領土を、獣人にくれてやる? それをして一体どうアルヴィオス王国に利益をもたらすというのか。


「一聞すれば売国の徒だが……そうではないのだな。詳細な説明を、ルイ」

「はい、父上。なにもワルトラントにくれてやるわけではありません」


 両親を、そして何より兄を安心させるようにルイセントは一度穏やかに笑ってみせる。


「あそこに住まわせるのは難民です。要は難民たちに、『お前たちの土地だ、自分で守れ』と自治権を認めてやれば、この国の難民問題は解決します」


 ルイセントの提案に、ヴィンセントが膝を叩いた。弟がやろうとしていることを真っ先にこの聡明な兄は理解したのだ。


「出産の禁止、成人獣人の強制送還。それらを我々がやるから難民は我らを恨むのです。であればそれらを全て難民どもに管理させてしまえばいい。自分たちの土地を得れば、彼らも統治というものを理解するでしょう。必死になって自分の家を守ろうと、あそこの元支配者であるレヒトハン州軍とも戦うでしょう」


 ルイセントの言に国王イヴォン=ルイは瞠目した。乱暴だが、確かにその通りだ。

 そもそもがワルトラントは群雄割拠の土地である。だからアルヴィオス王家が難民たちにその土地の自治権を認めれば、獣人どうしが戦うのはごく普通にあり得ることだ。


 アルヴィオス王家のためではなく、難民たちは自分の土地を護るためにワルトラントと戦うのだ。

 そしてそれは自然と、アルヴィオス王国の盾として機能することになる。新たな難民たちも獣人が支配する避難先があるならその土地へ向かうだろうから、難民の不法侵入も自然と解消する。


「これまで人の住処だった土地を獣人に渡せば文句が続出しましょう。ですが元川底だった土地であればそれは誰の土地でもない。千載一遇の機会です」

「しかし、レヒトハン州軍に難民が抗しきれるか? 相手はワルトラントの正規軍で、難民は所詮女子供の寄せ集めだぞ?」


 厳密に言えば、現在のワルトラントには正規軍、と言うものは存在しない。中央政権がなく各州が競い合っている現状では、州牧たちも自らそう名乗っているだけで王から認められたわけではない。

 だがその州牧自らが率いる戦士軍は領属騎士、と言うよりはアルヴィオス国家騎士の一個師団に比肩する規模と実力であるため、暫定的に各州軍を正規軍と見做しているのが現状である。


 戦えない、戦いたくないから難民たちはアルヴィオスに来たのだろうに。そんな連中でどうやって州軍を抑え込むつもりだ、と国王イヴォン=ルイは問うが、


「リオロンゴ、という大河があるおかげで、ワルトラントも大軍を対岸に送りつけることはできません」


 ルイセントは問題ないとにこやかに笑う。


「今の難民たちには船の扱いを知っている者もいますしね。河上の戦なら難民たちにも勝機はあるでしょう。なにせワルトラントは高木の少ない国家ですしね」


 そのルイセントの一言が、一瞬にして白樺の間に集った王族皆を戦慄させた。

 理解の灯が興奮に飛び火して、大きく感情を揺るがせる。




 そもそも難民を船乗りとして活用しようと言いだしたのは誰だ?




 難民をフェリトリー領で安く使い始めたのは一体誰の知略だ?




 そして何より、その獣人と懇意にしているのは、信頼を得ているのは一体誰だ?




「ルイ……」


 そう語るヴィンセントの声は若干震えていた。さもあらん、


「一体いつからア――いやお前は、こうなることを想定していたんだ……?」


 ルイセントのやったことは、これでは殆ど未来予知ではないか。とてもじゃないが常人の行いではない。


 此度、リオロンゴの流路が変わったのは天の采配だ。人の意思でどうこうできることではない。

 だというのに、まるでそれを予定していたとばかりにルイセントは獣人を船に乗せ、フェリトリー領に送り込み、あまつさえモンサンブランでは共に戦ってまでいる。それほどに仲を深めている。

 そう、最初からこの先に起こる全てを分かってでもいなければ……


「お前には、未来が読めるというのか、ルイ……」


 ヴィンセントがそう声を震わせるのも仕方がない。こんなものは、これは人の行いの範囲を超えているとしか思えないのに、


「いえ、読んだのは過去の記録です。チェインマン研が取り続けた天気の移り変わりと、ベイスン研の測量記録です。兄上」


 そう、ルイセントは穏やかに微笑んでみせる。


「過去幾度となく長雨の後に、リオロンゴはその流路を変えている。その中の一つには今の地形に近いものも存在していた。だからそうなる可能性もあったし、ならない可能性もあった。そしてそれに備えるだけなら只だ。それだけのことです」


 涼やかに応えるルイセントを前に、ヴィンセントもウィンティも、国王夫婦ですら一瞬呼吸を失った。

 確かに備えるだけなら只で、実際にルイセントはこのために身銭を一銭たりとも切ってはいない。

 可能性の一つと捉え、駄目なら駄目で良いとばかりに備えていただけのこと、それだけだ。


「父上、私を現場に向かわせて下さい。今フェリトリー領に多く働いている難民たちに、アルヴィオスへの納税と帰順、ワルトラントの侵略に抗する盾となることをこの私が約束させてみせます」

「獣人の難民に、ワルトラントと戦うことを認めさせると? お前にはそれができると? ルイ」

「然り」


 それが既に予定調和であることを真っ先にウィンティは見抜いた。根回しは終わっていて、もうそういう話になっているのだ。とっくに新領土は獣人たちによって占拠されているのだろう、と。

 「国王に無断で勝手なことを」という指摘はウィンティにもできはしない。なにせリオロンゴを国境と誰も定めてない以上、川底だった土地は誰のものでもない土地だ。

 であれば最初に実効支配したものが支配者となるのは自明の理だからだ。


 ルイセントは決して自国の領土を難民に売ったわけではない。少なくとも形式的にはそうなるのだ。

 仮にアーチェの采配で、既に新たな領土が完全に獣人のものになっていたとしても、だ。


――私としたことが、本質を見誤っていたわ。アーチェの根底は学者なのね。


 ウィンティは歯がみした。あのアルジェ・リージェンスが助手に雇った女の才覚を、己は嫉妬で正しく量ろうとしていなかったと、今更ながらに気付いたのだ。


――専門性は室長頼りで自身は広く浅く無辺の未来を描き出す。なんて女なの……!


 あれは本物の才女だ。研究者だ。

 アルジェに気に入られたのはウィンティよりよほど象牙の塔魔術研究室員としての適性が高かったからだ。研究者として優れていたからの、この仕込みだ。


 天候、地形、歴史、民族意識。

 それらを全て踏まえ、バラバラなものと考えずに、アーチェはこの未来絵図を二年前――いや、もしかしたらベイスン研に顔を出し始めた頃から描いていて、その為に準備していたのだ。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る