■ EX43 ■ 閑話 それぞれの悩み ミーニアル家 Ⅲ
「改めまして、国王陛下よりミーニアルの地を任されし王国の下僕、イスカシオ・ミーニアル伯が次女、シーラ・ミーニアルと申します。お名前を伺っても?」
ボックス席から階下の、まだ幕の降ろされた舞台を見やっていた少女がびくりと身を強張らせ、ヴェールを捲り上げてシーラに向き直る。
髪の色にも負けない赤い瞳が、宝石のような輝きでシーラを見やる。
「これは失礼をば。私はラキシュ・シア……いえ、ただのラキシュにございます」
家名を名乗れない、いよいよこれはどこかの庶子か何かか。面倒に巻き込まれなければよいのだが、と今更シーラは考えたが、それこそまさに今更の話だ。
「ではラキシュ様、と呼ばせて頂きますね。私のことはシーラと」
「畏まりました。シーラ様は私の恩人ですわ。一体どのようにこのご恩を返せばよろしいのか……」
「先に述べましたように、観劇後に感想を聞かせて頂ければ十分ですよ、と」
ガランガラン、と開幕前を示す鐘の音がホールに響きわたり、途端にざわめき声が静まって身動ぎすら戸惑う程の静寂に満たされる。
ボックス席から興味津々とばかりにラキシュが身を乗り出すさまは、本当にこの歌劇を心から待ち望んでいたのだろう。
――――――――――――――――
「それで、どうでした?」
「最高でしたわ! 脚本も、それを演じる歌劇手も!」
われんばかりの拍手が鳴り響いたあと、シーラが傍らのラキシュに問うに、どうやら一般的には受ける歌劇だったようだ。
「
「ああ、うん、そうかもしれません」
まさか途中少しだけ貴方の後ろで寝ていたとは言えず、シーラは珍しく窮鼠の如く頬をかいて胡乱に微笑む。
ただ、事前に得ていた情報とはなんか異なる感想のような……これ、悲恋の話だとシーラは聞いていたのだが……
「互いに友情を育みながらも愛する女性の為に殺し合う殿方の慟哭に私、胸を打たれて……ああ、現実の恋の前では友情と仁義、どちらが優先されるのでしょう」
「どうでしょうね。私には恋とかわからないので、ラキシュ様は?」
「……私も恋とかしたことありませんの。族父様は偉大なお方ですが女癖は最低で、私を含めもう何人に手を出したやら……ニンファ様も私生活は奔放ですし、ランディは私に顔すら見せたことがありませんし」
あ、これ聞いちゃまずい話だったな、とシーラは焦った。
どうやら嫁いだ先の家長は女誑しで義娘にも手を出し、その妻は妻で男を漁っている。ラキシュの結婚相手は他に女がいるのかラキシュには見向きもしない、という環境のようだ。控えめに言って最低の家庭環境だろう。
「ただ、アイシャ様と睦み合っている族父様は久方ぶりに本気で恋をしたのか、とてもとても幸せそうで……私もそういう感情を抱けたらなあ、と思うと居ても立っても居られなくて……こんなところまで来てしまいまして。本当にありがとうございます、シーラ様」
「いえ、気晴らしになったのなら幸いです」
そんな環境ならば、歌劇に誘って正解だったろう。シーラはホッと胸を撫で下ろす。
そうして一通りの感想をラキシュから聞き出しカティにメモを取らせてから、二人は並んで王立歌劇場を後にする。途中少し寝てたとは言え、この目元会わせれば十分に感想記事は書けるだろう。シーラはホッと胸をなで下ろし――そして先程語られたような家庭環境に帰らねばならぬラキシュを少しだけ哀れんだ。
「もし、次の機会があったら、その時もご一緒に如何ですか?」
「宜しいのですか!?」
「ええ、ただ本当に次があるかは分かりませんが。今回も私はチケットをたまたま譲られただけですので、それでも宜しければ」
「構いませんわ。ありがとうございます、ああ、ああ、シーラ様は私の女神ですわ……!」
ギュッと安易に手を握ってくる仕草は令嬢的には拙いのだが、そこまで喜んで貰えるなら悪い気もしない。
「しかし、そうすると連絡先か……伺っても大丈夫ですか?」
「あ、はい。ではこちらに」
ラキシュが伝えてきたのは貴族街のもっとも貧しい、北を十二時として六時の方向、外周寄りの住所である。
しかしそうサラサラと記されたラキシュは達筆で、伯爵家のシーラからしても全く見劣りしないほどだ。色々とアンバランスな娘である。
「あ、ですが私もお役目があるので、時にシーラ様にお誘い頂いてもお供できない可能性も……」
「王国貴族なれば当然の話です、お気になさらず。その際にはお返事頂ければ十分ですわ」
「助かりますわ、シーラ様」
予定が合わないのは何かと忙しい貴族あるあるだ、気に病む必要など一切ない、と伝えるとラキシュは安堵したようだった。
どうやら命令を拒否できない立場なのだろうな、と思うと少しだけラキシュが可哀想になる。
方向性の違いにより「それでは」と会釈をしたラキシュが闇の中へと消えていく。
侍従も護衛もいない彼女を一人で帰してよかったのか少し迷ったが、貴族街の中なら問題あるまい、と思うしかない。
――――――――――――――――
なお、シーラの書いた感想記事は結構ウケたようで、ただ、
「見てきたけど記事に書いてあるの主題じゃなくない? 間違ってはいないけどさ」
みたいな反響ぶりだったのは、まぁシーラ自身も小首を傾げたくらいだったので致し方ない部分もあろう。
ただアーチェに宣伝を依頼した貴族はその原稿をアーチェに見せてもらい、
「一般的ではない別視点からの評価もあったほうが間口が広がるし、私自身の刺激にもなりますわ!」
と喜んだらしく、別の上演にも是非にと望まれたのはさて、シーラ的にはさておきラキシュ的には喜ばしい話か。
「歌劇の感想を言える知り合い、確保できたみたいね」
あの記事がシーラから出てきていないことはアーチェも初見で気が付いたようで、そう穏やかに笑うアーチェを見ていると「お前は私の母親かよ」とつい言いたくなるシーラである。言わないが。
「何にせよ依頼主は満足しているから、引き続き宜しくね?」
「はいはい、予定が合うときだけね」
そうして新たにシーラの予定に、ラキシュと共に夜の街へくり出すという一項目が追加されるようになったのである。
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