■ EX43 ■ 閑話 それぞれの悩み ミーニアル家 Ⅰ






「どうしたもんかしらね……」


 シーラ・ミーニアルは王都クリティシャスが誇る王立歌劇場を前にして何度目になるかもわからぬ溜息を吐いた。


「お嬢様、ここまで来て尻込みされるんですか?」


 侍従のカティが「こいつ本当に単体だと面白くねー女だな」という視線を一切隠さず向けてくるが、これはいつものことなのでシーラは全く気にしない。

 アーチェ&メイのペアとはまた違ったベクトルで、この二人も凸凹ながらに噛み合っているのだ。


「だって観劇とか興味ないし」


 そう、観劇になんて興味はないのだ。


 作り物の、盛大に盛られた話を、ことましやかに歌と芝居で飾り上げたもの。それがシーラが考える観劇である。

 律動だとか、鳴動だとか、情動だとか、感動だとか。そういうものにはシーラは一切興味がない。


 そも、シーラは命を懸けて紡がれるルイセントとミスティの恋物語をこれ以上無い程間近で摂取しているのである。

 これに比べれば人の心を揺さぶるべく要所要所を盛られたお涙頂戴の歌劇など、三流以下のポエムとしか思えない。


「とはいえ、新聞のネタですし。此度のオペラ、監督であるアミルカレ・バッジーニの前作『アズライールの晩鐘』は観劇した人の心を鐘のように打ち鳴らすんです。今回の『黄薔薇姫』も期待が持てるはずです」

「どこかで仕入れただけの受け売りをさも自分の言葉のように話すのは止めなさい。趣味が悪いわ」


 てへ、と舌を出す侍従を軽く睨んで、シーラは王立歌劇場の入口を見やる。

 荘厳な建物だ。クラールス平原傍にあるケスタ地形より産出されるトラバーチン大理石で飾られた入口。その美麗なファサードを支えるアーチと柱はこれまで数多の美男美姫の溜息と喝采で磨かれてきたのだろう。

 歌劇場に吸い込まれていく人影は誰もが男女のペアであり、期待と、そしてある種の情熱に満ち満ちた貌を浮かべていて――それが益々シーラのやる気を削いでくれる。



――観劇なんて、ガラじゃないのよ。



 こういった歌劇の題材になるのは、その大半が人の愛憎だ。そしてそのどちらにもシーラは興味がない。

 我ながら枯れている、とも思うのだ。相方であるアーチェの方がまだ色恋沙汰に反応できる。


 デスモダスとやらに求愛されて完全に辟易していたり、「バナール様に婚約解消されなかったわ」と安堵したように笑うアーチェはあれで、自覚がないだけの普通に恋愛のできる女だ。

 だがシーラはそういった感情が全く湧いてこない。恋、というものがどういうものかさっぱり分からない。


 いや、正確には理解したくないという方が正しいか。



――いい? 興味ないはいいわ、つまらないもいい、自分には合わないもいい。でも一度も観劇せずに、それがどういうものかも分からずに「知らない」は許される立場じゃないわ。



 そう指摘してアーチェはシーラにオペラのペアチケットを譲り渡してきた。仮にも女学生や女性貴族が憧れる観劇である。それがどういうものかを知識としてしか知らない、で許される立場ではないのだ。

 今やミスティは学園内における情報発信の泰斗となっているのだから、その側近であるシーラが流行を知らない、などということは許されない。

 それは、頭では分かっているのだ。分かっていてもなお、シーラはそれを拒絶する。


「お嬢様はそんなに恋が嫌いですか?」


 シーラの手足として、アーチェから譲られたチケットを手にしているカティがそう、何気なくを装って聞いてくるが、


「貴方はどこまで知っていて私の侍従をやってるのかしらね」


 そうシーラに軽口を叩かれ、カティは口を噤んだ。

 雇い主たるイスカシオ・ミーニアル伯爵からシーラの侍従を任されるに当たり、唯一カティ・マッキネンが厳命されたことは一つだけだ。

 即ち、シーラが恋をしたら、即座にそれを報告すること、だ。


 それが如何なる理由で厳命されているのかをカティは聞いていない。ミーニアル家の内情に首を突っ込むつもりは更々ない。

 ただ、その命令と、シーラが過剰なまでに恋を厭う態度からある程度の予想はできる。


「私が知っているのは精々、お嬢様が恋という感情をお嫌いという程度ですよ」


 イスカシオ・ミーニアルは妻に似なかった長女を家のために大事に育て上げたが、己の妻によく似たシーラはただ自然と育つに任せたこと。即ちシーラに自分の手が入ることをイスカシオが嫌ったということ。

 その裏に隠された感情を読み解くのは、まあ、普通ではないことが好きなカティからすれば然程困難ではなかったけれど、口に出すのは憚られる。


 シーラ・ミーニアルはもう十四歳の伯爵令嬢だというのに、父親から婚約者の打診が一切降ってこない。これはかなり異例のことだ。



――要するに、お嬢様をお嫁に出したくないってことよね。



 ミーニアル家は嫡男がいない家だ。だから長女の方で婿を貰うことになっている。

 とすればシーラを家に残しても仕方ないのだが、当主イスカシオは何故かシーラの婚約相手を見つける気がない。


 そこにカティが娘に対する歪な父親の感情を見出してしまうのは――多分偏見ではないはずだ。

 そしてシーラが恋だの愛だのを嫌う理由もまた。



――ドロドロだなぁ。とは言え、私が口出しできることじゃないからなぁ。



 カティはシーラの味方のつもりだが、カティの雇い主はあくまでイスカシオ・ミーニアルだ。

 イスカシオが雇い止めする、と言えばそれまでの存在だ。マッキネン男爵家はミーニアル伯爵家の寄子のような存在だから、文句など言えないだろう。






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