■ EX41 ■ 閑話 それぞれの悩み:アンティマスク家 Ⅰ






 マーク・リブニット準男爵に端を発した一連の騒動に方を付けたアイズは、自室のデスクで父グリシアスへの報告書を纏め終えると、


「これで全部か、後始末も楽じゃないな」


 憂鬱そうな顔で前髪を揺らした。


 細作の始末、目撃者に対する口止めと根回しと脅迫。その為に用いた予算の計上。

 数値と書面上は何も問題はない。王国貴族としてごく無難な範囲でことを納められている筈である。


「ケイル、再確認を頼む」

「了解、っと」


 ケイルがダブルチェックに取り組んでいる間に、何ともなしに手持ち無沙汰になったアイズは手の平の上で氷細工を作っては消し、作っては消しを繰り返す。


「浮かない顔だな、弟様よ」

「……まあね」


 リブニット準男爵はアイズにとって何よりも大切な姉アーチェを誘拐し、あまつさえ腕を切り落として危うく失血死させるところだった大悪党だ。

 百辺殺してもまだ殺し足りない、アイズからすれば生きる価値のないゴミクズ野郎だが、


「なにがご不満だい? やはり自分の手でマークのクソ野郎をぶち殺せなかったことか?」

「お前は気にはならないか?」

「うん?」


 検算を終えたケイルは再び報告書へ一から目を通し始め、アイズが引っ掛かりそうな点を追ってみる。


――弟君が気にすることは大体はアーチェに関すること、だよな?


 とすればアイズ目線で追うのではなくアーチェ目線で見る必要がある、と再度頭から報告書を読み直したケイルは、やがて一つの項目に辿り着いた。


「ロッタ・クロシティ、いやこっちじゃねぇな。ダイアン・ジーンの去就について、か?」

「……ああ、それで正解」


 ロッタ・クロシティ、即ちマーク・リブニット準男爵の娘についてはアイズは然程気にしてはいない。

 あのマークの娘であるロッタ・クロシティもまた準男爵位を持つ、象牙の塔魔術研究室副棟に研究室を構える成人貴族だ。


 しかもリブニットの娘だから貴族というわけではなく、自らの才覚で王より新たな準男爵としてクロシティの家名を授かり、自らの研究室を開いたほどの秀才である。

 自分の生活を自分の収入で支えている以上、マーク・リブニットがいなくなろうと彼女の生活に影響はないだろう。


 問題はむしろダイアン・ジーンの方で、これが誰かというと、


「弟様が瞬殺したリブニット準男爵の侍従の奥さんか」

「ああ、娘を連れて実家に帰ったみたいだけど」


 そう、アーチェを助け出すにあたり、怪力かつ鼻も効いて人ならぬ視界を持つアムがいたため、情報を絞り出す必要もないと判断したアイズが瞬殺した、マーク室長の侍従フリアン・ジーンの妻。


「父上に借りた手勢で調べさせたら、かなり苦しい生活を送っているらしい」


 未成年の娘を抱える彼女は夫を失い実家のムール騎士爵家に帰り、名もダイアン・ジーンからダイアン・ムールへと戻った。

 たが、「あのアンティマスク家の面に泥を塗った男の関係者」ということで腫れ物扱いされているようだ。


 ムール騎士爵家からすれば、ここでダイアン・ムールを手厚く保護すればアンティマスク家に睨まれかねない。

 故にこれは当然の扱いなのだが、ではダイアン・ムールとその娘にそう扱われる咎があるのか? と問うならそれは否である。


 彼女たちは何も悪いことをしていない。したのはあくまでアイズに秒殺された彼女の夫、リブニット準男爵の侍従フリアン・ジーンの方だ。

 だがフリアン・ジーンはもうこの世に居らず、だからムール騎士爵家はアンティマスク家に敵意がないことを示す為に、出戻りの娘であるダイアン・ジーンムールとその娘ミーシャ・ジーンムールに冷や飯を食わせるしかない。


「要するに僕がフリアン・ジーンを殺してしまったから、その妻と娘は苦しんでいるってわけさ」


 そうアイズは自嘲するが、だからとてアンティマスク家が情けをかける必要はない。

 侯爵家に嫁ぐはずの大事な一人娘を傷物にされるどころか、あわや殺されかけたのだ。


 ここでアンティマスク家が情けをかければ、アーチェの価値などその程度と公言するようなものだ。

 アーチェ・アンティマスクを傷つける第二のマーク・リブニットを生まないためにも、アンティマスク家は怒りを顕にしておく必要がある。


「そう悩まなくてもいいんじゃねぇか弟様よ。妻ダイアンと娘ミーシャを幸せにする責任はフリアン・ジーンが負うべきモノだ。だってのにこいつは愚かにもお嬢の誘拐に加担した。妻と娘の未来より、フリアン・ジーンがマーク室長の命令を優先した結果がこれだろ?」


 そう、ケイルの言う通りにフリアン・ジーンが愚かだったからその妻と娘は苦しんでいる。それは疑いなく事実である。

 しかし、


「フリアン・ジーンにも事情があったのかもしれない。あるいはマーク室長に娘か妻を人質に取られていたのかもしれない」


 フリアン・ジーンには他に選択肢がなかったのかもしれないのだ。真相はフリアンとマーク室長が死んでいるために闇の中であるが。


「僕は間違ったことをしていない。あの時はアムを開放して姉さんの居場所を見つけ出すのが最優先だった。それですら僅かに及ばず、姉さんの腕は未だ不自由のままだ」


 アイズは可能な限り迅速にアーチェの元へ辿り着く選択をした。フリアンを瞬殺し、魔封環の鍵を奪い、最速でアムとプレシアを開放して最短で姉の元に向かった。

 アイズから見たフリアンはそこまで黒くはなかったが、それでもあの時拙速を重んじた己の判断は間違っていないと今でも思っている。遅かったとすら思っている。

 だが、


――それは貴方が流す血だということは忘れないでね、アイズ。戦えば血は流れるのだから。敵も、貴方も、そして全く関係なく戦に巻き込まれる無数の誰かも。それがもし、貴方の目に映らないとしても。


 初めて貴族として人を害し、その際に姉に伝えられた思いが、アイズの胸を締め付ける。






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