■ En4 ■ 閑話:グリシアス Ⅱ
『旦那様、ケイルが至急御目通り願いたいと』
「通せ」
『はい、旦那様』
しばしの後にやってきたケイルは表情を殺してはいるものの、その全身から怒りを発散しているのはグリシアスにもジェンドにも一目瞭然だった。
ただ現時点ではケイルの怒りの矛先はグリシアスたちでは無いように思える。
「一人か? アイズはどうした」
「アイズ様は只今フェリトリー男爵令嬢と共にアーチェお嬢様に付いていらっしゃいます」
「……何があった」
「リブニット準男爵なる貴族家がアーチェお嬢様を誘拐、監禁の上暴行に及んでおりました。アーチェお嬢様は左腕を切断され出血多量、意識不明の重体です」
「なんだと……!」
ごく自然にグリシアスの口から驚愕が転び出た。何故マーク室長がアーチェにそのような暴行を働くのか、グリシアスには全く見当がつかなかったからだ。
「アーチェ――は、アイズとフェリトリーの娘がついているということは回収して治療中か。リブニット準男爵はどうした」
「死んでおります」
「……アイズが殺したのか?」
何故そこにアイズがいるかはさておき、アイズがいるなら殺して当然だろうというのはグリシアスにとって腑に落ちる話だった。
だがそこでケイルは首を横に降って否定の意を示す。
「我らが現場に駆けつけた時には既に準男爵は全身穴だらけで事切れておりました」
「……第三者の存在が?」
「いえ、地下室には内側から鍵がかけられており、中には準男爵の死体以外にはアーチェお嬢様しかいらっしゃいませんでした――御館様、これは根拠のない予測なのですが」
「構わん、語れ」
「準男爵はあのアミュレットに返り討ちにされたのではないでしょうか」
何を馬鹿な、と言おうとしてグリシアスは口を噤んだ。
他でもない、あれが何かを探らせたリブニット準男爵自身が言っていたのだ。
怨念じみた守りの品だと。独占欲の発露だと。アーチェの身を何が何でも守ろうとする偏執の品であり、アーチェに危害を及ぼす危険はないと彼はそう断言していた。
凡百の手段で、あれをアーチェから取り外すことなどできやしないとも同時に。
「あれはそこまで強力な品なのか……」
その事実を思い出したことで、何故リブニット準男爵が此度の凶行に及んだかグリシアスは何となく理解できてしまった。
研究の為にディアブロスへ亡命しても構わないとすら考える男だ。だからこそ彼は真っ先にまずディアブロス産の現物に、つまり
「
「魔力強者たるエルフが言うならそうなのだろうな――ケイル、アイズはリブニット準男爵家をどうするつもりだ?」
「館内の使用人たちは何故か尽く解雇されたか、もしくは最初から雇用していなかったのか好都合にも館は侍従一人を除き無人でした。ですので失火からの火事、ただの事故で収めようとの目論見でおります。ひいては旦那様にも火消しをご協力頂きたいと。また、もしくは違う筋書きをお望みでしたらそれを伺ってくるよう、アイズ様より指示されております」
成程、アイズは姉を傷つけた全てをこの世に何一つ残しておきたくないと見える。
グリシアスは苦笑しそうになり、僅かに顔を引き締める。
グリシアスが別段アーチェを愛していないのは周知の事実だが、娘が意識不明の重体で笑う親は下衆の極みだろう。
僅かに逡巡し、リブニットが国外逃亡するつもりであったならあの家にはもう重要な物は残されていないだろう、とグリシアスは判断した。
「よかろう。アーチェが傷付けられたということはアンティマスク家の面につばを吐かれたも同義。放火が露見しても問題はあるまい。帳尻はこちらで合わせる、アイズの好きにやらせよ」
「かしこまりました」
侮られたら顔面を殴り返すのが貴族の流儀だ。此方にはアーチェが誘拐、監禁の上暴行を受けた事実がある。
である以上はアンティマスク家が焼き討ちをしたと露見しても何も問題はない。というか反撃しないほうがおかしいのだ。
無論、焼き討ちは明らかにやり過ぎなのだが……リブニットが死んでいるならもうそこを気にしても仕方がない。
貴族社会はアンティマスク伯爵家の苛烈さを形式上軽く非難しつつも、これを容認するだろう。令嬢の誘拐――というか当主の手駒への干渉というのは、それほどの怒りを買う行為であるのだから。
「とはいえ雑には済ませるな、とアイズには言っておけ。露呈しないならその方が好都合。露見すれば姉の瑕疵になるのだから、とな」
「は、必ずお伝えします」
「迅速な報告ご苦労だったケイル。引き続きアイズを頼む」
「有り難きお言葉にございます、それでは」
恭しく一礼したケイルが退室すると、その間にジェンドが用意していた珈琲をグリシアスの前へ運んでくる。
一口、啜って、
「アイズに先を越されたか。これでアーチェが死ねば全て丸く収まるだろうが、悪運の強い娘だ。生き残るだろうな」
プレシア・フェリトリーはなんだかんだであの年で中級キュアポーションを作成できる、聖属性的には才媛だ。あの時点でケイルがアーチェの表現を重体に留めたのなら、多分アーチェは生還するに違いない。
それを残念に思う反面、どこかアーチェが生き延びてホッとしている自分がいることにグリシアスは気が付いた。
どうやら自分はあの娘を想像以上に評価していたらしいと。少なくともその才が低俗な凶刃如きで失われることを嘆く程度には。
「監視からの続報がないな」
「恐らくリブニット側の手の者と判断されアイズ様かケイルに処分されたものと。至急確認します」
「……この状況では仕方ない、か」
リブニット家冬の館に火を放つならアイズとしても警戒するだろう。遠巻きに監視している者がいないか探るだろうし、発見すれば仮にリブニット側の手の者でなくとも殺処分を迷う理由がない。安全の為に始末しておくだろう。
「なかなか、一筋縄ではいかんな」
ふぅ、と珈琲の香りでグリシアスは己を落ち着かせる。あとはアーチェが回復したならアーチェから話を聞き、細かい根回しをしてこの件は終わりだ。
「一筋縄ではいかないことを旦那様はやろうとしておりますので」
「それもそうか」
後日、回復してしまったアーチェから話を聞いたグリシアスであったが、やはりリブニット準男爵は言わなくてもいいことを言っていたと分かって内心で軽く舌打ちをする。
誘拐された理由はリブニットがアーチェのアミュレットを欲しがっていた事、そのために装着部位を腕に動かした上で、一応はアーチェを絶命させずに奪えないかと目論んでいた事。
魔族からの依頼でプレシアの殺害を求められていたこと、事が済んだらディアブロスに移住する予定だと言っていた事。それらをアーチェに語ったという。
その後、アミュレットの自動防衛機能か何かで、リブニット準男爵が死んでしまったことも合わせて。
「この王都にまで魔族が入り込んでいる可能性があります。これはルイセント殿下を通して王家に報告すべきでしょう」
アーチェの提言にグリシアスとしては頷かざるを得ない。ここでアーチェに口止めするよう求めるのは明らかに怪しすぎる。
「ああ、そうしておけ」
これにより王都内の見回りが強化されるのは面倒ではあるが、まだ致命的ではない。
まったくリブニットめが余計なことをしてくれたものだ、感情を処理できん人類はやはりゴミだとグリシアスは文句の一つも述べたくなる。
その一方で、
「……あまり落ち込んでいないようだな」
若干不自然な位置で膝上に乗せられているアーチェの左手を見やって、グリシアスは僅かに感心する。それは右手でその位置に置かれたからであり、つまり左腕がろくに動かないことの証左である。
下らない感情に基づいて行動する厄介な娘ではあるが、貴族令嬢でありながら片腕が動かなくても平然としている様は正直グリシアスとしても舌を巻くほどの剛毅さだ。
「死んでいるわけではありませんからね」
つくづく、この娘が娘であることが悔やまれるとグリシアスは思う。
仮にこの子が息子であったなら、自分は養子を取ることなど検討すらせず、若干の甘さを矯正した上でこれを跡継ぎとしたであろうと。
「なんにせよ、無事で何よりだった。これからはもう少し自愛を心掛けるように」
その言葉を伝えられた側は当然として、発した側も同様に自分の言葉に驚かされたようだった。
「最近のお父様は妙に私に優しいですね。何か変なものでも拾い食いしましたか?」
「お前に死なれては港を手にする私の未来が遠のくからな」
ははぁ、と頷いたアーチェの顔にはしかし本気でグリシアスの正気を心配する色が窺えて、やはりこいつは嫌いだとグリシアスは認識を改めた。あくまでこいつは忌まわしきマーシャの娘であると。
その後、婚約についてはどうするかを尋ねたところ、
「一連についてお話した上で、侯にお伺いを立てます。その上でバナール様が婚約解消を望んだら受け入れざるを得ないかと」
魔王国に潜入したことを含めて洗いざらい話すとのことで、これにもグリシアスは僅かに驚かされた。
恋愛には興味がないと思っていた娘だが、そこまで赤心を見せるということはある程度バナールを気に入っているということだろう。それに本人が気が付いているかは不明だが。
「傷物になったのは事実だからな。だが次の婚約者にエミネンシア侯ほどの優良物件は期待するなよ」
「傷物になったのは事実ですしね。致し方ありませんわ」
誘拐された、ということは当人がどれだけ否定しても強姦された可能性を完全には否定できない、ということに他ならない。
バナールが嫌がれば婚約解消しかないか、とグリシアスは憂鬱な吐息を零す。
もっともその後バナールが婚約を解消しなかったと知らされた時にはまた別の意味で吐息が零れたものだったが。
何にせよ多少の情報漏洩があったとは言え、アーチェの行動力は削がれ、そして王都の見回りが強化されたことでグリシアスの打てる手も狭まった。
状況はどちらに有利と転ぶわけでもなく、天秤の上で釣り合って揺れたままだ。
「「やれやれ気狂いのリブニットめ、余計な手間を掛けさせてくれた」わね」
同じ家でほぼ同時に親子が同じ言葉を発したことを、両者は知りようがない。
もっとも知ったら知ったでどちらも不機嫌になっただけだろうが。
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