■ En4 ■ 閑話:グリシアス Ⅰ






「旦那様、ご報告がございます」


 ジェンドにそう声をかけられたグリシアスは特に表情も変えず己の執務室へと移動する。

 ただの部屋のように見えるここは外からの魔術を遮断できる特別仕様である。ここでのどんな会話も室外に漏れることはない。


「それで、どうした?」


 いつもならまずは珈琲を用意してから話を切り出すジェンドがいつになく焦っているようだ。

 ソファーに腰を下ろして早々にグリシアスが尋ねると、


「プレシア・フェリトリー殺害の件ですが、任せていた手駒がマーク・リブニット準男爵に殺害された模様です。なおリブニット準男爵が本件を引き継ぎアーチェお嬢様を誘拐したとのことです」

「……は?」


 豪胆で知られるグリシアスだが、この報告には流石に無反応ではいられなかったようだ。柄にもなく間の抜けた返事をしてしまうが、それも致し方ないだろう。

 何せジェンドの報告はその何処を切り抜いても常人には全く納得できない、突拍子もない内容だったからだ。


「順を追って説明を」

「は。しかしまだ第一報しか入っておらず詳細が追えておりませんが」

「構わん。現時点で判明している事実を教えろ」

「かしこまりました」


 現時点でジェンドの元に届いた情報を列挙すると、


・マーク・リブニット準男爵が独自に魔族と接触していたこと。

・リブニット準男爵からプレシア・フェリトリーの殺害は自分が担当する故、後始末は宜しく頼むと一方的な文が届けられたこと。

・プレシア・フェリトリー殺害を担当していた手駒が行方不明になっていること。

・アーチェに遠巻きに付けていた監視が、アーチェがリブニット準男爵に誘拐されたと報告を上げてきたこと。


 この四点が事実としてあげられるとのことだった。

 グリシアスは呻いた。


「確かにプレシア・フェリトリーをおびき出すのにあれアーチェ以上の餌は無かろうが……奴は阿呆か。その後どうするつもりだ」


 仮にも伯爵令嬢なんぞを誘拐しようものなら、貴族街防衛の国家騎士団が黙ってはいない。

 騎士、いや貴族にとってもっとも不名誉なことは舐められることだ。馬鹿にされてもいいが舐められたら貴族は終わりだ。


 淑女嫌いで知られるグリシアスであるが、だからとて娘が誘拐された以上は騎士団に捜索依頼を出さないなど決して有り得ない。

 家の者を攫われて無策でいるなど、自分の家などその程度のものだと当主自らが喧伝するようなものだからだ。


 加えてアーチェは今やエミネンシア侯爵家当主バナールの婚約者である。婚約者とはあくまで契約関係の段階であり、現時点でのアーチェはあくまでアンティマスク家の娘だ。よってアーチェの身柄を結婚まで守る義務は当然グリシアスにある。

 もしここでグリシアスがアーチェの捜索を騎士団に命じなかった場合、対外的には「その程度の価値しかない者をグリシアスは侯爵家に嫁がせようとした」と見做される。つまりエミネンシア侯・・・・・・・を舐めたことになるのだ。

 要するに、アーチェが誘拐されたと分かった以上はグリシアスは動かねばならない。それぐらいは貴族なら理解していて当然だというのに。


「あるいは、もうマーク準男爵はアルヴィオスを見限ったのでは?」


 そうジェンドに問われ、グリシアスは僅かに冷静さを取り戻した。

 確かに、マーク・リブニット準男爵をグリシアスが取り込んだのは、マークが今の象牙の塔魔術研究室に倦んでいると睨んだからだ。

 それは引いては今の社会に倦んでいることと同義である為、今の体制をリセットしようとする己に賛同するものとグリシアスは思っていたし、これまでは確かに賛同していた。それは疑いないが――


「……今の体制に倦んでいるならディアブロスに亡命するという選択肢もあるか。私としたことがその可能性を失念していたとは」


 貴族街での犯罪というのは、基本的に実行不可能だから誰もやらないのではない。実行は可能だが、その後の検挙率の高さからして今の地位を失うのがほぼ確定だから誰もやらないのだ。

 逆に言えば逃げる算段さえ整えれば重罪を犯す事も厭わない、ということでもある。


 ただ公共交通機関がアーチェの前世ほど発達していないこの社会において、基本的に逃げ足は極めて遅いものとなる。

 その上社会が閉じているせいもあって、日常的に目にする他人はほぼ限られてしまうのが普通。つまり異分子が異なる環境に紛れ込むと目立つのだ。


 要するに夜逃げの成功率は極めて低く、ましてや貴族家ともあればその精緻な顔立ちからして何かに紛れようにも否応にも目立ってしまう。

 貴族街で犯罪を起こした貴族が、国家騎士団が多数屯する王都クリティシャスから離脱できる可能性は極めて低い。だが、貴族の庇護を受けた魔族に紛れるとなると話は別だ。


 異分子を匿う以上、その異分子が目立たない環境を用意する必要がある。その中に新たな異分子が一つ追加されたところで確かに誰にも気が付けまい。


「利でこちらに付いたものは更なる利で離れる、か。驕っていたかもしれんな、私は。アーチェが語った、火山活動を抑え込む程の技術。リブニットなら容易に靡こう」

「アーチェお嬢様とマーク室長を如何致しますか?」


 グリシアスは再び低い声で呻いた。


「……リブニットがアーチェに余計な事を語っている可能性がある以上、リブニットの仕業に見せかけてアーチェも処分するのが最適だが」


 一応、余計なことは言えないよう契神の魔術で契約はしているが、間接的に読み取れることはある。

 そしてアーチェはそういう行間を読むのが極めて上手い娘だ。過去にはグリシアスの行間すらも読み取ってのけた女だ、リブニット準男爵では相手になるまい。


「しかし、王都内での武力行使は危険です。ましてやお嬢様を救うためならさておき、殺害するためとなると」

「ああ、分かっている」


 アーチェをバナール・エミネンシアと婚約させるべきではなかったか? あれに婚約者がいなければ今ここで見限っても何も問題はなかったのだ。

 しかしバナールと婚約させておかねばヴィンセント第一王子に側室と望まれる可能性が極めて高かっただろうし、それよりは遙かにマシなはずだ。


 いや、そもそももっと早くからアーチェを暗殺していればこのような事態にはならなかったとも言えるのだが……さしものグリシアスも未来が読めるわけではない。

 まさかアーチェが魔王国に潜入し、最高権力者の寵を受けて下賜された防具を象牙の塔魔術研究室研究員が求めて誘拐された、なんて事実を過去の時点で想像できるはずがない。


 つまるところどれだけ未来に注意を払っても、不確定要素の混入を根絶することは出来ないということだ。

 だからこそ、不測の事態に対してどれだけ適切な初動を打てるかが才能の見せ所となる。逆に言えばこの程度で頭を抱えてしまうなら、己にはその程度の才しかないという事だ。改めてそうグリシアスは己を戒める。


 何にせよ、今動くのは遅すぎるし早すぎる。

 既にリブニットがアーチェと会話する時間はできているだろうし、しかしまだ僅かにアーチェの帰宅時間が遅れているだけで、捜索依頼を騎士団に届け出るには早すぎる。


 だがリスクを承知で全てを闇に葬るなら今動かねば手遅れになる。

 どうしたものかと僅かに考え込み、ジェンドに指示を出そうとグリシアスが口を開きかけたところで、執務室の扉が叩かれた。


『旦那様、ケイルが至急御目通り願いたいと』


 アイズではなくケイルが、という時点でグリシアスはまた状況が己の手の外で一歩先へと進んだことを覚らざるを得なかった。






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