■ EX41 ■ 閑話 それぞれの悩み:アンティマスク家 Ⅱ






 まさにダイアンとその娘ミーシャこそが姉の言っていた、「アイズの目に映らない、しかしアイズが流した血の犠牲者」だ。

 こうして資料を纏めなければその存在に気付きもしなかっただろう脇役だ。


 だがアイズにとっては脇役でも、ダイアンやミーシャにとっては己が人生の主役だ。

 自分の人生を歩んでいたダイアンたちには、突如として強大なアンティマスク家という敵が前触れもなく現れて、誰にも文句を言えないままに苦しんでいる。


 ここでダイアンに「お前に夫となる男の本質を見る目がなかったからさ」と冷酷に言い切れる者もいるだろう。

 百歩譲ってダイアンはそれでいいとしても、ならばその両者の娘であるミーシャが苦しまなくてはいけない咎は? 当然、どこにもありはしない。


――助けて貰って何だけどアイズ、家族の敵は皆死んでヨシ! みたいな考え方だけはお願いだからしないで頂戴。悪いけど――正直に言うわ、そういう考え方は私にとって怖いのよ。


「僕は正しいことをしたし反省もしていない。だけど疑いなく僕の正しさはこの二人を不幸にしている。あの時姉さんが言いたかったのはこういうことなんだろうな」


 もうお前は家名なきただのアイズではないのだと。

 国民比率一%以下しかいない世襲貴族なのだと。

 王国が誇るアンティマスク伯爵家の跡取り息子なのだと。

 その力は一度振るわれたが最後、アイズの眼の届かないところにまで波及する影響力があるのだと。


――だからアイズ。私はね、庶民でありながら貴族になった貴方、二つの世界を知る貴方にはその経験で、その視野で自分が正しいと思える道を歩んで欲しいの。


 庶民であったころのアイズは貴族に対して何を思っていた? 決まってる。


『父が正しく徴税した麦が、金が正しく使われますように』だ。


 即ち貴族が貴族として正しくその力を使ってくれますようにと、そう願っていただろうに。


「いつだって姉さんは僕より先に、僕が何について悩むのかを把握していて、注意をしてくれるってのに。馬鹿な僕は現実が立ちはだかって初めて、姉さんが先に忠告してくれていたことに気が付く体たらくだ」


 力を振るうなとは姉は言わなかった。

 むしろ無抵抗を貫いて死なれるくらいなら誰かを殺してでも生きて欲しい、とまで姉はアイズに願ってくれた。


 だがそれでも、アイズが力を振るうことでダイアンとミーシャは苦しい生活に押しやられた。

 それは疑いなくアイズの暴力がもたらした結果なのだ。貴族であるアイズが無造作に振るった力の結果なのだ。


「姉さんは父上より甘いようでいて、その実は厳しいよな。父上はもう庶民であった頃など忘れろというけど、姉さんは庶民であった僕を忘れるなって言うんだから」


 アイズが貴族として生きるには、その思考はもう要らないものだ。

 だけどアイズがその思考を捨てられないことを姉は知っているし、その上で捨てないで欲しいとも思っている。


 だが貴族として生きるなら、その思考はアイズを苦しめるだけだ。庶民なら己や家族の命のみを背負えばよいが、世襲貴族は数千数万の領民の命を背負っている。

 数千数万の人の心を一つ一つ受け止めていたら心が耐えられる筈もない。だから貴族は数字で人の命を扱う。そうしなければ潰れるだけだからだ。


 アーチェは何事も案配だ、と常々口にしている。

 だからアーチェがアイズに求めているのは、庶民の意見を一つ一つ拾うのではなく、集団としてでいいから庶民全体を雑に扱うな、ということなのだろうが。


「しかし、お嬢ほど視野が広いのにお嬢ほど貴族に向いてない人もいないよな」

「ああ、しかも姉さん自分で自分の目を隠そうともしないから庶民としても生きられないし」


 アーチェの視野は既にアルヴィオスはおろかディアブロスにまで広がっているだろう。どうやれば双方の死者を少なくできるか考えているのに、アーチェは庶民の命を数として扱うことを拒んでいる。

 流石のアーチェも一応は庶民を集団として見ていて、個々人までを見てはいないだろう。だがその大まかな扱いから零れ落ちる人もいる、という事実からアーチェは絶対に目を逸らさない。


 そんなアーチェをグリシアスは、貴族家当主としての資質でアイズに劣ると語り、そして実際にその通りなのだろう。

 アーチェには当主として毅然かつ冷静な判断を下す冷酷さが不足しているのは事実で――しかしそれが庶民であったアイズが貴族に適合するまでずっと、アイズを守ってくれていたものだった。

 だからアイズにはアーチェのそれをグリシアスのように、「感情に引き摺られた愚か者」と斬り捨てることはできない。むしろ愛おしさすら感じてしまう。


「貴族としてこれ以上無い程広い視野を持ってるのに、考え方が俺たちより遙かに庶民なんだよな。お嬢は相変らず謎の御方だぜ」

「……姉さんだったらこの母子をどうしただろうな」


 アイズは考える。アンティマスク家の怒りを体現しなければいけないから、いま暫くはこのままだろう。

 ただアーチェならば、何かあった時に彼女らを最低限支援できるような準備くらいは整えておくかもしれない。


「……予備費、盛っておくか」

「そうだな。窮鼠にする必要もねぇだろうし」


 必要なのはアーチェがこれ以上害されないことであり、アンティマスク家の敵を増やすことではない。

 何らかの形でジーン母子、いや旧名に戻したからムール母子か――を支援する備えはあってもいいだろう。


「これもまた貴族的、か」


 建前を用意して我儘を通すのもまた貴族らしい仕草と言えなくもないだろう。アイズは父グリシアスへ提出する費用に余裕バッファを盛っておく。

 自分も随分と偉くなったものだな、と僅かに苦笑しながら。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る