■ EX39 ■ 閑話 それぞれの悩み:フロックス家 Ⅰ






「ごちそうさま」


 そんな言葉とは裏腹にもっと食べたいと訴える視線を封殺されて、ストラムは虚しく使用人たちが集う食堂をあとにする。

 フロックス家の使用人たちはことさら性格が悪いわけではないが、子供のくせに大人並みに食べてなお足りないと訴えるくせに太りもしないストラムに、軽い敵意を覚えているようだ。

 下級使用人と言えど、プロポーションがゴタゴタの原因となるのはどこの世界でも同じである。人のスタイルに対する執着は身分を超えて世界共通なのだ。


 ストラムがアレジアの自室に戻ると、アレジアは既に入浴を終えて髪をブラッシングしているところだった。

 アーチェと違って専用の侍従がいないアレジアは、髪のセッティングも着替えも自分でやることが殆どだ。


「今日もお疲れ様、ストラム。皆に虐められてはいない?」


 なおストラムに侍従働きをさせるなど、アレジアは早々に諦めている。

 ちょっと引っ張るだけで髪を数本どころか束で引き抜けるような相手に髪を任せるなど、髪の毛どころか頭皮を毟ってくれと言っているようなものだ。若ハゲは嫌だとかそのような次元の話ではない。


「虐めとかはないけど、食べ足りない」

「悪いわね、うちもそんなに裕福な男爵家じゃないから」


 ここら辺の会話はある意味日常のお約束みたいなものだ。フロックス家にはストラムが満足するほどの食材を使用人に与えるだけの余裕がない。

 フロックス家は男爵家の中でも下の方から数えたほうが早い家格である。当然家格は収入に直結、いや収入が家格に直結しているからフロックス家はパッとしない男爵家なのだろう。

 アレジアの兄は自分の代でなんとか家格を上げようとしていて、それ自体は向上心のある貴族として誉めるべきなのだろうが……


「収入、増えないの?」

「それがねぇ、どうにも兄さん空回りしてるのよね。指摘すると怒るから黙ってるけど」


 最近のアレジアは幸運不幸にもミスティの両翼として上位貴族の茶会に参加する機会が増えてきている。

 そのおかげもあって下位貴族と上位貴族の差をこれでもかと知ることができてしまっていた。

 経歴やコネも大事だが、やはり真に必要なのは金なのだ。金が全てを解決するわけでは無いが、大半の問題は金で解決できる。


 金で教師を雇い、知識と身振りを磨き、茶会で交わされる会話にしっかり受け答えをし、流行をいち早く取り入れ、その上でそこに己の個性を差し挟む。

 それを一発屋に終わらず続けることで初めて評価される。付け焼き刃では「所詮は成り上がり」、「下賤なものが高貴な場に紛れ込んでいる」という評価は覆せないのだ。


 最初にアーチェが礼儀作法を仕込んでくれたことに、アレジアは今とても深く感謝していた。

 あれがなかったらアレジアは上位貴族の茶会において脇役すら務まらなかっただろうし、上位貴族の茶会に席を列ねられなければ、格上というものがどういうものかも知らずにいるままだっただろう。


 ……そう、上位貴族にすり寄っては歯牙にもかけて貰えない、なんて醜態を繰り返す今の兄のように。


「私自身、特別な事は何もできない小娘に過ぎないしね。そう簡単には収入は増えないわ」


 アレジア・フロックスはちょっと良い教育を受けられただけの、極めて普通の男爵令嬢だ。プレシアのように聖属性ポーションを量産することで陣営の資金源となることもできないし、フィリーのように並々ならぬ探究心があるわけでもない。

 アレジアだからこその強みというものが何もない、持ち味に欠ける汎用的な人手でしかない。アーチェが誘拐されてからそれを強く意識するようになった。


 あの場において、アレジアに出来ることは何もなかった。

 プレシアのようにアーチェの命を救うことも、フィリーのようにマーク室長の資料を押収して研究を進めることも。


 真に特別でないということはこういうことだ。これが非才の身ということだ。

 強みなんて何もない。誇れるものも何もない。このままミスティ陣営の層が厚くなっていけば、アレジアは自然とその他一同の範囲に埋没していくだろう。

 アーチェの腹心だから派閥の中枢から排除される事はないだろうが、それだけだ。ただ居るだけの存在で終わりだ。


「特別なことができるようになりたいの? 面倒なだけだよ、仕事押し付けられるし、危険な役目も負わされるし」

「フロックス家が特別じゃないから、うちには今お金がないんだけどね」

「むぅ」


 才能がないから特別じゃないし、凡百だから収入は増えないと言われれば、その不都合をストラムは認めざるをえない。

 そのごく当たり前のことが山では表面化しなかったが、貴族社会ではそれが顕著なのだ。


「替えの効かない有用な才があるってことは強い発言力があるってことよ、ストラム。貴方は山で発言力は欲しくないの? 適当な相手に嫁がされるとか竜にはないのかな」

「どうだろ……これまでは痛いのは嫌ぐらいしか考えてこなかったし」


 シュガールは山の竜の中でも中核を成す存在だ。だからこそストラムもその虎ならぬ竜の威を借りられていたが、さて。これからはどうか分からない。


「こう言っては何だけど、貴方も特別だったのよストラム。貴族社会で言うなら侯爵家に生まれた普通が貴方ってことね」

「……そうね。お父様は皆に一目置かれていたし。そういうことなんだと思う」


 アレジアに手招きされたストラムがアレジアの横、ベッドに腰を下ろす。

 この家でのストラムの立ち位置はアレジアの護衛――の筈が何故かアレジアの妹のような位置に収まっている。

 アレジアに髪を梳られながらこれでいいのかとストラムも思わないでもないのだが、確かに働けばお腹は余計に減るのであえて何も言っていない。

 それに言葉にはしていないが、アレジアに髪を梳かして貰うのがストラムは好きだ。神器の御子と違い、アレジアはストラムを無骨な護衛としてではなく、一人の少女として遇してくれているから。


「私が貴方みたいに強ければね。アーチェ様をお守りすることもできたかもしれないのに」

「強くなれれば、お金が増えるの?」

「お金は……うーん、どうだろう。いやでもうちの陣営、なんか荒事に巻き込まれてばかりだし……」


 一応、陣営の中で仕事を任されればその支度金が陣営の予算から支払われる。

 これらは想定より多めに支給され、余れば自分の懐に入れて良いため、仕事を受ければ受けるほど実入りが増えるのは事実である。

 当然、主に任された支度を蔑ろにして自分の懐に多くお金を入れればそれ以降の仕事が割り振られないだけなので、普通の貴族徒弟ならそこで無茶な着服などはしないものだ。


「ただ出来ることが増えれば一応お金が増える目はあるかな」

「そう」


 硬っ毛であまり櫛を通す意味がない(そもそもが元々トサカの変形なので)ストラムの髪を整え終えると、


「なら、できること増やしてみる? やってあげてもいいけど」


 ベッドから立ち上がったストラムがそっと耳打ちするように提案してくる。






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