アーチェ・アンティマスクを取り巻く皆さんの悩み
■ EX38 ■ 閑話 それぞれの悩み:フェリトリー家 Ⅰ
己の執務机にて帳簿と格闘していたベティーズ・フェリトリーは、ようやく収支に改善の兆しが見えたことではぁと小さな溜息を吐いた。
ドラゴン三体のせいで完全に赤字だったフェリトリー家の財政は、そのうちの二者をフロックス、ゼイニ両家に押しつけたことでようやく赤字を脱するに至った。
無論それはプレシアがせっせと中級キュアポーションを製造、販売しているからであり、ベティーズの努力の結果というわけではない。
だが持ち直していた筈のフェリトリー家の財政が厳しいのはあれだ、プレシアがドラゴン三体を護衛として連れ帰った結果なわけだし。別にベティーズが何らかの失敗をしたからというわけでもない。
要するにプレシアが生み出した赤字をプレシアが補填しただけであり、そこにベティーズは一切関わっていないとも言える。
そもそもベティーズとしてはプレシアという不確定要素を抜きにすれば、フェリトリー家を堅実に支えるだけの案をアーチェと共に練れていたわけで、此度の赤字は決してベティーズの失策ではないのだから溜息も出ようというものだ。
無論、想定外の支出に備えて内部留保を用意できていない点はあまり褒められたものではない。だがフェリトリー家は去年ようやく横領犯を払拭したばかりである。
そこまでを求めるのはベティーズが一流の詐欺師でなければ不可能であっただろう。
なにせこの財貨流動の経路が限られる本位貨幣世界において短期間で莫大な収入を得る手段など、博打か犯罪以外に有り得ないのだから。
軽くデスクで伸びをすると、不意に自室の扉が叩かれる。
フェリトリー家
無論、外交用の茶会室と食堂、客室などはキチンと備えているが、男爵家の予算ではそこまでが限界だ。
フェリトリー一族には他に娘が一人しかいないため部屋数には余裕があるが、これから家族が増えるようなことがあれば兄弟とて一人一部屋は難しくなるだろう。
――家族が増えれば、か。
侍従シーバーが扉を開きに行くのを呆然と眺めながら、ベティーズは呆然と未来を思う。
アーチェからは火の車も峠を超えたし、そろそろ婚約者を探されてはと促されているのだが、ベティーズとしてはまだまだそれどころではないと感じている。
いや、実際にはベティーズの業務は標準的な男爵相当まで落ち着きを取り戻しているし、王都の社交界は妻と夫の二人三脚が本来の姿である。
アーチェの勧めはもっともなのだが、まだ当主という服に着られている騎士、といった自己評価から正直逸脱できていない。この上に夫という服を着こなせる余裕が己にあるとはとてもベティーズには思えないのだ。
無論、アーチェはそんなもの「着ているうちに服が身体に合いますよ」と聞き入れてはくれないのだが……
「旦那様、お茶をお持ちしました」
「ああ、ありがとう」
果たしてこの度お茶を運んできたのはプレシアの護衛であり使用人としても働き始めた白竜のアムと、恐らく
いかにもギクシャクした歩き方なのは、力加減を間違えるとワゴンが窓の外まですっ飛んで行くからだろう。
アムが運んでいるのは一人分のティーセットなのだし本来はトレー一枚で事足りるのだが、彼女の腕力だと両手でトレーをへし折ってしまう可能性があるのでワゴンのほうがまだマシなのだ。
ティーセットを執務机に並べ、震えるアムの手でカップに注がれる紅茶を見守るのは、ここ最近のベティーズ主従にとってかなり刺激的なイベントである。
無論、できれば回避したいイベントであるのは言うまでもない。
無事、ティーコージーを外されたポットからカップに紅茶が注がれると、ついベティーズなどはフリーダと共に安堵に胸を撫で下ろしてしまう。態度には見せないがシーバーも同様であろう。
カップを手に取り、紅茶を口へと運ぶ。コクリと嚥下すると、
「ど、どうでしょうか」
そうアムが恐る恐るといった体で尋ねてくる。フリーダがそこで顔をしかめたのは、本来一使用人のほうから当主に感想を求めるなどもってのほかだからだ。
そういった事情を無視、いや忘れるほどにアムが真剣な面持ちな理由を僅かに考え、
「君が淹れたのかい?」
そうベティーズが尋ねると、やはり真面目な面持ちでアムが顎を引くように頷いた。
「そうか、うん。美味しいとも、ありがとう」
リップサービスというわけでもなくベティーズはそう感想を告げる。
正直なところ庶子であり騎士団上がりのベティーズには紅茶の良し悪しなどよく分からないのだ。
抽出時間が長ければ渋い、ぐらいはそりゃあ分かりはするが、茶葉の違いとか抽出温度による差などサッパリだ。
明日に茶葉が今日と違うものに替えられていても気が付かない自信がベティーズにはある。
アーチェの勧めで最も標準的と言われるギリル産の茶葉を購入するようには指示を出しているのだが……それを指標に香りと味わいで茶葉を当てるなど、今後何年たってもやれる気がしない。
「あ、ありがとうございます!」
何にせよアムが喜んでいるので世辞に近い感想にも意味があったのだろうと前向きに考えることにする。
素人のお茶が美味いなんて、フリーダには馬鹿舌と呆れられているのかもと内心はハラハラであるが、そこは割り切るしかないだろう。
「しかし、君は本来プレシアの護衛なのだ。娘はああ言ったが無理して使用人として働かなくてもよいのだよ」
フリーダが視線で訴えていたので、何気なくを装ってベティーズはそう勧めてみるが、
「いえ、好きでやってることですので!」
握り拳と熱意もあらわにそう力説されてはベティーズとしても断り難い。
「そ、そうか。では護衛が疎かにならない範囲で宜しく頼む」
フリーダの視線にこれ以上は無理だと返すと、フリーダも諦めたようだった。
いくら騎士団で鍛えたと言えど、流石に男爵家相当の魔力量では白竜になど抗しきれる筈もない。
短いティータイムののち、鼻歌でも歌いそうなほどご機嫌なアムがティーセットを回収してベティーズの自室を辞すと、ベティーズはほホゥと息を吐いて背もたれに体重を預ける。
くつろぎの時間である筈のティータイムで余計に疲れるのは、ある意味滑稽であろうが。
「彼女はなぜ使用人なんぞを喜んでやっているのだろうな。仮にも最強種を謳われるドラゴンだろうに」
白竜の考えることはサッパリ分からない、と軽くベティーズが掌で両目を覆う横で、
「使用人ではなく旦那様のお世話がしたいのでしょう」
再び執務机に書類を並べ始めるシーバーの声には、軽い呆れが滲んでいた。
本来感情など完璧に封じられるシーバーのその声音は、だから意図的なものである。
「どういう意味だ?」
「みなまで言わせますな。旦那様は懸想されているということです」
二度、三度。
ベティーズはまるで油の切れたブリキ人形のように呆然と金色の瞳を瞬く。
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