■ 150 ■ 時報 Ⅰ






 はい、というわけで囚われの身となったアーチェさんである。

 ここははてさてどこだろうね? 光源は――ふむ。蝋燭ではない、油皿でもないし魔王国みたいな夜光虫ともモスカンデラとも違う。

 机の上で光を放っているのは、へぇ。珍しいね。魔道具だ。ふむ、魔石設置台が見当たらないから魔力チャージタイプか? こんなの一般に出回ってないぞ?


 検めて周囲を見回せば、周囲は石壁の八畳間程か? 古びた本棚に乱雑に積み上げられた羊皮紙の山、机の上にはよく分からない工具と薬品の染み、匂いも初めて嗅ぐ匂いが薄らと。

 更に情報を、と体を捻ろうにもHの字で固定されているので身体が回らない。しかもわりと長時間この姿勢だったのか全身がわりと痛い。特に上腕と肩、あと首もだ。人間の身体には人間の頭は重すぎるんだよなぁ。

 しかしこのポーズ、なんというかVのレーザー撃てそうでちょっと嫌にやるわ。我が美しさを股間の紳士に! チャーグル!


 い、いかん、現実逃避している場合じゃねぇ。そうだよ! メイは、メイはどうなったんだ!?

 慌てて見回すけどメイはおろか、私を捕まえたであろう実行犯の姿も見当たらなくて、胸中にどんどんと不安が募ってくる。


 おい、この場にいねぇ犯人よ。もしメイに手ぇ出してたらありとあらゆる手段で貴様をぶっ殺すぞ。というか……私を攫うってマジか? 仮にも貴族街で伯爵令嬢をだぞ?

 騎士爵令嬢や男爵令嬢ならいざ知らず、私は伯爵家ながらかなりの知名度があるアンティマスク家の娘で、何よりエミネンシア侯バナールの婚約者だぞ?

 まだ婚約者とはいえ侯爵のほぼ身内を誘拐って、オウラン公でも先ずこの事実は揉み消せないレベルだってのにやるか? あまりに予想外で想定すらしていなかったわ。


 貴族街の安全を維持している国家騎士団だって己の面子にかけて絶対に犯人を検挙しようとするだろうし、何が狙いかは分からんがあまりにリスクが大きすぎる。

 そこまでのリスクを抱えて私を誘拐して、一体なにが得られるってんだ。服は着たままだし、どうやらR18方面ではないみたいだがいや、世の中に着衣放○プレイみたいなのが好きな男も……あかん、拗らせクソオタOLはろくな事考えんな。もっと真面目に、いや真面目なんだけど!


 ……駄目だ、流石の私もちょっとメンタルきてるみたいだね。思考がさっきから現実逃避ばかりしている。

 多分チラッと下を見たら、私の足元の床に古い血痕みたいなものが見えたことも多分に影響しているだろう。ちゃんとマメに掃除しとけよ、不安になるじゃんかよ。


 腕の枷と鎖は天井からほぼ弛みなくぶら下がっていて、しかもかなりぶっといね。こりゃ身体強化使えても千切るのは無理だわ。

 両足の方は地面と繋がってて、だけどペットの犬ぐらいの可動範囲は確保されてそう。まあ両手の方に余裕がないから腿上げ体操位しか出来ないけど。


 私はお姉様とお揃いで普段から魔封環着用だから魔術を利用しての脱出は不可能、というか魔封環無くても手元に弓無いから魔術行使は無理。

 となると……悔しいがあとはこの血杯カリスブラッドが私の命綱か。うぉお、ここにきてデスモダス頼りかよ。せっかく忘れようとしていたのによぉ。


 そんなことを考えていると、背後からコツコツ踵が石畳を叩くような音が上から聞こえてきて、それがゆっくり下りてくるということは――ここは地下室か?

 背後の足音が二階から一階に下りてきた、という可能性もあるけど、拉致監禁するなら地下室が鉄則だわな。


「おや、目を覚ましたかい?」


 背後から、私の頭が項垂れていないことに気が付いたのだろう。聞こえてきたのはまだそこそこ精力的な活力のある男性の声だ。


 その声音には多分に喜色が含まれていて、この時点で私はもう明るい展開を期待することは不可能だと覚らざるを得なかった。

 少なくとも私を攫ったこの背後の男は、幼気な未成年の女子を監禁して喜んでいるような変態であるのが明白だからだ。


「どこの馬の骨かは知らないけど淑女レディの扱いがなっていないようね」

「これは失礼。あまり良い教育を受けることができないまま齢を重ねてしまったのでね」


 おどけたように応じる男がゆっくりと回り込んで私の前に姿を現す。年頃は――四、五十歳といったところか。

 藍色の頭髪に白髪が交じり始めた、無精髭というにはあまりに雑な長さの顎髭が印象的なおっさんである。身だしなみに気を使うタイプじゃぁなさそうね。


「何がお望みかしら? 悪いけど私に身代金を払ってくれるほど私のお父様は女に優しくないわよ」

「アンティマスク伯を脅迫だなんて、そんな恐ろしいことをする気はないさ。私だって命が惜しいからね」


 私の性格を知っているのか、それとも単に図太いだけか。

 私が横柄な態度を取っても目の前の男は単に苦笑する以外の表情を見せることはない。


「命が惜しいならメイは大事に扱うことね。もし殺していたのならば貴方の願いは未来永劫叶わないと知りなさい」

「メイ? ああ、君の侍従かね。心配は無用だ、上の階で眠っていて貰っているだけだからね。ほとぼりが冷めたら解放するとも。あの娘には用はないし、無闇な殺生は無意味だからね」


 はぁ、どうやらメイはまだ無事のようだ。ひとまず胸のつかえが取れた感じだね。もっともこの男の言うことが真実だとは限らないけど。

 単純に私を怒らせないために既に殺した相手を生きているように見せかけているだけかもしれないしね。最悪は――やはり、覚悟しておかないと。


 とするとまずはこの、ごく普通の使用人っぽい服装をしたおっさんの目的が何か、ってことだよね。

 仮にこの男の言を真とするなら猟奇殺人の線は薄そうだ。だって殺すなら私もメイも十分に年若い女性、で一括りにできるしね。あるいはこの男が未成年専門のロリ専殺人鬼って可能性もあるけどさ。


 ただ一つはっきりしているのは、こいつは私がアンティマスク伯爵令嬢だと知っていて誘拐に及んだ、ということだ。






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