■ EX37 ■ 閑話:持ち味、イカしやがったなァ Ⅲ
双方共に社交辞令的な挨拶を終えた後、並べられたカトラリーが何故か標準的な銀のそれではなく木製であることに違和感を覚え、
「今日のために特別なお茶請けを用意してありますの。お二方の口に合うとよいのですが」
同じく木製の
――やられた! そういうことか!
目の前にあるのは三切れのケーキだ。子供でも食べ切れるよう通常の三割程の大きさ、立方体に切り分けられた小さめのチョコレートケーキ。
これまで幾度となく口にしたことがあるそれと、なんら異なるような特別なものではない。
だが、それでも。
――こんな、こんなシンプルかつ効果的な見せ方を今まで私は思いつけなかったなんて!
シェプリーもブランダも、喉を掻き毟りたいほどの自己嫌悪――いや、嫌悪とはまた違うだろう。敗北感と、何より羞恥心が二人の身を、心を苛み焼き尽くして止むことが無い。
目の前にあるのは只のチョコレートケーキだ。
だが、目の前にいる三人を模した、あるいは
一つ目はブラウンの生地にカスタードクリームを挟み、より純度の高い漆黒のチョコを削りかけ飴を塗った艶めく逸品。
二つ目はオレンジのジャムを挟み、その上にはブルーベリーのジャムを薄く塗ったフルーツ仕立て。
三つ目はクランベリーを生地に練り込み、上には雪のような粉砂糖を振りかけた白と焦茶のコントラストが目を惹く仕様。
そしてそれらは、目の前にいる三人の服、瞳、髪の色を意匠したものであると気づけない馬鹿が、はたして社交界にいるだろうか?
ご丁寧にもケーキの上の飾りまで三人のリボンやアクセサリを象ったチョコ細工だというのに?
「さあ、どうぞ召し上がって下さいな。オウラン公爵令嬢の覚えもよい、淑女のお手本たるお二方の感想を是非聞かせていただきたいのです」
そう優雅に微笑むミスティに、今や二人が向ける視線は屈辱のそれだ。
だが動きを止めてはこれ以上の白旗もあるまい。なけなしの理性を振り絞って両者はケーキへとフォークを差し込み、その味を確かめる。
味は――こう言っては何だがあくまで上等なチョコレートケーキだ、と味にうるさくないシェプリーは思う。
だが、味がどうこうというより以前の問題にシェプリーは嫌という程に打ちのめされていた。
これまでシェプリーは環境に合わせて、季節に合わせて、何より着用者に合わせてこれまで様々な衣服を考えてきた。
だけどまさか『人の方を消費されるお茶請けに合わせる』なんて!
――いや、服だけじゃない。クロスも、皿も。この茶会室の調度品全てもか。
この部屋に金属の輝きを放つものは一つとして存在しない。あくまでメインは三人であり三切れのケーキであると。
輝きを放つものはそれだけで良いと、徹底してそれだけに注力している。
考えもしなかった。それこそ爪の先ほども。
己の邪魔をしたのはなんだろうか。良識か、それとも常識か。あるいは只の想像力の欠如か。
あるいは食はブランダ、衣服はシェプリーと役割分担されているがために、半ば無意識でお互いの領分を侵さないよう自らに任じてしまっていたのか。
「いかがでしょう? お口に合いまして?」
そうミスティに柔らかな口調で問われて、どう答えるべきか逡巡する。
ケーキ自体は極めて普通だ。実際となりのブランダは無言のままで、多分口を開くと文句になりそうだから自重しているのだろうが、何と応えたものか。
「ええ、この場でしか楽しめない味わいですね」
環境があって初めて意味のあるチョイスだ、とシェプリーが事実を返すと、ミスティが花綻ぶような笑顔を零す。
「よかったわ。ほら、最近写真が流行ってるでしょう? だからその場でしか味わえない楽しみを創出できたらいいなって」
ミスティはその一言によって、完璧なまでにシェプリーの不意を討つことに成功したようだった。
シェプリーは驚愕に自分の手が震えそうになるのを抑えるのに、多大な意識を割かねばならなかった。
先に茶会に招かれた学生の、
『実際にお茶会に呼ばれてみないと分かりませんわ。そういう趣旨でしたの』
その一言がまるで槍のように杭のようにシェプリーの心を深々と突き穿ち、えぐり抜いてくる。
確かにこのお茶会を撮影しても、その趣旨は全く理解できない。白黒の写真ではこの空間の色合いを再現できず、ただの茶会風景に落ち込んでしまう。
――そう、白黒の濃淡しかない写真で切り取れないんだ。意図的にそうしている。
写真に撮ることでは価値を再現できない空間演出、それはまさにアーチェ・アンティマスクの写真に真っ向から勝負を挑んでこれを凌駕したという、この上ない証拠である。
今この瞬間を保存するという写真が流行しているこのご時世に、あえて写真の中には残せない要素をこそ創出する。
これまでの定型詩だった「ミスティ・エミネンシアはあくまでアーチェ・アンティマスクの評判に依存しているだけ」という嘲笑に、初めてミスティは牙を剥いたのだ。
あるいはこれ自体もミスティの考案ではなくアーチェの仕掛けなのかもしれない。
だがこの徹底的にデザインされた空間を用意したのがアーチェだと考えるものは、まずいないだろう。
何せアーチェ・アンティマスクといえば淑女嫌いのアンティマスクの娘であり、普段は母の形見たる型落ちのドレスか、婚約者バナールより贈られた外つ国の極めて奇っ怪なドレスしか纏わない令嬢だ。
さらには写真での自己アピールに選んだのは男爵家の令嬢ならぎりぎり着るか位の庶民の装い、と徹底して現在のアルヴィオス貴族服飾文化とは真逆の方向を全力で向き続けている。
あの写真のアーチェが極めて可愛らしかったからこそ、アーチェ自身の服飾センスはせいぜい男爵令嬢程度という評判が既に独り歩きしている。
だからこそこの空間演出もアーチェ頼みと決めつけることは難しい、ミスティ・エミネンシアの創出となる。そう見做すしかない。
「うーむ、やはり私のケーキは食い付きが悪いですね、なんでだろ」
唐突に、アーチェがそうポツリと呟いたことでシェプリーは思考の沼から現実に引き戻される。
言われてみればシェプリーが最初に口にしたのはシーラを意匠した、あるいはシーラが意匠したケーキである。
「何故か皆私のケーキから手を付け始めるんですよね。そんなに食べやすそうに見えるのでしょうか」
それは私を舐めてんのか? という暗喩だろうかとシェプリーは僅かに考え込み、
「ルイセント殿下だけは迷わずお姉様のケーキから手を付けましたけどね」
そしてこの会話が計算された予定調和として組まれている事に気が付いた。
――なんてこと! そう、そういう風にも使えるということなのね。
「ちょっと迂闊に殿方を呼んでのお茶会では出せないケーキになってしまったのは反省点なんですの」
少し恥ずかしそうに告げるミスティの、それも予定調和のうちだろう。
そう、自分を模したケーキを相手に出すとはそういうこと、即ち異性への言外の告白にも使えるということだ。
縁結びのご利益があると名高い告愛天使アーチェからこの様に切り出されれば、瞬く間にこの話は学園中に広がるだろう。
ミスティ陣営は新しい茶会のデザインに留まらず、新しい告白洋式の創出にまで手を伸ばしているのだ。一手でいったい幾つの実入りを得ようというのだろうか。
唐突にシェプリーは何故この茶会に参加した下位貴族たちが山吹色の布地を求めたかを理解した。
下位貴族にとっては砂糖も日用使いはできない高級品である。故に下位貴族はそれ自体が甘みのある素材で茶菓子を作るのが常だ。
そして秋深まるこの季節にもっとも簡単に入手でき、かつ茶菓子に用いやすい野菜は、
――カボチャか、そういうことね。
下位貴族を先に招いたのは、恐らく金銭に余裕がない少女たちには茶菓子の素材を選ぶ余裕もないからだろう。
上位貴族ならどんな茶菓子も季節を問わず用意できる。それこそ意図的にカボチャのお菓子を選ぶことも。
しかし下位貴族には他に選択肢がないから、あえて先にお茶会に招いて彼女たちがこの流行を取り入れられる余裕を与えたのだ。
茶菓子とドレスを合わせるだけなら低予算でも可能。さらには予算に合わせて創意工夫の余地はいくらでもある。
であるがゆえに下位貴族が楽しむ余地を潰されないようにとの配慮。流行への第一歩としては完璧な流れだ。
そしてその後に続く上位貴族たちは下位貴族のそれより更に財力をかけて、より見栄えのよいコーディネートを行なうことができる。
シェプリー・ビダイズンは嘆息した。
このスタイルは恐らくこの秋の王都を席巻すると、そう覚ってしまったのである。
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