■ EX34 ■ 閑話:アノン Ⅰ






「ようカワード、最近あの美少女食糧民連れてないじゃないか、いよいよ嫌われたかぁ?」


 ツァーカブ《第七圏》L4第四層行政庁舎にて、カワードは頬杖をついて同僚の視線から逃れた。

 確かにアイシャとはもう縁が切れた間柄であるが、アイシャの性格からして最後にはキチンと別れを告げていなくなるだろうと、そう思っていたのに。


 だが突然アイシャと、そのアイシャを己から取り上げたゲイルという血鬼ヴァンプ族は姿を消した。


「取り巻き連れてイキッてたアダーも処罰されたし、これからどんどん生活良くなっていく矢先だったのになぁ、逃げられちゃったかぁ」


 半ば以上が慰めると見せかけた安堵の視線を向けられながら肩を叩かれ、どうしたもんかなとカワードは思う。


「いいことばっかりじゃないだろ。あからさまに血液メシの値段上がってるじゃないか」


 実際、連結都市ターミナルシャフトの一つが溶岩に沈んで以降の血液しょくりょう価格は高騰しており、収入の少ない血鬼ヴァンプ族の中には少しずつ老化の兆しが見え隠れしている。


「そりゃそうだけど、その前に食糧民買って逃げ切れたお前には関係ないじゃん」

「思ってもないことを言うなよ。俺がアイシャに逃げられたって考えてるんだろ、お前」

「考えてるけど」


 もっとも、その問題にはカワードはあまり悩まされる心配はないわけで、


「何があったんだよカワードぉ、無理に身体の関係迫って嫌われちゃったの? 俺に打ち明けてみな? 俺とお前の仲じゃないか」


 同僚にそう馴れ馴れしく肩を組まれるが、そこまでカワードは不快感を覚えるでもない。こいつとは同じ日に六闘士民になってからの付き合いだ。

 カワードが美少女食料民アイシャを買えたという一点においては嫉妬こそ向けられたが、それ以外では悪感情を抱いたことも抱かれたこともない。良くも悪くも、いい同僚だ。


「……本当に知りたいか?」

「そりゃもう。っつか短期間とは言えよくあんな可愛い子をお前繋ぎ止めてられたよな。そっちの方が奇跡だぜ。ほれ話してみなよほれほれうりうり」


 同僚にそう背中をつつっと指で撫でられ変な声が出そうになったカワードは慌てて口を塞ぎ、小声で、


「……族父様から俺にアイシャ代の食糧民購入費が送られてきた。笑わせてくれた礼だとさ」


 そう、ぼそっと語る。


「…………はい?」


 カワードの呟きを吟味していた同僚が、


「……は?」


 再び乾いた笑顔で頬を引きつらせながらカワードを見やる。


「えーと、あの美少女食糧民が族父デスモダス様の手に渡って、その代金がお前に支払われたってこと?」

「他に考えようがあるなら教えてくれ」

「ははは、ご冗談を……」

「冗談だったら良かったな、俺の凍り付いた背筋も無駄にならずにすむ」


 二度、三度と視線だけで会話した両者は、


「マジか」

「マジだ」


 ヒウッと揃って怖気に身体を震わせてしまう。

 それが事実ならアイシャは今、血鬼ヴァンプ族最強の男に見初められた、ということになるわけで。


「……あー、じゃあ、あのアダーが処罰されたのって」

「族父様の指示じゃないか? アイシャの口から俺やお前たちがどういう風に族父様に報告されたか、お前、知りたいか?」

「知りたくもねぇ……なんでそんなこと俺に話すんだよ! 知らねぇ方が良かったよ!」

「お前が言えっていったんだろ!」


 二人は揃って頭を抱えた。ぶっちゃけ閑職だから、とあまり真面目に働いてなかった都市設計部門の現状を、アイシャはデスモダスに何と説明したのだろう?

 現状、アダー・ワートとその取り巻きが更迭されただけでカワードたちの周囲には変化はないが――自分たちがあのデスモダスの目にほんの僅かでも留まってしまったという事実は、六闘士民したっぱからすればもう恐怖しかない。


「ま、前向きに考えようぜカワード。俺たちは処罰されなかった、つまり族父様は俺たちの働きぶりをお認め下さったということになる……」


 口先だけでもそう考えられる同僚がカワードには少し羨ましかった。

 相場の三倍額が支払われて、金欠から一気に六闘士民の中ではトップクラスの貯蓄を得るに至ったカワードだが、未だ楽観とは縁遠い生活のままだ。


「あれ? っつかお前、返金されたんならまた新しい食糧民買えるんじゃねぇの?」

「そりゃ……買えるけどさ、どんな子買えば俺満たされると思う?」

「あー……」


 同僚も気が付いたようだ。アイシャは族父、つまり最高の血鬼ヴァンプ族たるデスモダスの肥えた舌を満たせるほどの血の持ち主だったということである。

 ここでカワードが新たに食糧民を購入しても、絶対にあれ以上の容姿と味は手に入らない。


 畢竟、カワードはその子をアイシャより下に見てしまい、下に見られた子は絶対に「ご主人様素敵、一生尽くします!」してはくれないだろう。


「最初に手に入れたものが最高だったって、幸運じゃなくて不幸だよ……」

「贅沢言いやがって、と思わなくもないが、確かにな」


 食糧民、という言葉を耳にするだけでカワードの脳裏には「臨時収入だ」と朗らかに笑うボコボコになったアイシャの顔、ポーションで快癒したあとの美しくも眩しい笑顔、アイシャと過ごした日々、血を吸うために近づいたときにかいだアイシャの汗の匂い、アイシャの肌触り、アイシャの血の味が延々とリフレインしてしまう始末である。

 もうカワードはどうあっても満たされることはないのだ。味覚的にも、心境的にも、どちらでもだ。


 だが、それはそれとして、


「買えるなら買っときゃいいじゃん。今後も血液メシの値段上がるんだしさ、金戻ってきたなら早めに買っといた方が長い目で見りゃ特だろ?」


 同僚の言うことも事実なわけで。いや、それはカワードも分かってはいたのだ。ただ踏ん切りが付かなかっただけで。

 血液の値段が高騰している以上、買えるなら早めに食糧民を買ってしまった方が得なのだ。そのせいもあって食糧民自体の価格も上がっているだろうが、三倍額支払ってもらえたカワードには然程問題とはならない。


「そうだな、次の休みに買いにいってみるよ」

「お、相談に乗ってやったんだ。時々味見くらいさせてくれよ?」

「……お前、それが目的だったろ」


 ふざけた奴だ、とカワードは睨んだが、同僚にはカワードの視線は薄皮一枚分も刺さらなかったようだった。






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