■ EX33 ■ 閑話:デスモダス・ドライアズダスト Ⅰ






 狩猟部隊の帰還を待たずしてデスモダス・ドライアズダストは一騎、夜空を駆け抜けディアブロス王国第十圏キムラヌートへと帰還する。


「お帰りなさいませモダス様、どうやら面倒ごとに巻き込まれたようですな」


 自宅の入口へゆっくりと舞い降りたデスモダスに、ウィアリーがさも当然のような顔で腰を折って会釈、待ち構えていたかのように主を出迎える。

 トラブルがあると予想をしていた、というわけではない。ただ単にウィアリーは動揺や混乱とは無縁な性格をしている、というだけだ。


「ああ。このうつけをワミーに引き渡せ。然るべく処罰せねばならん」


 片腕で抱いていたオプネスを芝生の上にヒョイと放り出して、デスモダスは軽く頭を振った。

 一応、狩猟部隊が持ち込んでいたポーションで腕は繋げてあるが、あくまで応急処置だ。本格的な治療を施さねば元通りには動くまい。


「腕が治ればまた私に挑んでくるのだろうな、貴様は」


 オプネスの強さを求める態度はデスモダスは嫌いではないが、それはそれとして一闘士民どうしの無許可な私闘は士民義務違反だ。


 強さこそ国民の証、それが士民制度だ。故に等級は変わらないが、しばらくオプネスは元老院評議会への出席が禁じられるだろう。

 三つしかない貴重な角鬼イーヴル族の意見の一つが失われるのは、角鬼イーヴル族にとって痛恨の極みだ。オプネスはしばらく針のむしろになるわけで、これで反省を――


「するような娘ではないか、こまったわらしだ」

「だからこそ可愛いのでしょう? モダス様からすれば」

「私個人としてはな。だが元老院筆頭としては看過は出来ぬ」


 ハァ、と気を失っているオプネスを軽く睨んで、その傍にデスモダスはもう一人の身をヒョイと転がした。

 今は気を失っている冥術使い。魔術的な拘束では不安がある為、荒縄でギチギチに縛り付けてある正体不明の存在は、芝生に転がされても目を開く様子もない。


「其方は何者ですか? 初めて見る顔ですが」

「分からぬ。だが魔王陛下にも匹敵する冥属性の使い手だ。後で取り調べる故、魔封環を嵌めて牢に入れておけ」

「畏まりました」


 ウィリーの命令に従い、ドライアズダスト邸に勤める四闘士民たちが慌ただしく動き出す。

 あるものはオプネスの腕をきちんと繋げるため聖属性ポーションの手配を、あるものはワミー・アナセーナへの連絡に、あるものは第十圏キムラヌート貴人牢の確認に。


 疲れた足取りでデスモダスは己の家の敷居をくぐると廊下を抜けて自室へと戻り、守りとして展開していた【burlike rind毬皮】を解除する。

 ややあって酒とグラスを手にやってきたウィアリーからグラスを受け取り、注がれたワインを一息に呷る。


 流石に、今日は疲れた。オプネスの相手に、何者とも分からぬ魔王モドキの対処、それに、


「アーチェ様は如何なさいました?」

「フローラの息子と共に国へ帰った。まぁ、よい機会であろう」


 最後の、あの瞬間に割り込んできたフローラの息子。

 確かゲイルと言ったか。無論アイシャと同じく偽名であろうが、


「よく機を待ち、私の隙を突いたものだ。思ったよりやるではないか、フローラに似ず我慢強く耐えることができる。好ましく成長できたようだな」


 カラカラとデスモダスは笑う。頭脳明晰な者、強い者をデスモダスは好む。感情的だったクレマティス=ターニフローラと違い、あの子は隙を伺い息を潜め、好機と見るや迷わず全戦力を叩き込める判断力がある。

 フローラの子と聞いて不安にもなったし、第一圏バチカルでは感情を露わに子犬のように吠えていて失望しかけたが、案外好ましい子に育ったものだ。


 デスモダスは凡人なので、してやられれば当然一時的には向かっ腹が立つ。だが長く生きていて感情が摩耗しているが故に、その怒りもすぐに薄れる。

 一度怒りを発散して冷静になれば、天晴れお見事よくやったと誉め称えるのみだ。


「それもこれもアーチェの影響か? あり得るな。だがお前にアーチェはやらんぞ、フローラの子よ」

「取り返しには向かわないのですね」


 分かりきっているだろうに、あえて聞いてくるウィアリーに、デスモダスは頷いた。


「元よりどこかで一時帰国させようと思ってはいたのだ。親や友に一言も別れを言えぬままの輿入れではアーチェに悔いが残ろう」


 デスモダスは身勝手だし淫蕩だが凡人なのだ。だから故郷に何の断りもなく妻が一人で嫁いでくるのは流石に可哀想だ、とごく普通に考えてしまい我を押し通せない。

 父に説明し、上司に説明し、友人に説明して納得する時間を与えた上で、ゆるりとアーチェを攫いに行けばよい。下手に未練を残すよりかはその方が後腐れがない。


「取り戻そうと思えばいつでもできるのだ。別に焦る必要もなかろうよ。それにこのまま側に置いておいては近いうちに抱いてしまっていたろうしな」


 デスモダス・ドライアズダストは疑いなく魔王国最強の男だ。この男にとって障害となるものなど日光以外には何一つ存在しない。

 既にアーチェの家名はアンティマスクと割れている。欲しいと思った時にいつでもデスモダスはアルヴィオス王国へ赴き、何らの抵抗もなくアーチェをその手に抱き、日が昇る前に帰って来られるのだ。


 これが強者、覇者というものだ。誰にもデスモダスを止めることはできない。

 であれば、必至になってアーチェを取り戻そうとしたフローラの子に一時の夢ぐらいはまあ、見せてやっておいても問題ないだろう。


「ですが、些か惜しゅうございますな」

「ああ。この国にはいない、種族に価値を付ける思考に染まっていない知者だ。夜のしとねがまた退屈になってしまうのは否めんな」


 少しだけデスモダスは寂しそうにそう呟いた。ディアブロスに利巧者がいないわけではないが、ディアブロスの民はどうにも民族意識が強すぎる。

 公平さではデスモダスに次ぐ、と見做されているオーネストですら自分が鱗鬼スケイル族であるという轍から抜け出せていない。


 そういう意味では全国民をフラットに見られるアーチェとの政治的な語らいは、デスモダスの孤独と孤立感を補って余りある貴重な時間だったのだ。

 冗談や勢いでデスモダスはアーチェを妻に欲したのではない。デスモダスにとってもっとも望ましい思考をアーチェが備えていたから、デスモダスはアーチェを望んだのだ。


「急ぐ必要はないが、アルヴィオスに間諜を送れ。貴族街、及びアンティマスク伯領におけるアンティマスク家の位置と状況、アーチェの家族関係程度は確認しておきたい。万が一にもアーチェがアルヴィオスという国から廃されるようなことがあれば、すぐにでも救援に向かわねばならん」

「手配致します」


 デスモダスがアルヴィオスを訪れたその時にアーチェが誰を愛し、誰に愛され、誰の子を腕に抱いていようと何ら問題はない。

 デスモダスにとって必要なのは、自分が望んだ時にアーチェが己の子を抱いて側にいることだ。それをデスモダスはいつでも実現できるのだから、焦る意味がそもそも無いではないか。


「流石に今日は少々疲れた。側はいらぬ故、私が目覚めるまで起こすな」

「畏まりました、モダス様」


 グイッとグラスを煽って、空になったグラスをウィアリーに突き返し、デスモダスは久しぶりに広いベッドに一人横たわる。


「案外広いものだったのだな。一人しかいないベッドというのは」


 苦笑しながら、部屋に一人残されたデスモダスは目蓋を閉じる。無論、その哀愁は錯覚だ。

 連れ攫ってきた最初の晩以外ではアーチェは必ず自室へと帰っていて、デスモダスと同衾などしていなかったのだから。







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