■ 138 ■ つかの間の休息 Ⅱ
生け垣の合間を縫うようにして歩いて行くと、ふと返り咲きの薔薇の一つが目に留る。
「お気に召しましたか?」
足を止めた私にフレインが尋ねてくるけど、まあ気に入ったというか何というか。
「アイズ」
「どうかしました? 姉さん」
あー、いや、そうだ。前世の名前を出しても通じないわな。この世界ではまだバラはバラで、その品種ごとに名前を付けたりしないわけだし。
なんでもない、と誤魔化すと、アイズもまた返り咲きのバラに目をやってふむ、と目を瞬く。
「姉さんみたいなバラですね、色合いが」
「確かに、言われればそうですね」
白い花弁の、その内側に牡丹色のブロッチがあるそのバラを手早くフレインが手折って棘を払い、どうぞと差し出されたそれをメイが私の髪に挿してくれた。
一応「ありがとう」とお礼は言ったのだが、私の内心は極めて面倒な複雑骨折を起こしてしまう。
――その花の名前、「アイズ・フォー・ユー」なんだけどね……
この場合私は一体どういう感情を抱けばいいのかよく分からない。フレインが育てた私の色をしたアイズの名を持つ花だぞ。
ま、まあ所詮は前世世界の名前だ。気にしても仕方あるまいよ。
なんて内心の混乱は隠しつつ、フレインの説明を聞きながら植生の脇を進んでいくと、突如として視界が開けて、
「おお、夏って感じがするわね!」
長いバラの生け垣を抜けると雪国だった――ではなく、いちめんのなのはな――でもなく、青い空の下でさんざめく太陽の花畑。即ちひまわり畑である。
なんとなく私の中にあるノスタルジック田舎魂が虫取り網と麦わら帽を連想し始めるぐらいにそれは、夏を前面に押し出した世界だ。
「詳しいことは分かりませんが、この落差は面白いですね。教養の浅い僕にもそれは理解できます」
バラに閉じ込めらた世界を抜けた先に広がる、雲と空と黄金色の海原。その狭間に遠方の山々が挟まっていて見事な柔和をみせている。
その落差は庭に疎いと自認するアイズにも感銘を与えたみたいだ。
「空と海と山。遠借、借景ね」
「借景? どこに海があるんですか? 姉さん」
アイズが首を傾げるけど、まあこの国では一般的とはほど遠い作庭術だからね。
「人工物である前景の庭園に自然物としての背景を取り込んで一体化させる作庭の一手法よ。花畑を海と見立てているわけよ」
「流石、アーチェ様はお詳しいですね。説明する前に全てを理解してしまわれる。嬉しいやら寂しいやら」
フレインが軽く頭をかくが、いやはやこの世界で借景を見ることになるとはね。
無論借景と言っても前世日本のそれとはかけ離れた光景だけど、遠近の光景を組み合わせて風景を作るというコンセプトは同じだし。
目の前にひまわり畑、その後ろに平野と雑木林、その後ろに山があって青い空と雲というグラデーションはやはり絶景としか言いようがないね。思わず顔がほころんでくるよ。と、
「姉さん、こっち向いて」
「ん、なに? アイズ」
背後から声をかけられくるりと振り向いたところで、カメラを構えていたケイルがシャッターを切って……あ、カメラってアイズに預けたままだったわね、そう言えば。
じゃ、ないでしょ!
「取材用のカメラで私を撮っても仕方ないでしょうが!」
思わずツッコミが漏れてしまうのは致し方あるまい? 高感度感光剤はまだお高い高級品なんだぞ。私なんぞを撮影しても一文の特にもなりゃしない。それならレティセント夫婦の写真を撮影して小銭稼いだ方がまだ有益だわ。
だってのに、
「レティセント家
「ええ。風景だけを撮るのではやはり寂しいですし。アーチェ様がいらした方が写真映えするものかと」
なんだぁ、てめぇら。さっきまで火花バチバチだったのにこういう時だけ手を組みやがって。
「冗談じゃないわ、こういうのは金髪のプレシアとかが映えるのであって私みたいな色素薄いんじゃ微妙だっつの」
「いや姉さん、写真はどうせ白黒だし……」
ウッ、そ、そうね。つい前世の勢いで語っちゃったけどそうだ。私たちの写真はまだ白黒だったわ。青い空もひまわり畑も関係なく白黒じゃあ誰が映っても――まあ大差はないか。
とはいえ前世では夏といえば白ワンピ少女という幻像があったように、この世界の人間にも共通する偶像みたいな概念はある筈だ……ってか普通に考えてそれ主人公の役目よね。
「うーん、撮影用モデルみたいなのも今後は考えていった方がいいかもしれないわね」
「アーチェ様がなされば宜しいのでは?」
「フレイン、あまりふざけたこと言うとその立派なケツ蹴り飛ばすわよ」
「姉さんだから口調」
いいんだよ。魔王国平民暮らしのちょっとした延長だ。人目があるところでは弁えるわい。
さておきモデルだ。美人と言ったらお姉様だけど、黒髪ロングのお姉様はあまりひまわり畑にはマッチしないのよね。夏祭りとか盆踊りとかの浴衣姿にはクリティカルヒットするだろうけどさ。
そう考えるとやっぱり明るい光景にはプレシアみたいな金髪清楚――うるせー芋だって黙ってれば清楚だ――とかの方が似合うのよね。よし、暫くはあいつがモデルでいいや、どうせ主人公だし。
そんなことを考えながらひまわり畑を右手に遊歩道を進むと、このひまわり畑は外苑だったのだろう。再び左右を植生に挟まれた内苑へと戻ってきた。
ふむふむ、最初のルートはひまわり畑の演出のためか生け垣が高かったけど、ここからは植生低めの植栽帯がメインでそこそこの視界が確保されているようだ。
ただ真夏ってのは開花のピークとなる花が少ないから、若干鮮やかさには欠けるけどね。
それでも館を遠望に備えての庭の造りは精緻に程よい乱雑さが添えられていて、何処に目を向けても飽きない造りになっている。
石造りのモニュメントが配備されているのもこれまでとの明確な差だ。
階段やその脇に置かれたポット、クーポラ造の
そしていつの間にいなくなっていたのだろう。
「軽くティータイムなど如何ですか?」
「喜んで」
畳んだ日傘をメイに手渡し、さっとハンカチが敷かれた椅子へと腰を下ろす。
クラムが茶を淹れてくれるのを待って、背後に合図をすればメイとケイルが防音の結界を展開してくれる。
「では、報告を聞かせて頂戴」
「はい、我が主よ」
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