■ 138 ■ つかの間の休息 Ⅰ
さて、ディアブロス王国を離脱しレティセント家夏の館に帰還しての翌日。ようやく難しいことを考えなくて済む夏期休暇の始まりである。
もっとも後期日程までに王都へ帰らないといけないから精々四日間ぐらいしか滞在している時間がないんだけどね。
たっぷりと睡眠を取って朝湯を終え、朝食はお姉様やシーラも含めレティセント侯爵婦人メドルさんとご一緒である。
「息子から
うんまあ、なんというか領都ドグマステク滞在期間がたった六日ってのは大変申し訳ありません。
三人して頭を下げると、メドル婦人は別に嫌味で言ったわけではなかったみたいだ。この人にしては珍しくしまったという顔になってしまっている。
「なんにせよ愚息も戻ってきたし、残り僅かな夏休みをゆっくり堪能して頂戴ね」
「ありがとうございます。メドル侯爵婦人」
「もっとも、グルーミー侯爵領の騒動が飛び火しなければ、の話ではあるのだけどね」
あーうん、私はディアブロス側の人狩りプランを元老院評議会で確認してるから「これで終わり」って知っているけど、他の人たちは違うもんね。
とはいえそれを教えてあげることもできないので、お姉様たちと一緒に不安そうな顔をしながら食事を続ける私はホント、クソ貴族だわ。お父様を非難できないね。
まあ何だかんだで和やかに朝餐を終えてお色直しを終えたところで、フレインの侍従クラム・アストミア子爵令息が我が客室の扉を叩いて現れる。
「アンティマスク伯爵令嬢が宜しければ、これより我が主が庭を案内したいと申しております」
「ありがとうクラム。喜んで承りますわ」
メイを伴いクラムの案内で正面玄関から外へと歩み出れば、うん。夏晴れの青い空。庭園周遊にはもってこいの日和ね。
玄関先のポーチにてメイに手渡された日傘を広げてフレインの側へ歩み寄り、膝を負ってカーテシー。
「それではご案内頂けますか? レティセント侯爵令息」
「喜んで、と言いたいところですが」
私に笑顔を向けたフレインがチラと私の背後、メイではなくその後ろに付き従う二人に深い笑みを投げかける。
「アンティマスク伯爵令息がどうして此処に?」
「いえ、姉さんは既にエミネンシア侯の婚約者ですので。未婚の令息と二人きりになるのは拙いでしょう」
私の隣に歩み出てきたアイズもそれは和やかに相対するもので、
「相変らず気の利く弟ねぇ。そうは言っても館の窓から見えないところへ行くわけでもないし、アイズだって疲れてるでしょ? 部屋で休んでてもいいのよ?」
「いえ、姉さん。せっかくの機会ですから私もレティセント家が誇る庭園の栄えを堪能させて頂こうかと」
「ふーん。ま、アイズがいいなら構わないけど」
アイズってそんなに庭に興味あったっけ? と思いもしたけどアイズの忠告は事実でもあるので、正直助かりもするね。
此処は人の眼なんて気にしなくていいフェリトリー領と違って伝統ある侯爵家だし。幾ら人目があるといっても確かに殿方と一対一は対外的にはよろしくないもんね。
……いや、ディアブロスでは私もっと問題のある環境にしかいなかったわけだけど……いかんあの日々は忘れよう。
カワードにデスモダスと殿方に肌を許す結果にはなったとて一応まだ生娘には違いないわけだからね! 問題ないったらないんだよ。
「ところで姉さんその服、気に入ったんですか?」
なお、私の今の服装は魔王国謹製
伯爵令嬢がそれどうなの? って話だけど、着心地はいいし夏の庭に出向くのにドレスってのもあれだ、暑苦しいからね。
メイにごねてこちらを今日は着付けさせて貰ったのだよ。まあ、主に頑張ったのは風魔術で急速乾燥してくれたケイルだけど。
そして外せない
これらアクセサリー類は若干地味な士民服には不釣り合いだけど、そこはご愛敬って奴だよ。
「ふふーん、どうよ、似合ってるでしょ?」
その場でくるっとつま先立ちで一回転してみせても、貴族のそれみたいに布をたっぷりと使用してるわけではない。やはり布地が花開くようには踊ってくれず自己主張は控えめだ。
それでもやっぱ根が庶民の私にはこういう服装の方が着ていて落ち着くのよね。素材が庶民のそれじゃないってのはおいとくとしてもさ。
「「とてもよくお似合いです」」
そうして同時に褒めてくれたフレインとアイズは何やら顔を見合わせて和やかに笑い合っている。仲いいわねこいつら。
「ではフレイン、たまの帰省休暇中に申し訳ないけど庭の案内、お願いね」
「喜んで」
フレインの案内で赴いたレティセント家夏の館の庭だけど、一目見て分かるように理路整然とした平面幾何学式庭園とは大幅に異なっている。
いや、夏の館前庭それ自体はやはり平面幾何学式に則った左右対称を基調としているのだけど、それとは別にフレインの庭園が用意されていると言うべきかな。
「幼い頃はずっとここに籠って、じいやたちと土いじりをしていたものです」
そう案内されたフレイン庭園の入口はのっけからアーチに組まれた草花のトンネルと、全方向に緑が全開である。
……そうだよな。元々はフレインの自然発火抑制のための庭だったんだもんな。瑞々しさ全振りで火神の影響を抑えるためならばこうもなろう、という見本みたいだね。
ただそれはそれとして、
「見事なものね」
アーチを構成する支柱を覆い隠すような緑の氾濫は適度に人の手が加えられて鬱蒼とした感じもなく、計算された整然さを維持している。
今は真夏だから花は返り咲きがチラホラ程度だけど、季節によってはこれは花咲き乱れるカラフルなトンネルになっていることだろう。
「私がいない間もじいやが手入れをしてくれているようで、何とかアーチェ様のお眼鏡に適う状態を維持できているものかと」
フレインが控えめに、しかし顔は自信ありげにそう告げる辺り、その庭師であろうじいやとは深い信頼関係にあるのだろうね。
アーチを抜けた先は若干不自然にも見える生け垣や植栽によって動線を誘導するコテージガーデン様式であるようだ。
傍らにはキキョウの花がその藍色の花弁を九割の整頓と一割の乱雑さで並べていて、夏風にそよいでいるのが美しい。
「なんというか、まとまりがないですね」
一般的な貴族教育を受けたアイズからすると、フレインのこの庭は雑な手抜きにしか見えないのだろうね。
「精緻な庭に飽きたということでしょ。それにフレインに必要だったのは理路整然としたタイルのような庭じゃなくて緑の繁殖力であったのだろうし」
「仰せの通りにございます。人の財力を見せつける、人の力を誇示する庭では火神の影響を抑えられなかったもので」
一見して和やかに私に対応しつつもその視線は自信と、あと軽い敵意を孕んでアイズを見ているの、少しフレインも侮られてご不満の意の表明だねこれ。
まぁ私としてはどっちの感性も理解できるから落ち着けや、としか言いようがないのだけど。ってか本当に落ち着け。視線で競い合ってんじゃあない!
「はいはいそこまで。先鋭的なものが一般に理解されにくいのは当然だし、様式から外れたものを認めない文化は衰退するだけよ。男が競うなら懐の深さを競いなさいな、その方が魅力的よ。ね?」
「は、申し訳ありません。稚気が勝ってしまいました」
「済みません姉さん、まだ僕には型から外れたものを正当に評価できる感性が身についていなかったようです」
二人が軽く頭を下げてくれたので、まあこれで遺恨は残らずに済むでしょ。
まったく、オトコノコってのは放っておくとすぐ意地の張り合い始めるわよね。困ったものだわ。まぁ貴族社会全体が「舐められたら殺す」だからしょうがないっちゃないんだけどさ。
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