■ EX32 ■ 閑話:北方四侯爵領 後編 Ⅲ






「貴方はこれでよかったのですか?」


 そうヴェセルに問われて、リトリーは小さく嘆息した。


「さあ? 一応私が考え得る最善は尽したと思うけど、私はウィンティ様本人じゃないからね」


 確かにリトリーが打った手で、皆が一斉に掌返しをしてミスティを讃える未来は封殺できただろう。これは疑いなくウィンティの立場を助ける手であったはずだ。

 だがその一方で、


「以降、オウラン陣営は本気で北の脅威に対処しなければならないという方針が定まってしまった。これがどう転ぶかだよね」


 リトリーがこの手を打った以上、オウラン陣営は北方魔王国を警戒し、万が一魔王国が攻めて来ようものなら北方四侯爵家と協力してこれを討つ姿勢をとらねばならない。

 名を出して強要に近いお願いをした以上、「間諜は狩りました、ではさようなら後は北方侯爵家宜しくね」で問屋が卸される話ではない。オウラン陣営は魔王国の間諜に今後も引き続き警戒してみせなければならないのだ。


 そしてそれをウィンティは認めるだろうが――その背後にいるオウラン公はよしとするだろうか?

 彼ならばウィンティの名声が落ちるよりも、己の描いていた未来図を横から上書きされたことに憤ったりはしないだろうか?


 この後の未来は読み切れない。確実に言えるのはリトリーの選択でウィンティの名声が落ちることは回避できたが、その副作用がどのような効果を及ぼすかが分からないということ。それだけだ。


「でもまあ、ミスティ陣営とオウラン陣営が仲良く『北の間諜許すまじ』って態度を取ったのはお互いのイメージアップにはなるんじゃない?」


 国を守るためなら両陣営とも対立することなく手を取ってこれに当たる。

 その姿勢を見せたことで王国貴族は安心できたはずだ。仮に他国との戦争が勃発したとて、戦争中に国が割れることは表面上はないと両陣営共に示したのだから。


「……ですね。それだけが救いですか」


 正直に言えば、ヴェセルからすれば此度の問題はスルーするのも有りだったのだ。

 厳戒令を布いたところで本当に間諜を根切りできるかは怪しいし、であればウィンティの名声が落ちる方がよほどルイセントとしては効果的だったろう。

 しかし魔王国の間諜をみすみす見逃した、などと噂を立てられては困るのはルイセントも同じだし、何より、


「此方としてはルイセント殿下のお名前だけで領属騎士団を動かせたなら良かったのですが」


 オウランの名を借りずともルイセントの影響力だけで北方四侯爵家の領属騎士団に出動を促せればヴェセルとしては最高だった。

 だが現時点ではルイセントはヴィンセントに比べその影響力は低い。なにせ仮にルイセントの名だけで主張してそれに北方四侯爵家が応じれば、北方四侯爵家はルイセント派だと見做されてしまう。

 その可能性がある以上、ルイセントの名だけでは侯爵たちは首を縦に振らなかっただろう。


 つまるところフレインからこの情報を知らされた時点で、ヴェセルはオウランの影響力を借りざるを得なかったのだ。

 逆に言うとフレインがリトリーにメッセージを送らなければ此度の騒動、最終的にはルイセントが利を得ることができたということでもある。

 無論、その場合は魔族の間諜はまんまと逃げおおせただろうし、国防という観点では拙いことになるかもしれないが。


「以前ルイセント殿下が仰っていました。アンティマスク家は王家ではなく王国に仕えていると。その意味を間近で叩き付けられた気分ですよ」


 此度こたび、アーチェ・アンティマスクはルイセントの利益よりオウランの力を北に使わせて国全体の防衛力を高めることを優先したのだ。

 それを非難してはいけないのだと分かっていても、同じ派閥ながらルイセントよりオウラン陣営を利するアーチェの選択をヴェセルは苦々しく感じざるを得ない。


 国の存続こそが王家の存在意義であるのだからアーチェの選択はなにも間違っていないのだと、ヴェセルも理性では理解しているのだが。


「そこら辺は私も同じだからアーチェの気持ちは分かるかな。国より派閥を優先するとか馬鹿らしいし」

「類友というやつですか」


 呆れたように首を振るヴェセルに、リトリーは朗らかに笑ってみせる。


「まさか。アーチェに比べれば私のほうがよっぽどまともさ」


 アーチェの方もそう思っているだろうな、とヴェセルは思ったが、あえて何も言わずに口を閉ざした。

 五十歩百歩に言及することは無意味だと、未だ十三歳ながらヴェセルはよく知っていたからだ。




――――――――――――――――




 そうして北方四侯爵領が厳戒態勢に移行し始めた合間を縫うように新聞部は活動を続行。

 フローンティ侯爵領の取材を終えてグルーミー侯爵領へと移動、慌ただしい中での取材を行なっていたリトリーたちであったが、


「え? 北の城塞都市で襲撃?」

「ええ。早馬が届いたとかで夏の館内は軽く緊張が走っています。何でも騎士に被害まで出ているとか。グルーミー侯爵は増援を検討しているようです」


 南なら分かるが何故北なのか。このタイミングで北が襲われる理由となると、


「グルーミー侯爵が増援……南を手薄にする、つまり逃亡幇助の為のおとり襲撃ってことかね?」

「可能性はありますね。騎士が一箇所に集まれば集まるほど間諜たちも逃れやすくなりますし」


 リトリーの問いにヴェセルは頷いたが、まだどこかしら疑念が晴れないでいるようだ。


「でもリトリー様、魔族の方はモン・サン・ブランの実働部隊が危険だとどうやって知ったのでしょう?」

「それもそうだねぇ。私たちの知らない魔族の凄い魔術とか? って言い放つのは無責任だしねぇ」


 成程、フィリーの疑問はもっともだが――このタイミングで攻めてくるのに全く無関係ということは考えにくい、とリトリーもヴェセルも思う。

 だが、


「……第三グループ、大丈夫でしょうか」


 アレジアのその一言で三者はハッとなった。そうだ。魔王国には今アーチェがいるじゃないか。

 あの・・アーチェがいる以上、今の魔王国に何がおきようと不思議じゃないというのは幸いかはたまた残念なことにか、四者の共通概念である。


 たかだか伯爵令嬢一人に魔王国をかき混ぜられるはずがない、と頭では理解しているのだが、心が納得してくれないのだ。


「逃げよう」


 臆面もなくリトリーはそう切り出した。

 一応グルーミー侯爵家における最低限の取材は終えているし領都も撮影した。

 若干記事が寂しくなってしまう点は否めないが、どう考えても今は非常事態だ。とっととレティセント領へ帰還した方がいい。

 万が一北の城塞都市で大規模な戦でも起きたら食料や物資、怪我人の輸送に疎開と街道が滅茶苦茶に混雑することになる。馬の歩みも遅れて下手したら後期日程開始までに王都へ戻れなくなるかもしれない。


「異論はあるかい?」

「いえ、アンティマスク伯爵令嬢より賜ったグループリーダーの立場としても、三令嬢の安全を優先すべきと判断します」


 引き際というのは見誤ると酷い目に合うものだとリトリーは既にようく知っていたので、グルーミー侯爵令嬢に一身上の都合で撤収する旨を伝え、ヴェセルと協力して帰り支度を瞬時に終えてさっさとグルーミー領都を出発してしまった。


 結果としてその判断は正しかったのだろう。

 グルーミー領は北の城塞都市陥落の知らせとほぼ同時に、リトリーたちはレティセント領都ドグマステクへと無事に帰還することができたのである。






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