■ EX24 ■ 閑話:魔王国民ゲイルとクリス Ⅱ






 ひとまず第一圏バチカルの繁華街、即ち風孔周辺の深度にまで戻ってきたアイズとケイルは、手頃な食堂に入店して適当に料理を注文する。

 というのも下級や中級のポーションは傷は癒やしてくれても、造血までが完璧に行なわれるわけではないからだ。


「ほぐ……あむ、ぐびっ……おいそれ僕のだぞ」

「うるせぇぞ食糧民が五闘士民に指図するな、はぐっ、おーい、おかわり頼まぁ!」

「はーい、少々お待ち――まだ食べるんですね」


 アイズたちのテーブルに積み重ねられた皿を見て、看板娘の角鬼イーヴル族が頬をヒクッとさせる。


 造血までキチンとしてくれるのは上級以上か、それ専門のポーションだけだ。

 失った血をなる早で補給しなければ、こんな貧血状態ではアダー様にすら負けてしまいそうだ。


 追加で運ばれてきたよく分からない肉の串焼きを噛み千切り、咀嚼して呑み込んだあと、


「ただまあ、雲の上の存在だけど殺して死なない奴じゃあないよ、あいつ・・・はさ」


 喧騒の中で声を潜めてアイズはそうデスモダスを評する。

 流石に名前は出せないのであいつ呼ばわりだが、ケイルにはそれで伝わるだろう。


「あれだけ完敗しておいてか?」

「お前と違って僕はちゃんと考えて戦ってたからな」


 闇雲に防御だけを行なっていたケイルとは異なり、アイズは負けが確実となったその瞬間から可能な限りの情報を引き出すことを第一優先としていたのだ。

 飛来する血刀の一つにアイズはこっそりと氷柱を叩き付け、それが血刀を相殺できることを確認していた。それはアイズがあの負け戦から持ち帰れた、数少ない朗報である。


「手数で負けた。だけど強度では拮抗しうる部分がある」

「そりゃ楽観が過ぎるって話だろ。あれがあいつの全力ってわけじゃねぇだろうによ」


 棒立ちだったデスモダスははたして、ケイルたちに本気で攻撃をしていたのか?

 その疑問はもっともで、とてもケイルたちを全力で確殺するつもりだったとは思えない。その点においてはアイズも異論は無い。


「そうだろうさ。だけどあいつがああやって戦わざるを得ない状況に持ち込めれば話は別だ」


 だが最強の血鬼族だというデスモダスの血刀だろうと――手数を優先しなければいけない状況を作り出せたなら、ケイルたちにも相殺は可能なのだ。

 その一点だけは事実であり、故にデスモダスは如何なる手段を以てしても殺すことができない強靱無敵の存在などではない、ということだ。


 運ばれてくる料理に二人は欠食童子のように手当たり次第にバクバクと食らいつき、平らげていく。

 おまけに運ばれてきた微発泡性の酒精も少しだけ勢いで飲んでしまって、天板に陶器のコップを叩き付けるアイズの顔は少しだけ朱に染まっている。


「戦いってのは戦略で勝つのが基本、その場に訪れる前にほぼ勝敗がついているようなもの、っていうのが姉さんの口癖だろ? んで父上もそれを認めている」


 戦略の負けを戦術で、戦術の負けを戦闘で取り返すのは極めて困難な作業だ。

 アイズの言うことはその通りなのだが、


「でも俺ら完全に戦略で負けてっぜ?」


 ケイルが飄々と肩を竦める。それはもうその通りとしか言い様がなく、たった三人でディアブロスに潜んだケイルたちは孤立無援だ。


 前衛がたった二人、後詰めはおらず補給路はなし。一方の相手は第十圏キムラヌートに居を構え、この国の二割以上の民の頂点である魔王国最強の一闘士民だ。

 これはもう蟻が巨象に挑むようなもので、勝ちの目などというものを探そうとすることそれ自体が嘲笑ものである。


「そうなるとあとはもうあいつが留守の時を見計らって姉さんを攫っていくしかないだろうよ。士民は誰もが義務に縛られてるんだろ? あいつだって働かなきゃいけない義務を負っているはずだ」


 一闘士民は元帥、もしくは閣僚の義務を負うことが国の規定で定まっており、現在は元老院議員として国家規模の評議にも参席しているはずだ。

 カワードが職場にアーチェを伴えたように、食糧民を職場に連れ込んではいけないという法はないようだが、


「お前の話だとあいつ、女を取っかえ引っかえしてるんだろ? なら姉さん一人を常に連れ歩くってことはない……」


 そこまで口にしてアイズは、さぁっと顔面の血が引いていく音を耳にしたような錯覚にとらわれた。


「……しまった、最悪の未来を想定するのを忘れてた」

「最悪の未来って何だ? アイシャがもうヤられちまった上で殺されちまったって可能性か?」


 そんなケイルの問いにアイズは首を振るのも億劫とばかりの視線を返してくる。

 それはアイズにとって最悪の未来ではない。実現したら最悪だろうが、その可能性は極めて低いと考えているからだ。


「姉さんは賢い人だ。自分がディアブロスに潜入した意味を忘れるはずがない。どんな手を使っても生き延びて、情報を持ち帰ろうと努力するはずだ」


 無論、姉が抵抗虚しく魅了されるがまま椿の花を落とされている可能性はあるだろうが――明け透けに言ってしまえばそれはアイズにとって気にすることではない。

 アイズにとって重要なのはアーチェ・アンティマスクが心身共に健康な状態で隣にいて、自分を愛してくれていることだ。


 それが恋愛であればなおよいが、家族愛でもギリギリ耐えられる。

 姉が愛するのがダートやケイルまでならアイズは姉の横に並べるが、上位貴族であるルイセントやフレイン、バナールではそれは叶わない。だからケイルと同盟を結んだ。


 もっとも、アイズという少年の根底は餓狼だ。本当なら姉を害し、姉を傷つける全てをこの世から消し去ってやりたいと思う性質たちだ。

 だがアイズは過去、姉にはっきりと『そういう考え方をする人は怖い』と特大の五寸釘を打ち込まれてしまっている。それをやる人を、姉は愛してくれないだろうと徹底して分からされてしまったのがアイズだ。


 もっともアーチェをしてアイズを去勢し牙を抜くことは全くできなかったわけで、未だアイズは犬の毛皮を被った狼に過ぎないのだが。

 そんなアイズの嗅覚が、最悪の未来を正しく嗅ぎ付けた。


「本当の最悪ってのは姉さんがあいつを籠絡しちゃった場合だ。姉さんに限って『無い』とは言いきれないだろ」

「…………うわ、マジだ。確かにあり得ねぇとは言い切れねぇ」


 アイズとケイルは蒼白になった顔を付き合わせた。そう、アーチェに限って「それはない」とは言い切れないことを、メイの次ぐらいによく知っているのがアイズとケイルだ。

 ずっと側でアーチェを見てきたのだ。アーチェはどちらかと言うと年上好みで、しかも駄目人間を見るとランプの灯りに引かれる蛾のようにふわっと寄り添って手助けをしてしまう。


 あれだけぶん殴ると気炎を上げていたプレシアの義父、ベティーズ・フェリトリーですらいざ目の当たりにしたら、「まだ若いんだし仕方ないわ」で全力フォローを始めるのがアイズの姉なのだ。


「姉さんは燻っている人を見つけると放っておけない性質たちだ。あのアダー野郎すら死ぬほどじゃない、って言えちゃう人なんだぞ」


 自分で言っておきながらアイズの背筋が凍る。アーチェは異様なほどに駄目人間に甘い。自分は無茶苦茶優秀なくせに、駄目人間に同族意識を抱いてるんじゃないかってくらい甘い。


 無論何でも許すわけではなく、見限る基準もあるにはあるのだが――それはだいたいグリシアスより年上か否かぐらいだ。

 これ以上年上の駄目人間には手厳しいが、グリシアスより下なら「まだ若いんだし」で流しちゃうイカレ判定持ちだ。とても十四歳の発言とは思えない。


「あいつはアイシャにとっての駄目人間に該当するかな?」

「駄目の筆頭だろ。全裸で空飛んでくる奴がまともだってお前、思うのか」


 おぅ……とケイルが両手で顔を覆った。

 アーチェは邪悪な人間に対しては流石に容赦はしないが、情けなかったり愚かだったりぐらいなら平気で許してしまう。

 というか駄目人間を支えることが生き甲斐にすらなってしまってるんじゃないか、とすら錯覚するほどだ。


 そして悔しいことに――それを認めたくないからケイルは怒るしかなかったが――デスモダスはある程度の良識を備えている男だった。己の血を引くケイルの身を案じられる男だった。

 そう考えるとデスモダスはアーチェの許容範囲内に納まってしまう、という可能性をアイズもケイルもどうしても捨てきれないのである。


「頼むぜ親父殿、頼むからか弱い十四の少女に欲情するような年下趣味は発揮しないでくれよ……」

「あいつの精神年齢は幾つくらいなんだろうな。肉体的にはお前より年下みたいだったけど」


 自分は何故無残にも攫われた姉の心配より、姉が恋敵を増やす可能性を危惧してしまっているのだろう。

 そう思わない二人でもなかったが、二人にとってこれはどうやっても無視しがたい要因の一つであるのは疑いない事実なのだ。






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