ケイル・ブリガンドと魂の闘争
■ EX24 ■ 閑話:魔王国民ゲイルとクリス Ⅰ
「間に合ってよう御座いました。お加減は如何でしょうか? ゲイル様」
魔王殿の外に運び出され、ポーションを全身に振り掛けられた上で服用させられたゲイルに、清掃員や門番が未だ礼儀正しく応じる。
「……ああ、邪魔して悪かったな」
穴だらけになった服を見下ろしながら、二本の脚でケイルは立ち上がる。
生きている。まだケイル・ブリガンドは死んじゃいない。
「ドライアズダスト卿がお許しになられた以上、我々から申し上げられることは何もございません」
「ただ、できれば今後はこのような無茶はおやめ下されば幸いです。ドライアズダスト卿が突っ込んできたときには命が縮む思いでしたので」
恐らくはデスモダスがケイルを認知したこと、その上で命を奪わなかったことから今の現状は親子の
処罰やら何やらの話は一切行なわれることなく、ケイルたちは解放、というより敬礼を以て魔王殿から送り出された。
だが、
「……畜生が!」
魔王殿からある程度離れたところで、表層を取り繕うのも限界が来た。
怒りのままにケイルが拳を壁へと叩き付ければ、身体強化された拳は岩窟をも砕く。そう、岩をもだ。
だが、
「ここまで磨いてきたのに、ここまで魔術を鍛えてきたのに――この結果がこれかよ、このザマなのかよぉ……!」
そんなものは生涯の敵であった男に寸毫も通らなかった。
手玉に取られたというレベルにすら届かない。この力を、この怒りを見向きすらされなかったのだ。
棒立ちしていた男に手も足も出ないどころか惚れた女に目の前で庇われ、そしてそれを奪われた。忠誠を誓ったはずの女を、救うどころか助けられた。
肉体こそ傷一つ無く再生されたものの、ケイルのプライドはボロ雑巾よりもズタズタだ。
肉を切られて骨子を断たれ、もはや水の入った革袋よりも正体を留めていない。留めることができていない。
だから、
「仮にも年上だろ、みっともなく喚くのは止めろ」
すぐ隣にいるアイズにそう至極冷静に指摘されて、思わず胸ぐらを掴んでしまう。
「お前に俺の気持ちが分かってたまるかよ! 母さんを陵辱し、俺の人生を無茶苦茶にした男に手も足もでなかった俺の気持ちが分かるか!?」
「分かりたくないね。キャンキャン喚くことしかできない負け犬の遠吠えなんて」
軽口に対して思わず拳を叩き付けてしまえば、ケイルが襟を握っていたせいで、回避すらできずアイズは襟元を破きながら鼻血を出してその場に倒れ伏す。
「ならその負け犬にも勝てねぇお前は何だ!? 靴の裏にへばりついた犬の糞以下かよ」
「冗談。暴力を振るうべき時と場所は弁えているよ、お前みたいなカスとは違ってね」
何を、と身を起こしかけているアイズの頭に蹴りを入れようとして――その冷やかすぎる視線にケイルは射竦められる。
それこそまさに、靴の裏にへばりついた犬の糞でも見るような視線と言うべきか。
既にアイズはケイルを見限って、見下していると。
怒りで沸いた頭でも一瞬で理解できる瞳の色だ。
「契約の話はこれで終わりだな。お前の一番は姉さんじゃないって、お前に姉さんは託せないってこれでようく分かった」
そんな氷のように冷たい声音が、水袋のようにグズグズになったケイルの心にこれでもかと突き刺さる。突き刺さって凍らせて、固体としての形を取らせる。
そう、そうだ。
ケイル・ラナンキュラスはあの時誓ったのではなかったのか?
――俺の命は俺のものだ。だから俺は俺の為に生きて、この子の為に死ぬ。
魅了の魔眼をものともせず、ただケイルの瞳を真っ直ぐ見据えてくれた少女のために生きると、ケイルはそう誓ったのではなかったのか?
「どうした。不幸自慢はもう終わりか? もっと言ってみろよ、飽きるまでは聞いててやるからさ」
この心臓はまだ動いている。この命はまだ消えていない。
ならば、ケイル・ブリガンドの全てはアーチェ・アンティマスクのために費やされねばならない。その筈だろう?
「……すまねぇ。お前の言う通りだアイズ。俺こそが靴の裏にへばりついた犬の糞以下だよ」
「クリスだ。次に僕の名前を間違えたら毛虫以下だからな」
言外に犬の糞よりはマシだ、と言われてケイルは申し訳なさげに手を差し伸べた。
その手を取って立ち上がったアイズに、
「けどまあ、一発は一発だ」
よりにもよって胴回し回転蹴りを側頭部に叩き込まれ、今度は油断していたケイルが吹っ飛ぶ番だった。むしろアイズより派手に、そりゃあもう派手にごろんごろんと。
「目は覚めたか?」
「…………いんや、まだお星様が瞬いてやがる時間だぜ……」
明滅する視界の中、伸ばされた手を取ってケイルも再び立ち上がった。
「……軽蔑しないのか?」
一時とはいえ、アーチェの安全より己の復讐を優先した後ろめたさ。
それにだけは未だ打ちのめされているケイルがそうおずおずと問うが、
「僕だって小銭ほしさに家族を殺された時はあっさり逆上して、賊を皆殺しにしたしな。軽蔑は自分に返ってくるからやらないよ」
アイズにはもう他に家族が残っていないから、誰よりもアーチェのことを優先できる。
だがケイルにはまだ血の繋がった家族が残っているのだ。であれば一時的にそれを優先することは何らおかしな事ではない。
「何より、お前が家族のために怒ることを誰よりも姉さんが許すだろうよ。であれば僕が反対してどうする」
「判断の基準は全てアーチェの思考に添うか添わないか、かよ。どこまでもお姉ちゃんっ子だな、お前さんはよ」
虚勢を張って、ケイルは添ういつもの軽口を叩く。
情けなくても、表面的にぐらいは復活してみせなきゃ男が廃るというものだ。
くよくよして時間を無駄に消費するなど――これもまたアーチェは許すだろうが――誰よりもアイズとケイル自身が許せない。
今ケイルたちがやらなければならないことはなんだ? 決まってる。
「さて、あの男からどうやって姉さんを取り戻すか」
「そうだな。正面から挑んでも勝ち目がねぇことはこれでよく分かっちまったしな」
アイズとケイルは顔を見合わせて呻くが、暗闇の中にいるケイルとは違い、アイズの方はどこかしら光明が見えているような面持ちだ。
「なんだよ、愛しのお姉様が攫われた割には随分と落ち着いてんな。悔しくねぇのか?」
「悔しくない、と言えば嘘さ。でも僕たちはルナちゃんに遊んでもらって以降、ひたすらに鍛練を重ねてきたはずだ」
アイズが怒りはあれど曇りの無い瞳で、そう正確に自己分析する。
この世界の総魔力量は魔力枯渇で死ぬような思いをすれば際限なく増大する、などという都合のよい成長はしない。
筋肉と同じなのだ。地道かつ適切な鍛錬こそが力を伸ばす唯一の手段であり、それをアイズはグリシアスが付けた師範の下でずっと重ねてきている。
本物の殺し合い、実戦でなければ分からない機微もあるというなら、それこそアイズたちはフェリトリーの夜で死の際を嫌という程身体に刻み込んでいる。
「なのに負けた、というのは要するに、これは冬山で雪崩を止めることができなかったことを嘆くような話ってことさ」
アイズもケイルも世界最強にして豪傑無双の英雄なんかではない。どれだけ鍛えたってアイズたちより強い者、というのは腐る程いて当たり前なのだ。
そもそも勝つのが無理、という相手に負けた事実をいちいち延々と悔しがって時間を浪費するなど、それこそ馬鹿げているとしか言いようがない。
ここら辺はプレシアを指導しているアーチェからの受け売りでもあるが、アーチェの言葉だからこそアイズはそれを裏切れない。
「雪崩を止められませんでした、すみませんなんて姉さんに謝ってみろ。慰められるどころか呆れられて『なんで命をそんな無意味な危険に晒したんだ』って逆に叱られるぞ」
アイズにとって姉の言葉は神託にも等しいのだ。
もっともアイズは姉が自分を盲信して盲目的に従う人間を心底嫌うと知っているから、自分自身の考えでキチンとアーチェの言葉を咀嚼してキッチリ呑み込むよう心掛けている。
そういうアイズの思考はだから、ここで殊更に悔しがるのは時間の無駄だと冷静に判断できている。できてしまっていることが逆に悔しくすらある。
むしろ姉を奪われてキレ散らかしているケイルを少し羨ましいとすら思っているほどだ。そっちの方がよほど、外から見れば姉のことを思いやっているように見えるのだろうから。
冷酷に味方の死体すら平然と足蹴にして前に進める、冷酷な氷の殺人鬼――
に、アーチェが干渉した結果なれなかった少年は一周回って、姉が望んだ思いやりと父から学んだ合理の双方を正しく受け継ぎ、その冷静な思考から味方の死体すら平然と踏み越えて前に進める少年になってしまったのだ。
脚は止めない。前進を続ければそれだけ敵の負担になるから。
死体を踏み越えることに躊躇いはない。それがより多くの未だ生きる者たちを守る、最短の道行きだから。
「雪崩を止められなかったのは僕の失態じゃない。けど雪崩に飲まれた姉さんを助け出すための最善を尽くさないのは僕の失態だ」
むしろアーチェよりもよっぽどアイズの方がマーシャとグリシアスの子供に相応しい、アンティマスクの血脈を受け継いだ跡継ぎになってしまっているようだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます