■ 134 ■ 狩猟遠征 Ⅰ






 さて、いよいよ来て欲しくなかった狩猟遠征当日である。

 流石に今日は外に出る、ということもあり痴女の装いじゃなくて一般士民の服装を強いさせたよ。強いさせないとあれだからね。


「それでは行ってらっしゃいませ、モダス様、アイシャ様」

「ああ、留守は任せる」


 館の管理をウィアリーに任せ、デスモダスに抱えられてドライアズダスト邸から宙へと飛び立つ。

 連れて行くのは私一人と、あと私とデスモダスの着替え、及び食糧と什器を持つ使用人が一人ずつである。驚いたことに酒も断っているとかそれ、逆に心配になるわ。

 ついでに服装までいつものコクーンワーム糸製より、若干劣る上位士民服のスラックスとシャツって具合だし。


「言っとくけど私は下半身の世話はしないわよ」

「不要だ。私一人だけ女を抱いていては兵の士気が下がろう」


 どうやら戦場で一人だけ偉そうな奴が腰振っている様を見せつけては兵のテンションが下がる、ということらしい。

 流石、こう見えて一兵卒からの叩き上げらしく、よっぽど他の一闘士民より下級闘士に配慮しているらしい。本当に公人としては立派だよこいつ。私人としてはクソだけど。


 デスモダスに抱えられたまま、一闘士民が通るってことで一時占有でもしているのかな。敬礼する職員を一瞥しただけで片時も止まらず風孔セトへと突入。

 一路駆け抜けてあっという間に第七圏ツァーカブへ到達だ。私たちが疑似翼ガルーダローブで抜けたときよりよっぽど早いわ。


 流石、私たちが魔王殿に侵入するや否や第一圏バチカルまですっ飛んできただけのことはあるわね。

 こいつに他人を避けて飛ぶ殊勝さなんて期待できないし、あの時は多分多くの士民を轢き飛ばして来たのではなかろうか。ナムサン。


「久しぶりね第七圏ツァーカブ、少しだけ懐かしいわ。デスモダス、ちょっとゆっくり飛んでくれない?」


 第十圏キムラヌートの地底なのに澄んだ空気とは違う、様々な料理や排水、人の匂いなどが入り混ざった、生活の香り、文明の匂いがする世界。地底都市という異様な光景なのに、何故か安堵を覚える光景。


「そう言えば其方は第七圏ツァーカブに居たのだったな」


 貴族街である第十圏キムラヌートと比べると壁面のゴミゴミした様相には生活感があって、うん。多分私、こっちの方が肌に合ってるわ。

 多分前世のコンクリートジャングルに似た空気があるからだと思うけど。へっ、いっちょ前におセンチになってやがるぜ。元クソOLがよ。


 そんな庶民さまたちの営みを尻目にそのまま大穿孔都市セントラルシャフトを上昇。

 カワードの家は風孔セトのある深度より更に下だったわね。ジオイドマイナス幾つくらいなんだろう。ベイスン室長とか連れてきたら大喜びで測量始めそうね。


 ……うん、私前世のみならず少しだけ今世のホームシックにもかかってるかも。

 内心を抑え込み周囲に意識を戻すと、デスモダスがふわりと横穴の一つに着地するところだった。どうやらこれが地上に続がる出入り口ということだろう。


「歩くわ、降ろして」

「外に出るまでだぞ」


 デスモダスの腕からするりと降りて、使用人二人を従えて若干勾配のある横穴を一路地上目指して進む。私たちが侵入した入口とは別の通路だね。結構な大通りだ。

 そこそこの往来はあるのに特に敬礼などされることもなく進んでいるのは、デスモダスが士民票をシャツの中に隠しているからかな。

 と、いうことは、


「デスモダス、貴方あまり市民に顔が売れてないのね」

「人前に出る機会があまりないのでな」


 どうでも良さそうにデスモダスはそう宣うが嘘つけー、どうせ機会があっても他の一闘士民に任せて自宅で女抱きながら酒飲んでたんだろぉおん?

 でもまあ、確かにアルヴィオスでも王様の顔なんて庶民は知らずに生活してるもんな。テレビがない世界じゃそんなもんだよね。


 程なくして通路の先に濃い闇の穴が広がって、


「……空だ。久しぶりに星空を見たわ、夜ってこんなに暗かったのね」


 久しぶりに戻ってきた地上は、私が予想していたより遙かに暗い世界だった。まあ、月齢が三日月の夜中であるからなんだけど。


「アイシャ様、お召し物を」

「あ、どうも」


 外の空を飛ぶ、ということで普段着の上に使用人が差し出してきたもこもこのセーターと厚手の外套を纏い、最後にウシャンカみたいな帽子を被れば熱伝柱トレードピラーによる熱放射範囲ではかなり暑いね。


「では行くぞ」

「はーい」


 デスモダスに抱えられて空に舞い上がると、しかし一瞬にして大気は凍えるように寒く、肺腑と唇の熱が一瞬にして奪われる。

 夏でありながらも極寒の空、本来であれば永久凍土である筈の魔王国上空は、やはり人の生存を拒む厳しい気候そのままであるようだった。


「改めて初代魔王陛下の賢明さと尽力に頭が下がる思いだわ」


 一言語るごとに、口から白く凍り付いた呼気が尾を引いて闇夜に溶けていくの、美しいけどそれは人の生存を拒む美しさだ。


「それが分からぬ士民も多いものだがな」


 デスモダスはやや咎めるような口調で言うが、しかしそれは教育が行き届いていないだけだろうなと私としては思わざるを得ない。

 先人に対する感謝と尊敬は、先人の遺業が理解できる知恵があって初めてできる高等思考だ。普通の人は生まれたときから身の回りにあったものは、当然のように存在し続けるものと考えるからね。


 だからそれが失われたときに初めて狼狽えるのは、そこまでおかしな話じゃないし馬鹿にできるようなことでもない。

 自分の知っている通りの世界がこの先も続いていくと考えているのは、金持ちも貧乏人も賢人も愚人も同じなのだから。ただ想像が行き届く範囲が異なるだけで。


「この侵攻で、世界はどう変わっていくのかしらね」


 手元に弓も無く闇を見通すのが難しい私の目に映るは、血気に逸る猛禽の如くに闇夜を進む無数の黒影。

 空を行く数多の黒い羽ばたきは、アルヴィオスから民を奪い攫い食い物にしようとする害鳥アトリの群だ。


「仮にこのまま陛下の降臨が遅れ続ければ、ウォブのみならずピエティも地上簒奪に賛成票を唱えるかもしれん」

連結都市ターミナルシャフトの自沈は必要な処理だったって言いたいんでしょ。分かってはいるわ、理性ではね」


 今目の前に広がっている光景は、可能な限り穏当にことを納めようと元老院が下した判断の結果だ。

 でもアルヴィオス王国からすれば「お前らなんて勝手に溶岩の下に沈めよこの蛮族」でしかないのが本音だろう。


 お互いに、相手の生存と生活に価値を認めていない。

 境界で紛争が続いている他国なんだから当たり前ではあるけれど。


「どの範囲までの人死にを悲しむ人を、人は優しいというのかしらね」


 家族の死を悲しまない人は、虐待でもされていたなら話は別だけど、一般的には冷酷と言われるだろう。

 でも隣家の死であれば何も思わなくても冷たいとは言われまい。


 同じ町の人なら尚更、同じ県、国でも同じね。

 でも国を飛び越えると意識すらしなくなり、それが対立国の人死にであれば、それを嘆くのは馬鹿げていると笑い非国民だと論いもする。


 対立国の国民の命を考えることなど馬鹿のやることだ、と正面から切って捨てるのが正しい政治家であると人は言う。

 政治家は国民の税金で生活しているのだから、国民以外を救うことを考えるのは、それが国に利益を出さないなら売国奴だと。


 これは経済が社会を支配する世界であったからではあるのだろうけど……


 人の死という現象にやれ国だ人種だと飾り付けをした上で悲劇とも娯楽とも捉えるのが人間性だというなら、人間性というモノは何と下らないものなんだろう。






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