■ 131 ■ 遠征準備 Ⅱ






 入浴の後に痴女の装いに着替えてデスモダスの部屋を訪れての、


「ところで其方、何故毎朝毎朝くるくると狂った鼠のように庭を周っているのだ?」


 開口一番がそれだったので、ひとまずその高い鼻をグイッと摘まんでねじ曲げてやった。


「痛いぞ、何をする」

「貴方、鼠に欲情する趣味があるの? 言葉はもう少し選びなさいよ」

「他に形容しようもなかったのでな」

「バターになる虎とか、もっと他にもあるでしょうが」

「アルヴィオスでは虎の乳からバターを作るのか?」

「いや作らないけど」


 うんまあ、前世知識だから意味不明なのは仕方ないけどさ。ってかなんで虎がバターになるんだよ。冷静に考えておかしいだろ。

 虎バターのパンケーキ作る、パンケーキに虎バター乗せる、虎バターのパンケーキになる虎バターパンケェェーキ!

 ……はっ、私は一体なにを。


「其方、疲れておるのか、さっきから言っていることが支離滅裂だぞ」


 どうやら声に漏れていたらしくデスモダスが珍しく困惑というか、ヨーヨーマッでも見るような視線を私に向けてくる。

 ヨーヨー・マじゃないよ、ヨーヨーマッだ。


「貴方から見て疲れてるように見えるならそうなんでしょうね」


 ナイトテーブルの側、デスモダスの隣に腰を下ろすと途端に溜息が出るのは疲れてるからか、デスモダスの相手するのに辟易しているだけか、よくわからないけど。


「何に疲れた」

「結局のところ、最も狡猾な者に沿って世界は動いているし、それを止められるのは暴力だけで、その暴力は関白オヤジ化を促進するから、そう有頂天になった関白バカ野郎を無力化するために人は隙を探し始める。その堂々巡りにね」

「成程な、その風刺として其方はくるくる周っていたわけだ」


 カラカラ笑ったデスモダスがぐいと私を抱き寄せて、ナイトテーブルのワインを手に取る前に胸ポケットから何かを取り出した。


「ではさしあたって暴力から其方の身を守るすべだな。身に付けておけ」


 シャラリ、と首にかけられたのはトップに大粒の赤い宝石が嵌め込まれた、瀟洒な白金のペンダントだ。

 台座まわりの薔薇の彫刻も微に入り細を穿つ精巧さで、宝石抜きにしてもかなりのお値打ちものだわ。ヒェッ、背筋が寒くなってきた。


「これは?」

血杯カリスブラッド、まぁ護身用のアミュレットのようなものだ」


 痛っ、と胸元に鋭い痛みが走る。

 見やれば針程度に構築された血刀が胸にほんの少しばかり突き刺さっていて、僅かに血が滲んでいる。

 その血にデスモダスがペンダントトップの紅玉を押し付けると、その血があれよと宝石に吸い込まれて消えていった。


 ……なんかいやなよかんがするよ。


「これでよい。もう二度とそれは其方から離れることはない」

「……はい?」

「私が側に居らぬときもそれが私の代わりに其方を護るということだ」


 デスモダスがペンダントを外そうとすると、ピンとまるで糸を張ったかのように赤い光が宝石と私の胸元に伸びて、私の身体から離れるのを拒むかのように静止して鎖に頭を通せない……なんだこれ!?


「呪いの装備じゃないの!」


 ならばこんな細い鎖など引きちぎってやると力を込めるも、鎖自体がにわかに赤い光を帯びて私の腕力など微風とばかりに全く千切れる素振も見せない。

 アーチェ は のろわれてしまった! なんてこと!


のろいではない、まじないだ」

「どっちだって同じよ! 勝手に何やってくれんのよ! 外しなさいよこれ!」

「そう邪険にしてくれるな。其方の身を案じてのこと故な」


 私の手をとって甲にキスを落としてきたデスモダスが、少しばかり傷付いたような顔で笑う。


血杯これは私の持てる資源の半分程を注いで作り上げた、これ以上無い程のまじないだぞ。冥属性以外のあらゆる魔術から其方を護るだろう」


 見よ、とデスモダスが無造作に血刀を投げつけてくるけど、それは宝石からぬらりと滲み出た赤い障壁に阻まれてあっさり雲散霧消する。


 ……マジか、デスモダスの攻撃を自動で相殺するとか、本当に性能だけ見れば破格の贈り物じゃないか。呪われてるけど。デスモダスの財産の半分をぶっ込んだって……お値段お幾ら万円、いえ何億ラヴァなのよ。想像すらしたくないわ。


「冥属性は防げないの?」

「冥属性は陛下の属性、配下たる私が逆らうわけにもいかないのでな」


 あっ、ふーん。冥属性の減衰作用に抗えないんじゃなくて意図的か。デスモダスが作った防具を備えた者が万が一にも魔王を害さないようにっていうセーフティなのね。

 そういうとこデスモダスはしっかりしてるよなぁ。締めるところは締めるというか忠誠心が篤いというか。


「あと魔力反応式故に魔力を伴わぬ物理攻撃には後れを取ることもある、気を付けよ」

「ああ、流石にそこは万能ではないのね」


 まあそれは致し方あるまいよ。私に触れる全てから私を護るっていう防壁が仮に存在した場合、私は何にも触れられなくなってしまう。

 つまり服を着るどころか飲食、果ては呼吸や大地に立つことすら覚束なくなる訳だからね。全てから護るってのはそういうことだし。


 あと人からの悪意ある魔力に反応して、みたいなのもファンタジーではよくあるけど、貴族社会でそれやっちゃうのかなり危険だしね。自分より立場が上の貴族と会話していていきなり防御魔術発動! とかなったらその時点で人生詰みだ。言いがかり付けられて終わりだよ。


 他にも、密着状態からの魔術も防がないらしい。これは治癒とかポーション服用、私にかけられたバフなどを阻害しない為だとか、うーむやはり色んな状況を考えてるなデスモダス。伊達に長年生きてないわね。


「万能ではないが、今の私に作れる最高の品だ。礼の一つくらいあってもよいのだぞ、ん?」


 デスモダスがそう笑うが、冗談じゃないわ。


「要するにこれ、名前入りの魔封環代わりなんでしょ?」


 平たく言えばこれは首輪だ。

 既に私にはデスモダスが唾を付けているという証、私の飼い主がデスモダスだっていう識別標ドッグタグだろうに。

 そう睨みつけてやると無言でデスモダスが破顔するあたり、やはり間違いないらしいね。


 私をベッドに押し倒したデスモダスが、胸の間にある己が寄越したペンダントトップを邪魔だとばかりに指でピンと弾き飛ばす。

 そうして空けた谷間にしばし顔を埋めていた変態野郎ではあったが、やおら頭を上げて僅かに表情を引き締めた。


「其方の安全の為、というのは嘘ではない。事実、今の其方は危険なのだ」


 デスモダス曰く、普段の自分なら二闘士民を殺した程度でその反応を伺うようなことはやらないらしい。


「しかし今回私はウィリーを通じて市井を探った。普段は取らぬ行動を私は取ったわけだ」


 情報を集めるということは、情報を集めていると知られることでもある。

 デスモダスが調査のために人を動かせば、その事実が他者にも知られるということだ。


「仮に反体制派が存在しているのであれば、だ。私が普段と異なる行動を取った事実に警戒し、私がなぜそうしたかの理由を考えよう。では近々で私の周囲に生じた変化とは何だ?」


 そりゃあまあ、一つしかないわな。


「魅了もしてない食糧民を侍らせ始めたことね」


 ワミー氏の指摘にあれだけ元老院全体が驚いてたんだ。皆さん印象に残ってるよね。


「左様、最高権力者がしとねの中で毒婦にそそのかされる。自らは毒婦より聡明かつ無害と無謬に信じる国民たちにとってこれほど恐ろしい話はあるまい?」


 成程、これまで無防備だったデスモダスが急にあれこれ警戒するようになってしまったら反体制派としても困るよな。

 時期的にその理由が私であると当たりを付けるのは自然な流れだし、私を排除しようと考えるのは至極当然。たかだか食糧民だ、排除することに何らの抵抗も覚えまいよ。


 ……うーむ、そこまでは私も考えてなかったなぁ。確かに危険があったんだね。だからデスモダスはこれを用意したと。

 デスモダスからすれば私が無防備に前庭をくるくる周っているのはあまりに危なっかしくて見てられなかったのか。




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