■ 119 ■ 久方の光長閑けき夏の日に Ⅱ






「カワード、貴方は大事なことを忘れてるわ」

「……なんだ? 力とか余裕とかか? それとも思いやりだとでも? それだったら俺だって――」

「そう、その思いやりよ。私はアルヴィオスに帰りたいの」


 そう短く告げると、今頃思い出したかのようにカワードが言葉を失った。

 相手のことを考えるのが思いやりだというのであれば、そもそもカワードは私のことを思いやれてはいない。


 もっとも基本的なことをカワードは見落としているのだ。

 即ち一般的な血液袋にとってディアブロス王国で暮らすことそれ自体をそもそも望んでない、あるじが誰とかそれ以前の話なのだと。


「ゲイルは奔放だからね。多分だけど、義務に縛られるディアブロス王国に段々んでくると思う。そうするとまたアルヴィオスに戻る目も高い、可能性があるのよ。でも貴方は違うでしょ?」

「それは――」


 ケイルが飄々とした奴だというのは、カワードも一目見て理解しただろう。そして実際にあいつは何かに縛られるのを本来嫌うタイプだ。

 対するカワードの夢は四闘士民になってディアブロス王国なりの裕福な地位を得ることだ。ある意味ケイルとは真逆の、地に足付いた安定を求めているのがカワードだ。


 そしてカワードの夢がディアブロス王国でしか叶わないからこそ、私たちの行く道は決して交わらない。


「貴方といても私はアルヴィオスに帰れる目がない。だけどゲイルなら可能性がある。私の幸せは誰が私の所有者であるか、にはないの。主の優劣に私の幸せは関係ない、この点においてゲイルと貴方は私にとって等価値よ」

「……あの男が君を手放すとは思えない」

「私にはクリスがいるわ」

「君を手に入れたら君の弟も魔封環を外せなくなるだろう。無理だ」

「かもね。でも可能性はゼロじゃないわ」


 視線でカワードに問いかける。ならばお前は私をアルヴィオス王国に連れて行って魔封環を外してくれるか? と。

 カワードの視線が二度三度、揺れて、そして力無く床を向く。


 そう、カワードは確かに強くもないし腰が退けてるし当初は美少女奴隷で頭がいっぱいだったけど、目が覚めた今は馬鹿ではない。

 そして既に一人暮らしをしていて生計を立てるのに何が必要かも分かってる。


 日光を苦手とするただの血鬼族が、私を連れて一人アルヴィオスに向かい安定した生活を送るなど、それがどれだけ無謀かぐらいは想像が付く。


「貴方にも夢があって、私にも望みがあって、当然ゲイルにも理想の生活があって。それらが交わらないのであれば――」


 最終的には力で決着を付けるしかない。

 それはもうカワードもよく分かっているだろう。会話が通じない相手に延々話しかけても無駄などころか無防備な隙を晒すだけだから。


「だけど私たちは会話の通じる生き物通しだし、可能ならお話で決着を付けたいところね」

「……力で決着を付けようとしても、俺があいつに勝てるわけないもんな」


 どこか捨て鉢にカワードが言うけど、


「そうじゃない。これは私と貴方の問題なの。そこにゲイルは関係ないわ」


 これは男同士のマッチョイズムに依る話ではない。あくまで私とカワードの問題だ。

 ケイルが間に挟まっているからカワードも男の意地をつい張ってしまっているけど、本質はあくまで私とカワードだけに関わる事象だ。


「落ち着いて考えてみてカワード。貴方が四闘士民になるのに私は必要不可欠な存在?」

「……」

「沈黙は是と取るわ。そして私がアルヴィオス王国に帰るのに私は貴方を必要としていない、いえ、何としても私は私を貴方から取り返さないといけない。貴方の敵は私よ、ゲイルじゃないの」


 ケイルとカワードの男としての魅力は一切関係がないと重ねて伝えると、それは理解したとばかりにカワードは儚げに笑う。


「……ああ、わかってるとも。これは俺の問題なんだ。ただ、」

「ただ?」

「ただ、君と共にアルヴィオス王国に向かう未来もあるんじゃないか、って。そういう選択肢がまだ残っているってだけで」


 は……と、思わず私の方が言葉を失ってしまった。

 それは、私のためにカワードはこれまで自分が積み上げてきた全てを擲ってしまってもいいと、そう考えていると?

 ……そんな、馬鹿な。ありえない。現実的にも不可能だ。


 日光に焼かれる血鬼族が、どうやって人間の社会で平穏に暮らしていけるというのだ。

 ケイルにそれができるのは、ケイルがハーフエルフで日光に対する強い耐性を持っているからに過ぎない。


「無理だって言うんだろ。分かってるよ」


 そんな私の視線に気がついたのだろう。カワードが弱々しく首を横に振る。


「俺はこの第七圏ツァーカブから出たこともない箱入り――いや穴入りだ。外の世界で生きようとして、現実に打ちのめされて、最後には『こんなとこ来なきゃよかった』って君に八つ当たりする未来が関の山だって、その程度は俺も馬鹿じゃないから理解が及ぶ。ただそれでも」


 カワードが私の手を取って、ぎゅっと強く握りしめる。


「それでもこの手を離したくないって、そう願ってしまう俺を俺は殺しきることができないでいるんだ」

「――貴方と出会ってまだ日も浅い私に、貴方のこれまでの人生を捧げるほどの価値があるとは思えないわ」

「その価値を決めるのは君じゃなくて俺だ。俺の人生に価値を付けられるのは俺以外いないんだから」


 そうだね。およそ人生においては、他人の評価には一切の価値がない。

 骨董品や美術品じゃあないんだ。他人がなんと言おうと、自分で決めた人生の価値もまた自分にしか定められない。

 横から勝手に他人の人生の価値を決めつけてくる奴はそいつの地位、財産、知性に因らず例外なく屑だよ。それだけは間違いない。


「俺の人生を意味あるものに戻してくれたのは君だ。だから俺は君といたいのに――この先君と一緒に居続けようとする俺は、今この瞬間の俺よりどんどん価値が下がっていくんだろうな。それが分かっちゃう自分が――本当に憎らしい」


 その呟きに私は是とも非とも返せない。

 カワードがそう言ったように、カワードの人生の価値はカワードにしか付けられないのだから。


「このまま君に依存することが出来たら、とても楽な人生を送れただろうに」

「……まるで人を駄目にするクッションみたいな評価ね、貴方の中の私」

「クッションと言うより支えだよ。滅茶苦茶頑丈で頼りになる、寄りかかってると楽な支柱だ」


 支柱か、そう言われると分からなくもないわね。これまで私はずっとお姉様とプレシアを支えるために生きてきてるし。

 そういう生き方が骨の髄まで染みこんでしまっているのだろう。それが良いか悪いかなんて――私にとっては良いに決まっている。

 私にとって必要なのは、推しと私の家族が幸せに生きる未来だ。それ以外のものなど私の命も含めて二の次でしかないのだから。


 改めてカワードの顔を見やると、カワードが泣きそうな顔で精一杯の笑みを浮かべて見せた。男が意地を張っているのだ。ならば私はそれに応えてやらねばならない。それがいい女の役割というものだから。


「ここでお別れだ、アイシャ。こういう言い方は君の誇りを傷つけるのかも知れないけど――最初に買ったのが、君でよかった」

「私には誇りなんてものはないから傷つきようがないけど、貴方の幸福に寄与できたのなら悪い気はしないわ」


 頑張れよ、と拳を掲げると、カワードもまた拳を形作って、コンと打ち合わせる。


「さよならご主人様。貴方のことは嫌いじゃなかったわ。出世しなさいよ」

「ああ。さよならアイシャ、俺の初恋の人。君の幸せを祈ってる」


 なぬ!? とつい反射的にカワードの顔へ視線を向けると、冗談だよと笑ってカワードは一人、部屋を後にして出ていった。

 初恋か。そういえば転生してから異性に好きだって言われたのはこれが初めてだね。


 案外重たいものなのね、人の好意って。

 もう少し話すこともあったはずの私の足を、呆然としばらくこの場に留め置いてしまう程度には。






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