■ 115 ■ 専属食料民 Ⅰ






「全員整列、ついてこい」


 昼食後、なにをするでもなく暇なので魚の小骨から作った針で穴の空いた衣服を継ぎ接ぎなんぞしていたところ、看守からの声でにわかに周囲が色めきだち始めた。

 誰もが目を擦ったり手櫛を髪に通したりして、移動の間に可能な限りの身だしなみを整えたりしている。


「アノン、何が始まるの?」

「何って、お前が言ってた買い上げ」

「そこ! 無駄口を叩くな!」


 看守に怒られてはしまったけど、成程。六闘士民以上の吸血鬼が自前の血液袋を買いに来たということらしい。

 はてさて、ケイルの実力ならそこそこ上位に食い込めるはずだけど、前世の冒険者ギルドとかだと各ランクで一定量ないしは一定期間の貢献を、とかもあったからよく分からないね。


 何にせよ私もアノンの後について列へと加わる。

 これで買いに来たのがケイル以外だと困るけど、今の私は一番ボロい貫頭衣を着ていてさらには顔面傷だらけだ。商品価値はかなり低かろう。

 いや、血液袋しょくざいに外見を求める奴はいないか? まぁなんでもいいさ。いずれにせよ気分は貴族を前にした奴隷感覚だねこりゃ。


 さて、五十人からなるので身長順に三列に並べられた私たちの前に現れたのは、なんだろう。

 人で言えば十六、七歳ぐらいだろうか。涅色の髪を乱雑に肩で切りそろえてる、赤い瞳に子供じみた期待の色を宿らせた青年である。


 ケイルじゃなかったかー、と内心嘆息する間にその男は一通り私たちに視線を走らせた後、私に目を留めてまるで望外の幸運とばかりに賤しい――というか歓喜を押し殺してるような笑みを浮かべる。


「そいつだ。そこのボロ着た顔グシャグシャの奴」

「畏まりました。味見はなさいますか?」

「勿論だとも」


 おい淑女レディに対しもう少し言い方あんだろ、と思わないでもないし、実際ケイル以外の奴に買われると後が面倒なのでとりあえず文句の一つでもと思ったが看守側も然る者、


――声が出ない。いや、メイとかと同じ遮音がされてるのか。


 どうやらここで私たちが何を言っても無駄ということらしく、前に連れ出されて指にツプッと牙を刺され、


「うん、悪くない。これに決めた」

「分かりました。では売却の準備を致しますので少々お待ち下さい。お前、身なりを整えてこれに着替えてこい」


 何やら余所行きの服らしきものを与えられてあれよあれよと雑居房へと戻される。

 畳まれた服を広げてみると、おお、ブラウスとスラックスに革の靴、というかサンダルだ。これで貫頭衣とはお別れだね。

 ただあれだ、周囲から私に向けられる視線はまさに針の筵だわこれ。


「ハッ、精々吸い尽くされて干からびちまいな」

「何でこんな顔腫らしたガキが……畜生!」

「せいせいするわ、とっとと消えちまえ」


 とまあ、先輩血液袋さんたちの有言無言の非難を浴びながら手拭いで身体を拭って、用意された服に袖を通し、


「悪いわね、先に行くわ。その気があるなら賭けにのんなさい。伸るも反るも貴方の自由よ」


 まさか宣言した翌日に本当に出ていくとは想像もしていなかったのだろう。呆然としているアノンの肩を叩いて数日を過ごした雑居房を後にする。

 まぁ気持ちは分かるぞアノン。私だってこの展開は想像もしていなかったし。

 まぁ私とアノンでは想像の方向が違うわけだけど。


 そんな私は狭い個室へと連れ込まれてそのまま二つ目の魔封環を装着され、代わりに一つ目の魔封環はここでおさらばのようだ。

 何が違うのかと、丁度よく鏡があったので見てみたらこちらにはどうやら魔族文字ディアス語が掘ってあるようだ。勉強していた私には読める、読めるぞ。その事実は隠すがな。


「なんて掘ってあるんです?」

「『カワード』、お前の新しいご主人様の名前だ。精々ご機嫌を損ねないようにすることだな」


 おう看守よ、ちゃんと教えてくれるあたりいい奴だなこいつ。成程と頷いて――いやしかし鏡見ると私まだ酷い顔だなホント。頬も目蓋も完全に腫れていて、まだ完全にお岩さんだぞこれ。

 やべー、カワード氏ってもしかして怪我している人間を見るのが好きとか言うサディストじゃねーだろーなぁ。それは勘弁してくれよホント。


「ひいふうみいよのいつ、確認しました、どうぞお持ち帰り下さい」

「ようやく、ようやくだ! ここから僕のバラ色の人生が始まるんだ! 名前は……アイシャか。さぁおいで、一緒に帰るぞ」


 何にせよ、まぁ魔封環を付けられている時点で私にできることはないのでね。

 仕方なくカワードとやらの背後について、住み慣れる暇もなかった血鬼族の食糧飼育所からめでたく出所であるよ。


 とはいえ、流石に魔王国は穴蔵生活である。歩けど歩けど代わり映えのない石壁ばかりで迷子になったらどうしようと思っていたけど、


――ん? よく見ると。


 壁に所々魔族文字ディアス語が彫ってあって、どうやらこれが現在位置を記しているらしい。

 うーむ、まさか道路標識があるとはアルヴィオスより進んでるな。まぁアルヴィオスの貴族街は迷子になりようがないから標識は要らないってのもあるんだけど。

 そんなことを考えながら歩いていると、


「凄い……本当に地底都市ジオフロントだ!」


 とても洞窟の中とは思えない巨大な空間に辿り着いて、成程これはまさしく都市だ。思わず手すりに駆け寄ってしまったよ!



 天上から仄かに降り注ぐ、クリスマスのイルミネーションのような淡い緑色を帯びた光。

 階下から僅かに吹き上げてくる、とてもアルヴィオスの北にあるとは思えぬ温もりを帯びた風。



 行き交う喧騒、仄かに香る獣脂の焦げる匂い。それぞれがめいめいに着飾った、色鮮やかなれど私の知識では形容しがたい衣服を纏った人の流れ。

 幼女のはしゃぐ声。酔っ払いのだみ声。小動物の啼く声。鶏の唄に羽ばたきの音。靴底が洞穴のそこを蹴り滑る音。人の匂い。生活の匂い。



 構造としてはほぼ吹き抜けの超高層ビルディングに近いね。横浜のランドマークタワーとか、そういうふうに中央が完全にストンと抜けていて、その周りの壁に住居やお店、通路と階段が延々連なっている感じだ。

 ただ、その直径が半端ない。多分直径数百メートルはあろうかという吹き抜けだぞ。こんなの前世の建築物より遙かに進んだ技術じゃないの!






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