■ 114 ■ 血鬼族の食糧飼育所 Ⅱ
人は木の股からは産まれないので、ここにいる連中は――多分、アルヴィオス国境の領地から拐われてきた連中、庶民だろう。
北方侯爵家も行方不明者が出ていることは知っているかもしれないが、たかだか庶民の行方不明者なんぞを眼を皿にして捜索したり、魔王国にガサ入れしたりなど一々してくれるはずもない。
だからここに収容された人たちには未来が無い。将来への展望がない。生きる希望がない。人に救われる当てがない。
ただ血液を供給して、食事して、血液を身体が作って、それをまた供給して。
今日もそれの繰り返し。明日もそれの繰り返し。明後日も明明後日もその次の次の次の次の次々次々の日も、死ぬまでずっとその繰り返し。
老人がいないことからも分かるように、いつか身体の再生力が追っつかなくなって貧血で死に至る――前に恐らく全ての血を抜き取られて、息絶える。
この部屋から出て自由になれる未来は、ここにいる連中には無い。
底辺だ。
餌として絞り尽くされるためだけに飼われている底辺の人間が今の私たちだ。
だからこそ――希望などないここで、それでも生きるためには自分たちより劣る、更なる『最底辺』が必要になる。
人は他人と比較して、自分のほうがまだ上だと理解できれば生きていける。
自分が最低じゃなければ、自分よりもっと苦しんでいる人がいれば、自分の人生もまだ捨てたものじゃないと持ち直せる。
前世でも古来からずっと飽きることなく繰り返し用いられてきた手段だ。魔王国民がそれを主導しなくても、人間たち自身がそれを自発的に行なう。
永久に血液を搾り取られるだけなんていう、救いの無い未来から少しでも目を逸らし、少しでも長く生きていくために。
そのために、玩具としての
頭では分かっている。
それがもっとも多くの人を生かすための、ここでの最適解であるのだと。
そういうものだということは頭ではよく理解しているのだ、私は。
だけど、
「……いい加減にしろよ」
頭で分かっていても堪えられないときもある。
例えば、私が三日目三回目の採血から戻ってきたら、私と同程度か少し上ぐらいの子がサッカーボールのように蹴り転がされて遊ばれているのを見た時とか。
思うより早くに罵倒が口からまろび出てしまったが、結構。実に結構だ。貴族なんかやっていて自由と平等の精神が失われている私にも、まだこういう留めおけない感情ってのが残ってたのは実に結構よ。
「あ? 新入りが調子に――」
振り返った女の肝臓に無言で拳を捻り込む。うつぶせに倒れ伏した少女の腹を意味もなく蹴り続けていた女の一人はそれで崩れ落ちた。
「――てめぇええっ!!」
一瞬何が起こったか分からず凍り付き、然る後に私に猛然と殴りかかってきたお局様の拳をかい潜って――大人と子供の身長差があるもので――軸足を刈り、一緒くたになって倒れ伏すと見せかけ、
「ギャァアアアッ!」
全体重を肘の一点にかけて女の腹へとめり込ませる。
真面目にやっててよかった前世中学の柔道の授業。大外刈りで一本初優勝ってね。私もクソザコだが、一通り戦技の指導は受けてたし真面目に鍛錬してたんだ。戦い方のいろはも知らないテレフォンパンチ主体の女にゃ負けんよ。
そのままお局様が起き上がるより早くに飛び起き、全体重を乗せた踵を二回、三回と腹に叩き付けた後、馬乗りになってあばらを丹念に一本ずつ砕いから顔面に拳鎚を何度も振り下ろす。
重要なのは痛みだ。中途半端に止めるとこっちが危ない。身体に刻み込まれた痛みだけが恐怖となってその身を縛り付ける。
だから多勢に無勢のこの現場において、私は他の連中が驚愕で固まっている間にこのお局様の心だけは全力でへし折っておく必要がある。手加減など、できるはずもない。殺す気で殴らないと。
ただまあ、多勢に無勢であるからね。
最終的に私はお局様から引き剥がされ、そこそこ抵抗はしてやったものの羽交い締めにされボッコボコだ。
口の中は切れるわ歯や鼻は折れるわ頬や目蓋は腫れ上がって右目が見えないわとさんざんな目に合わされた。
当然、全身あざだらけだよ。それでも私が殴り殺されなかったのは乱闘に気がついた番兵が入ってきて、
「血液袋どもが! 貴様らは既に血の一滴に至るまで王国の礎となるのだとまだ分からぬのか! 無駄に血を流しおって!!」
なんて全員仲良く鞭打ちの刑に処せられたからだね。
幸い私は鞭打ちには処せられなかったというか、もう殴っていいところが残っていなかったからってだけなんだけど。
あと三回も連続で血を抜いて貧血気味な上での負傷なので、これ以上やると死ぬかもと判断されたっぽかった。
今さらだけどこれまで私が受けてた暴力が顔面殴らず腹パンばっかりだった意味がようやく分かったわ。目立つ部位から出血するとこうやって処罰されるからなのね。
そんなわけで私は魔王国にて一切の情報を得る前に、普通に死にかけたわけである。無様だね。お父様が見たら呆れて物も言えなかっただろうよ。
ただまあ吸血鬼による治療が終わり、部屋に戻ってきた私を見る目には鈍い敵意の中に恐怖の色も混じるようになっていたから、一応私は賭けに勝ったわけだ。
群れで一番強いやつを倒せれば、所詮は羊の寄せ集めだ。牙剥き出しの狂犬相手に攻撃なんてできるもんじゃない。
お局様はどうやら別の血液袋飼育所へ移されたらしく、それ以降私へ振るわれる暴力は私が間違った時に相応程度、となった。
あと、私と同年代のサンドバッグだった子へも。
「助けて、なんていってない。余計なことするな」
もっとも当然のようにその子からは蛇蝎の如く嫌われてしまったけど、それはごく当たり前のことだ。
だってここは普通とかけ離れた場所だからね。
人は環境によって形作られる。五十人からなる誰もが私を怒りのはけ口にしようとしていた。
ならばこの子もそうしようとする。そうでなくてはおかしいのだ。だって、それがここの常識として定着しているのだから。
ここは普通の場所じゃない。普通の人すら理性を失い、暴力の享楽に身を委ねることを良しとする狂った環境だ。
人助けなど強者が余裕と力を見せつけているだけ、と考えて怒り、嫉妬し、憎み、排除しようと行動する。助けられても力を見せつけられたと逆恨みする。
「貴方のためにやったわけじゃない。ただ私は人が殴られるの見てると吐きそうになるだけよ」
「……自分は散々殴ったくせに」
「私が殴るのはいいのよ」
「……最ッ低」
うん。我ながら最低だと思うので反論は控えておいたよ。
私を嫌う人が一人増えたところでなんてこたぁない。私を狙うなら再び殴り合いをすればいいだけのことなんだからさ。
第一、どうせ遅かれ早かれ私はここから逃げ出すんだからね。多少の暴力環境ぐらいは耐えきってみせるさぁ。
まぁ逃げ出すのは完全にケイル頼みなんでいつになるかは分からないんだけどね。
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