■ 112 ■ テストと移動は巻いていきます Ⅰ
さて、魔王国潜入の前準備として、ルジェが改良してくれた高速感光剤に対応するカメラをリージェンス研へと持ち込み、ルジェに具合を確かめて貰う。
「へぇー、カメラ機構側の改善か。ちょっと感光時間が短くなりすぎたかと思ってたけど、これなら何も問題ないね」
ルジェが顎に手を当てて感心したようにうーんと唸るが、私としてはルジェの才能に唸るばかりである。
既にネガ側の感光時間は白黒であることを除けば、前世の写真と大差が無いほどにまで改良が進んでいる。
フィルムという素材はこの世界にまだ存在しないのだけど、
「要は光が透過する、つまりは透ければいいんだろう?」
と、ルジェは代用品を開発してしまった。いや開発というのもちょっと違うかな。現存する素材からフィルムに変わるものを調達してくれた。
「まさか魔獣の皮が使用できるとは思いませんでしたよ」
フィルムの代わりになっているのはビハインドワームという魔獣の内皮である。
このビハインドワーム、名前の通り姿を消して背後から得物を丸呑みするというモンスターで、魔術によって周囲の色に溶け込む、即ち光学迷彩を生かした待ち伏せが脅威の魔獣なのだ。魔獣ランクはDだね。攻撃力が高くないのが、ま、救いかな。
「流石のアーチェも魔獣の素材については詳しくないんだね」
「これでも一応伯爵令嬢なんで」
そしてワームであるので身体は伸び縮みするとあって、こいつの皮を剥いで限界まで伸ばしてピン止めして乾かしておくと、ある程度の強度を維持したまま反対側が透けるぐらいにまで薄く固定されるらしい。
それを縦長の帯状に切断してスライムの体液で若干のとろみを付けた、感光剤を溶かした液体に付けて干して乾かせば見事、ネガフィルムのできあがりだ。
もっとも完全な無色透明ではないのと生体素材ゆえのムラがあるせいで、美しさという点ではガラス基板に軍配が上がるのだけど。
ま、携行性即応性のワームと画質のガラスで使い分けていくのがベストだね。
もう写真がブームになって一年以上が経過し、銀を用いるという点まではオウラン側も理解している。
写真の有用性も広く社交界を通じてアルヴィオス王国内に知れ渡った。
「オウラン陣営が本気で解析をしていたら、初期型カメラならそろそろ模倣できている可能性もありますから。ここで一歩抜きん出られたのは幸いですが――宜しいので?」
ほぼフィルム側の改良はルジェ一人の研究成果である。それでもルジェは半分私に権利を融通してくれている。
「ん? だってネガを丸められる薄くてペラい素材にってのはアーチェのアイディアだし、露光時間を高速で制御できるカメラ機構がなければボクの改良は何らの意味をなさない。なら折半がいいところでしょ」
カメラについてはほぼ前世の知識丸パクりで大変に胃が痛いのだけど、このカメラの改良でようやく魔王国内の事実をアルヴィオスに持ち帰ることが可能になった。
既に貴族内でも写真は改ざんができないモノとしての常識が定着している。あとは何らかの脅威を撮影できれば、門閥貴族たちに北への警戒を持たせることもできるだろう。
前世技術で優位を確保するのは心苦しくはあるが、国防の為ということで有効活用させて貰おう。あとロイヤリティーもね。
「そんなわけですみません。夏期休暇中はまた留守にします」
「夏休みか、忌々しい話だよ。そんなもの無ければいいのに誰が考えたんだか」
ルジェがことさら恨めしい視線を私に向けてくるが、夏休みを忌々しいと思うのはワーカホリックと子持ちの専業主婦だけだからね。
ルジェが軽く不機嫌になってしまっているのは、今回ルナさんもプレシアの侍従として第二グループに参加するので、またしても助手が不在になってしまうからだ。
……いい加減ルナさんに給料払えよ、と私としては思わなくも無いのだが。
「夏休みが明けたらいの一番に掃除しに来ますから、お願いですから健康には気を使って下さいね。いいですか食べて寝るんですよ。いいですね」
ルナさんはまだ子供だけど獣人なので、ぶっちゃけお姉様なんかより余程体力がある。
ドン
「アーチェ、ボクだって人間なんだ。食べて寝なきゃいけないことぐらいは分かってるよ」
「分かってる人間は三徹とか断食勤労とかやらないんですよ」
とりあえずリージェンス研には一ヶ月分の食糧を運び込んでおいたので多分何とかなるだろう。
それと塩と胡椒と乾燥野菜をぶっ込んでお湯入れるだけで飲めるスープを三十食分用意しておいたので、少なくとも一日一回はこれで飯を食ってくれると神に祈るのみだ。
最後は神頼みというのがルジェのもっとも困るところであるのだがね。
続いてスラムを訪れてダートと面会し、モン・サン・ブランへと挑んでくれる人材の派遣を要求する。
「ドラゴンと戦うんすか! 兄貴! 俺、俺絶対行くっす!」
「それがご所望の戦か? アーチェ」
「いえ、これはついでね。ダートにお願いするのはもっと別なことよ」
「……俺の相手はドラゴン以上かよ。流石に安くねぇ取引だったみてぇだな」
なお、ドラゴンと戦うことになると説明した時点でナンスはほぼ参加確定のようである。うんまあ予想はしてたけど。
私との対談の場としてすっかり小綺麗になった
「俺が勝手に行く分には問題ないんだろう?」
「それは勿論構わないというか嬉しいけど、いいの?」
「ああ。同程度の実力がある相手との集団戦ってのはそうそう体験する機会がないからな」
それねー。個人戦と違って集団戦ってのは味方を間違って斬らないようにする必要があるし。
ダートほどの猛者になると息を合わせることができるの、このスラムではナンスぐらいしかいなそうだし。
今後私やプレシア不在時にルナさんを抑え込むことを想定すると、ダートも強敵に対する集団戦の腕を磨いておきたいって事かな。
勿論対魔王戦を想定している私としては願ったり叶ったりである。
「じゃあ今回も宜しくね。私は別行動になるけど」
なお私は何するのかと聞かれて、ダートには隠す理由もなかったから「魔王国に潜入する」と答えたらまさに狂人の極みみたいな目で二人に見られたけど、
「アーチェの姉御は常にやりたい放題やりながら生きてやがりますね。すげーっす。格好いいっす、男前っす! とても真似できねぇ人生っすよ」
「……生きて戻ってこいよ。お前に死なれると俺が困る」
まあ掛けられたお言葉自体は割と無難な範囲に収めてくれたみたいだ。優しいね。
「というわけで今回も宜しくお願いしますね」
三バカを指名して今回も護衛をお願いしたところ、ウキウキでやってきたキールも流石にドラゴンと戦う可能性があると聞いて、
「おぅ……ドッドド、ドラゴンでございますか……」
完全に青い顔になってしまっていた。おいおいどうしたキール・クランツ、お前のプレシアへの思いはそんなもんかよ。
まぁ今回はアリーが別行動だからレンのやる気がいまいちなのは許容するがな。
「まあドラゴンとの戦闘はあくまで遭遇したら、の話ですから」
「そ、そうですよね。回避できる戦闘は回避しないと!」
「令嬢がたを御護りしつつの戦闘は危険ですしね!」
「竜を無駄に刺激するのは王国のためにもよくないでしょうし!」
三人がうんうんと頷いているが悪いな、もうドラゴンと戦うのはほぼ確定なんだわ。
とりあえずまだ時報が鳴るには早いから運と実力で己の命は護りきれるはずだ。そんなわけでプレシアの護衛宜しく、と雇用手続きはこちらも終了だ。
最後に、
「見て下さいアーチェ様! 今回も赤点回避です!」
プレシアが試験結果一覧を、片手を腰に当てたドヤ顔で突きつけてくる。
以上、私たちの夏期休暇取得が確定したので、夏休み前の準備は全て終了だ。
最大の問題がプレシアの補講だったから、ようやく気が楽になったよ。
「凄いわシア、よく頑張った……いや違う、それが当たり前だったわ」
「そんな! 私にとっては快挙ですよ!」
いやうん、なんだ、私のプレシアに対する期待ラインがどんどん下がってるのこれよくないよね。もう少し上げていかないと。
赤点回避は基本中の基本、褒められラインでは決してない。
そしてプレシアが満面の笑みを浮かべる裏で、
「……今回も百位以内に入れなかったわ」
お姉様は完全にお通夜の顔である。なおお姉様の総合点数はプレシアの倍近いからね。
これでこの温度差なんだから、いや、下っ端男爵家のプレシアと王家の婚約者を比べるのがそもそもの間違いではあるのだが。
「ま、まあ今回は基礎体力作りに忙しかったですし」
シーラが宥めてもお姉様の顔色は悪いままで、しかしまあその通りなんだからそこまで気にしなくてもいいと思うんだけどね。
お姉様に登山をさせるに当たって、クソザコナメクジから芋虫程度にはせめて体力を付ける必要があった。よって最近はひたすら筋トレに励んでいたお姉様は当然テスト勉強などやっている時間はナシ。
結果として王子の婚約者でありながら二年目でも百位以内に入れないというのは、どうやってもウィンティと比べられるお姉様としては地味に辛いみたいだが。
「王妃になれば周囲からの非難なんて何やっても飛んでくるんですから、今のうちに慣れておきましょう」
「何でもそういう論法で片付けないで頂戴……というかアーチェとシーラは普通に二十位以内なのね」
今回はシーラが十三位、私が十九位とシーラの健闘が光るね。
お姉様の手前シーラはめっちゃ気まずそうな顔してるけど、それはこれまで勉強してきた成果だし誇っていいと思うんだよなぁ。
「なんにせよこれで新聞部夏の活動はほぼ定まりました。皆さんの健闘に期待します」
事前に整合してあるのでリタさんにも予定は空けて貰っているし、いよいよこれで準備完了だ。
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